第六話 ないすしょう
地区の新人大会、ウェルター級決勝。レフェリーが陸の右手を高く掲げた瞬間、会場にまばらな拍手が響いた。
きっちり、危なげない判定勝ち。表彰台とアナウンス。
「――優勝、月代陸選手!」
席の近くでは、拍手に混じって同じ学校の先輩と同級生たちが交わす声。
「いや~、やっぱ優等生は違うわ~」
「先生方のご指導のおかげです、だろ?どーせ」
「はいはい、期待の星、ね……」
半分祝福、半分皮肉。陸の耳には、全部きれいに届いている。
写真を撮られ、マイクを向けられた陸は、テンプレートみたいに笑って答える。
「先輩方のご指導のおかげです。
まだまだ未熟なので、これからも練習をがんばっていきたいです」
言葉は完璧。礼儀も姿勢も完璧。でも、目の奥は、もうくたびれていて、小さな諦めがにじんでる。
(正解が分からない。丸くおさまってほしい。これくらいしか、俺には言えないから)
拍手。フラッシュ。控え室に戻れば、先輩たちの「さすが」「次は春の選抜だな」の圧と、同級生の「すげーよなぁ、顧問にも可愛がられててさ」の視線。
陸は、言葉少なに、おじぎする。
「ありがとうございます。もっと強くなれるようにします」
それしか言えない。
◇◇◇
夕方のシュガー。ジムの中はいつもの暖かい光で満たされている。髭のコーチが声をかける。
「あ、おつかれ。聞いたよ。優勝、おめでと」
「ありがとうございます」
と微笑む陸。コーチは、目の下のクマと肩の落ち方を見て(……まただいぶ削られてんな)と内心でため息をつく。
そこへ――
ドドドドッ
小さな足音。いつものポーチを下げたナオが走ってくる。
「りくのお兄さーん!!」
「ナオくん、走ると危ないですよ」
陸はやさしくナオを抱きとめる。後ろから、ナオの母が小走りでやってくる。
「ごめんなさいね。卒園の準備で大好きな人にあげる首飾りを作ったんですけど、この子、どうしても陸さんにって。
もし良かったら、もらってあげてもらえますか?」
ナオは、ありあわせの色紙と毛糸でできた、ちょっといびつな首飾りを、ポーチから慎重に取り出す。
「りくのお兄さんにはね、これ。ないすしょう!」
「……ナイス賞?」
陸は首をかしげながら、受け取って、真ん中の飾りを見る。子どもの字で、ぎゅうぎゅうに書いてある。
> りくのお兄さん
> いつも ないす ありがとう
> ないすしょう
> ナオ
「ないすしょう」のところだけ、色ペンが変えてあって、星マークまで描いてある。
「……おお、ナイス賞だってよ。センスあるじゃねぇか」
「ナイスって、いいってことでしょ? だから、いいしょうってこと!」
ナオは得意げに胸を張る。
「りくのお兄さん、いつもナイスって言ってくれるから、ナオからも“ないすしょう”。いつも、ナイスありがとうってしょう!」
陸は、一瞬、息が止まる。
(いつもナイスって、言ってるのは――ナオくんに、だ)
体育館で、倒した相手を見つめるとき。先輩に「もっと行けただろ」と小突かれるとき。同級生が遠巻きに自分を見ているとき。
「ナイス」なんて言葉を自分にかけてくれる人は、ほとんどいない。
でも、なわとびでつまずいた小さな背中に、ワンツーがうまく打てた幼い拳に、陸はずっと「ナイスです」「今の、とても良かったですよ」って言い続けてきた。
それを、ちゃんと覚えている子がいる。
「はい、かけてあげる」
ナオは背伸びして、陸の首にひっかける。毛糸がちょっと首にちくっと当たる。
「りくのお兄さん、ないすしょう!」
ぱちん、と陸の中で何か切れる音がした気がして、気づけば、視界がじわっとにじんでいる。
「……ナオくん」
声が震える。
「ん?」
「ありがとう。この賞、いままでのどの賞より……うれしいです」
陸は、思わずその場でしゃがみ込んで、ナオと目線を合わせる。
「ナオくん。……俺、もうちょっとだけがんばろうかなって思います」
そこまで言ったところで、ぽろぽろ、と涙が落ちる。ナオはすっと陸の頬をなでる。
「りくのお兄さん、泣いてる?」
陸は笑う。
「……うれしいときも、人は泣くんですよ」
コーチは、カウンターの奥で「……そういう涙なら、いくらでも流していい」と、小さくつぶやきながら、見ないふりをしている。
その日の夜。
家に帰った陸は、「ないすしょう」の首飾りを机の一番いい場所にかける。
(これは――俺がここに居ていいって、世界で一番最初に言ってくれた証拠だ)
そう思ったら、また明日もリングに上がれる気がした。




