第四話 苦いおそろい②
一年のスパーリング──2ラウンド。
セコンドには、上級生。顧問も、じっと見ている。
向かい合うのは、さっきまで話していた、あの同級生。ヘッドギア越しでも分かるくらい、ちょっと顔がこわばっている。
上級生の声が飛ぶ。
「はい、構えてー。ラウンド2分、インターバル1分。
倒せるなら倒せよ、一年。 中途半端が一番ダセぇからな」
その言葉に、リングの外から笑いが起きる。
陸はグローブの中で、ゆっくり指を握りしめた。
ゴングが鳴る。同級生は、明らかにぎこちないステップで距離を取ろうとしてくる。
ジャブも、形にはなっているけれど、当てようというより触ろうとしている感じ。
陸はガードを上げて、様子を見る。外から、上級生の声が飛ぶ。
「おい陸ー! 何見合ってんだよ。手ぇ出せ、手ぇ!」
「チャンス見逃すなー!」
「倒せるなら倒してけ」
(スパーリング……なんだけどな。試合じゃない)
胸の中でだけ、ぼやく。口には出さない。
同級生の右ストレートが、少しだけ届く距離まで伸びてきた。陸は、反射的に右にスリップして、体が勝手にショートの右を返す。
ガスッ。
鈍い音が、ヘッドギアの横で鳴った。同級生の体が、グラッと揺れる。
上級生の声。
「おー、いいぞ陸っ、その感じ!」
「ビビんな、畳みかけろー!」
(嫌だなぁ)
本音だけが、胸の奥の、一番深いところでぽつりとつぶやく。
でも同時に、ここで手を止めたら、もっと怒られるという経験則もちゃんと持っている。
同級生は、必死に構えなおそうとする。足がもつれて、ロープに少し寄る。
「……行くよ」陸は小さく自分に言い聞かせるみたいに呟いて、ワンツーを打ち込む。
パン、パンッ。
同級生のガードが下がる。 膝が、ガクンと折れかける。レフリー役の上級生が一瞬、様子を見るように間を取る。
「続行で!」
(あ、続けるんだ)そう思った瞬間、外から、さらに追い打ちの声が飛ぶ。
「倒せるだろ、もう!」
「そこまでいったら最後までやれよ!」
(……分かりましたよ)
陸は一歩、踏み込んだ。距離が詰まる。同級生の目が、一瞬、 揺れる。
左ボディ、右ストレート。
ドスッ、バチン。
時間が、少しだけ遅くなったように感じた。同級生の体が、ぐしゃっと崩れる。 ロープに引っかかって、そのままズルズルと座り込む。
「ストップ!」の声。
上級生たちが目の前の光景にワッと沸く。
「おー、いいじゃん」
「そうそう、そうやって本気出せる奴が残んだよなー」
体育館の空気が、妙に軽くなる。陸は、ぜんぜん軽くなかった。コーナーに戻りながら、グローブを見下ろす。
(同じくらい怖いって言い合った相手を、倒せるなら倒せって空気で、倒して。それで、いいじゃんって褒められて)
陸はひとつため息をつく。
(なんだ、それ)
◇◇◇
スパーの後、少し時間が経ってから。体育館裏の、誰もいない階段。
同級生は、保健室から戻ってきたらしく、まだ少しフラつく足取りで帰ってきた。
陸は心配そうに駆け寄る。同級生は赤くなった顔で、なんでもないような声を出す。
「おー、陸」
転ばないよう、手すりを掴みながら、笑ってみせる。
「いやー、やられたなー。強えーわ」
陸は目を伏せる。
「さっきは、その……ごめん。やり過ぎたかも」
同級生は、ふっと目線をそらして、少しだけ空を見上げた。
「……やっぱさ、陸みたいなやつが、向いてんだよ。こういう部活は」
陸が戸惑ったように首をかしげる。
「怖いくせに、ちゃんと殴れるんだからさ。根性あんだよ、結局」
肩をすくめて、同級生は笑う。
「俺みたいに、ありがとうございましたって言うのが精一杯なやつはさ。いつか、誰か倒したりとか、多分できねーから」
「そんなこと──」
否定しようとした言葉は、喉のところで止まった。
同級生は続ける。
「俺さ。正直、さっきの腹打ちのとき、もうやめたいなって思ってたんだよ。
でも、お前がさ。顔色ひとつ変えずに『ありがとうございました』とか言うからさ。まだいけるかなって変な意地張っちゃって」
うつむく陸。
「それは……ごめん」
同級生は軽く笑う。
「だから、むしろとどめ刺してくれてありがと。
あー、俺やっぱ向いてねーわって分かったし」
そう言って、同級生は少しだけ、楽になったみたいな顔をした。軽く伸びをする。
「顧問に言うわ。自分には向いてませんでしたって。陸はさ」
陸を見る。その目は、責めているわけでも、羨んでいるわけでもない。ただ、事実を言ってるだけ──そんな感じ。
「ちゃんと残って、強くなれよ。そういうの、できる奴なんだからさ」
ふっと笑って、 同級生はロッカールームへ入っていく。あっさりとした背中。でも、その言葉の重さは、思った以上にずっしりしていた。
ひとり、階段に残されて。
(向いてるから残れっていう理由、しっくり来ないな)
自分の手を見つめる。さっき、人を倒したばかりの拳。
陸はちいさく息を吐いて、それでも一歩、体育館のほうへ足を向けた。




