第二十話 ナオのマラソン大会②
マラソン大会から数日後の土曜日。その日もシュガーのドアがガラッと勢いよく開いた。
「陸のお兄さーん!!」
ナオが、ドドドッと走ってくる。顔は真っ赤、息も少しだけ弾んでいる。
「どうしました?」
陸はタオルを手にして振り向く。
「マラソン大会、おわった!」
「おお、そうでしたね。本番は今週でしたね」
「うん!!」
そのまま、ぴたっと陸の目の前で足を止めて、ぐいっと胸を張る。
「ビリじゃなかった!」
「それは良かったですね」
「前から10番目だった!!」
クワッと目を見開いて、両手の指をぜんぶ広げて見せる。
「一列に10人ずつ並んでゴールするんだけどね、1列目のいちばんうしろだった!」
「ということは……学年で前から10番目、ですね」
「そう!!」
言いながら、自分でも信じられないというように笑う。
「いつもビリから3番目だったのに。先生がね、すごいね、ナオくん!って」
「がんばりましたね、本当に」
陸は、タオルをベンチに置いて、ナオの前にしゃがみ込む。
「苦しくなかったですか?」
「途中で、あー、もうやだーって思った。でもね、しゃべれる速さで走るやつ、やったじゃん?」
「あぁ、二人でシュガーの周りを回ったやつですね」
「うん、あれ思い出した。ここがシュガーの角で、この辺がコンビニの曲がり角で…って」
両手で空中に地図を描くような仕草をしながら、続ける。
「ゴールまで、ぜんぶ走らなきゃって思うと、すんごい長くてムリってなるけど……」
ふと、陸の顔を見て、少し照れくさそうに笑った。
「ここまで陸のお兄さんとしゃべったなーってちょっとずつ分けて考えたら、なんか、いけた」
陸の胸が、じんわり熱くなる。
「すごく大事なことに気づきましたね」
「へへ」
「ナオくんは、一人で最後まで走ったんですか?」
「うん。 クラスの子が、途中で『もう歩こーぜ』って言ってきたけど……『いやだ、走る』って言った」
「おぉ」
「だって、ここで歩いたら、陸のお兄さんとお散歩ランのときのナオに負けちゃうもん」
得意げに言い切る。陸の目が、すこしだけ潤んだ。
「……それは、すごいですね」
「でしょ!」
「――歩かずに走り切ったこと、 苦しくてもやめなかったこと、ここまでがんばった自分に負けたくないって思えたこと。すごいです」
「へへっ」
ナオは、もじもじと片足で床をこする。
「ナオくん、本当におめでとうございます。前から10番目、お見事です」
「えへへ」
「ナイスマラソン、でした」
「ナイス、マラソン!!」
ナオはその言葉が気に入ったらしく、くるんと一回転してみせる。
「じゃあさ、今日は、ごほうびランにしよ」
「ごほうびラン?」
「うん。マラソン大会、おわったから、走っても走らなくてもいい日なんだよ?」
「それは……そうですね」
「でも、陸のお兄さんとお散歩ランは続けたいから」
ぐいっと、手を引っ張る。
「今日も、ちょっとだけ、走ろ」
「分かりました。がんばらない程度にですね」
「うん、ちょっとだけ。また前から10番目くらいだったら、来年もほめてね」
「もちろんです」
「約束」
差し出された小さな小指に、陸さんも小指を絡める。
「ゆびきりげんまん、ですね」
「うん。ナイスマラソンって、来年も言って」
「来年も、ナイスって言わせてくださいね」
ふたりは、笑いながら玄関へ向かう。
シュガーの外、夕方の少し冷たい風の中で── マラソン大会という嫌なイベントが、ナオにとってちょっとだけ誇らしい記憶に塗り替わっていく。
それを隣で見届けながら、陸自身もほんの少しだけ、走ることが嫌いじゃなくなっているのに、まだ気づいていない。




