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臆病な僕と、リングの約束 ーBパート ジムサイドー  作者: 叶畑シュウ
第二章

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第十五話 最悪の出会い

 夕方の体育館。ミットの音がまばらになって、大学生達の空気が少しだけゆるんだころ。リングの近くでストレッチをしていた二年生・黒瀬イザナに、顧問が声をかけた。


「黒瀬。お前、あいつと一回やってみてくれ」


 顎でさされた先には、高校生の面影の残る青年。ゆるいパーマに、色の薄い顔立ち。ジャージの上からでも、しっかり作られた体は分かるのに、雰囲気は完全に「優等生」。


(春から入学予定の奴……真面目君、ね)


 イザナは内心あくびをかみ殺す。


「月代ー」


 顧問が声をかけると、陸はすっと顔を上げる。


「はい。月代 陸です。よろしくお願いします、先輩」


 きっちり腰を折ったお辞儀。声も、控えめな態度も、教科書通り。


 (先生ウケ、良さそうだな。……一番、面白くねぇタイプ)


 そう思いながらも、顧問の手前、ロープをまたいでリングに上がる。


「あー、俺、2年の黒瀬 (イザナ)。軽くな」

「はい」


 ゴングが鳴る。最初の一歩で、イザナは「やっぱりな」と思った。

 ジャブはまっすぐ。ステップも軽く、悪いクセはない。距離の取り方も、高校できっちり叩き込まれてきたのが分かる。


(キレイ。でも、殴るって感じじゃねぇな)


 イザナはガードを固めたまま、あえて額でジャブを受けてみる。ストッ、と綺麗に当たる。けれど、そこで終わってしまう拳。


(当てるまでがゴールの拳。打ち抜くつもりも、勝ち切るつもりもない)


 軽くワンツーを返すと、陸はちゃんとガードして、すぐ距離を取る。表情は、ほとんど変わらない。


「スパーリングは慣れてんの?」


「高校では……そこそこ、させてもらってました」


「させてもらってました、ね」


 言葉も、角がない。外から見れば、素直で真面目で扱いやすい後輩。


(まあ、好き勝手に鍛えられてきたんだろうな)


 イザナは、顧問の視線が外れた瞬間、ほんのすこしだけギアを上げた。

 前足からグッと踏み込む。さっきと同じタイミングで陸がジャブを出すが、その外をすり抜けて、ガードごと左フック、ショートの右、抉るようなボディ。


「っ……」


 喉の奥から漏れた声を、陸は噛み殺す。後ろに下がる足をどうにか動かすけれど、ロープがすぐそこにある。


「下がんな。当てて終わりなら、サンドバッグで十分だろ」


 ロープに寄りかかった瞬間、イザナの右ストレートがガードの上からめり込んだ。

 陸の視界が、一瞬白くはじける。足元がぐらっと揺れて、そのままキャンバスが近づいた。

 ドサ、と膝がつく。


「そこまで!」


 顧問が慌てて声をかける。イザナは一歩さがって、陸を見下ろした。


「立てる?」


「……はい」


 ロープをつかんで、陸は自分の足でゆっくり立ち上がる。顔は、やっぱりほとんど崩れていない。悔しいのも、情けないのも、全部飲み込んだ「いい子の顔」。

 顧問がうなずく。


「黒瀬、どうだ?」


 タオルで汗を拭きながら、イザナは肩をすくめる。


「基礎はあります。タフだし。……優等生っすね」


「そうだろ。期待してるんだ」


 顧問が満足そうに言ってから離れ、練習は元のざわめきに戻る。

 退屈な仕事は終わった。イザナがロープをくぐり、リングから降りようとすると――背後から声。


「黒瀬先輩」


「ん?」


「……もう1ラウンド、お願いできますか」


 呼吸はまだ荒い。膝も少し震えている。それでも、目だけはまっすぐイザナを見ていた。


(へぇ)


 イザナの口の端が、勝手に上がる。


「お前、さっきの一発でだいぶ効いてただろ」


「……効きました。だから、返したいです」


 ほんのわずかに悔しさの混じった声。それでも、言葉は整っている。


(倒され慣れてねぇ顔。『今日はありがとうございました』で楽なのに、わざわざこういうこと言う)


「また今度な」


 イザナはロープに腕を乗せて、あっさり言った。


「入学前だろ、お前。落ち着いてから、もう一回来いよ」


「……はい」


 素直に頭を下げる陸。その姿を見ながら、イザナは心の中でニヤリと笑う。


(おもしれーの、入ってきたな。優等生の顔の下、どんなの隠してんのか。

 ……俺が全部、剥がしてやりてぇな)

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