第一話『M31とM32 ―― 憧憬の銀河、随う影 ――』
僕は何とも言えぬ温かさと匂い、そして煙で目を覚ました。
「お、起きた。まずは毛布から出ろ、直にじいちゃんが粥を持ってくるから近くの川で顔でも洗ってこい案内してやるから」
スバルの指示に従い毛布から出て川へ案内された
昨晩雪が降ったのか一面の雪景色に覆われた山は光を乱反射し、太陽の眼を焼いた。
反射的に目を瞑ってしまったが、そんなのお構いなしにスバルは進んでいた。
「なにボサっとしてんだ行くぞ」
棘はあるがこちらの状況を把握して声をかけてくれる。街では絶対にありえない言葉に僕は少し驚いた後
「ま、待ってよ~」
と腑抜けた声で返事をしてしまい、頬が熱を帯びるのを感じながら、スバルの元へ駆け出した。
川につくと凍てついた川の冷気が全身に纏わりつく、慣れたものだと言わんばかりにスバルは手で水を掬い、勢いよく顔を洗う。
「どうした、早くしねえとじいちゃんが死んじまうかもだぜ?」
と冗談めかしく言う彼の言葉に促され川に手を突っ込む
「冷たっ」
予想はしていたが予想以上に冷たい水、指先が悴み痛みすら走る。
覚悟を決め顔に水を打ち付けその場を後にした
「ここまで冷たいと思ってなかったよ」
いまだ戻らぬ指の感覚を前にそうスバルに告げた。
「っはは!なっさけねえなぁ!こ、これ、くらい.....何とも、、ねぇし」
なんだか肩を震わせていたような気がしたがおそらく気のせいって事にしておこう。うん。
山小屋に戻り、ドアを開けるとそこには古びた鍋を抱えた老人がいた。
「おっ、二人ともちょうどいいタイミングで帰って来たわい。鼻を真っ赤にしおって、ちっとはましな顔になったな」
とガハハと笑いながらグツグツと鳴る鍋を机に置き、手袋を外したその老人の顔には雪をも溶かしてしまいそうな温かさと優しさに満ちていた。
「馬鹿にすんな!じいちゃんこそ寒くってガタの来てる体をガタガタ言わせてる癖に」
「ガタが来てるのは否定せんがそこまでじゃないわい!まったく少しは労わらんかいこの孫!」
「貶そうとして失敗すんなよ!なんだよこの孫って」
「だって仕方ないじゃろう....あまり貶すポイントがなかったんじゃから....」
「なんだよそれ」っと小声で言いながら照れくさそうに頭を掻くスバルを無視して
「お客人の前なんじゃから控えんかい」っと的確なツッコみを言われバツが悪そうに
「さっさと食おうぜ、粥が冷めちまう」
っともっともらしい回答をして難を逃れるスバルを目に僕は吹き出してしまった。
せっせと取り皿に粥を注いでいたおじいさんは、ふとハっとしたように顔を上げた。
「そういえば、まだワシ名乗っておらんかったな。ワシの名はシャルル、シャルル・コル=カロリ。この山小屋の主にして、スバルの祖父をやっておる」
雪山には似つかわしくない、使い古された図鑑を小脇に抱えたその男。厳格な主を演じようとするその後に続く言葉は、朝日のように柔らかかった。
「……気兼ねなく、シャルルでもシャル爺でも好きに呼ぶと良いぞ。お主はもう、ワシらにとってはただのお客人ではないからのう」
「……あ、……。うん、ありがとう……シャル爺」
慣れない響きに少しだけ舌を噛みそうになりながら、僕はその名前を口にした。
「シャル爺」と呼ぶたびに、僕の中にあった「天欺太陽」という氷のような輪郭が、少しずつ、穏やかに溶けていくような気がした。
「ははっ、似合わねー呼び方! 格好付け過ぎだっての。ほら、さっさと座れよじいちゃん」
スバルに一蹴され、ちょっとシュンとしてしまったシャルルを「まあまあ」と宥めながら、僕は温かい粥の席についた。
ひと悶着あったが、取り分けられた木のお椀とスプーンでお粥を口に運ぶ。
食べた瞬間に口に広がるザラザラとした食感に喉を焼くような雑味と昨日に比べて苦味が追加されていた。
だがこれが、これだけが期待に応えられない自分への失望や自己嫌悪、家族への未練。そんなすべてを、「生きろ、強く在れ」と優しく肯定してくれている気がしたんだ。
「……して、そこの銀髪の少年よ。粥の味はどうじゃった?」
そんなシャルルの問いでさえも温かく心に沁み込むような気がして、瞳に涙が溢れた。
「そんなに、そんなに不味かったかのう? これでも最高に格好つけて作った、おじいちゃん自慢の逸品なんじゃぞ」
シャルルは不安げにお玉を握りしめ、僕の顔を覗き込んできた。
「……不味い……ですけど。すごく、温かいです」
僕が精一杯の笑顔で答えると、シャルルはパアッと顔を輝かせ、大仰に天を仰いだ。
「おおお、そうか! わかるか! これぞ男の『格好付け』が隠し味じゃ! 孫には泥の味だと一蹴されてしもうてな、実は少し傷ついておったんじゃよ」
「格好つけて泥の味かよ。じいちゃん、次は俺が作るから、大人しく座ってろよな」
スバルが呆れたように鼻で笑い、シャルルの腰を気遣うようにそっと支える。
その光景があまりに自然で温かくて、冷え切った鼻腔を解いていくようだった。僕は街で食べていたどんな高級料理よりも、この「泥の粥」に救いを感じていた。
食後、焚き火を囲んでの団欒。
シャルルはじわじわと腰を摩りながら、わざとらしく背筋を伸ばし、低い声で語り始めた。
「よいか、二人とも。男にとって大事なのは、中身が何かではない。最後の一歩まで『自分は自分であり一等星だ』と胸を張って笑えるかどうかじゃ。たとえ中身が泥だろうと、その嘘を一生突き通せれば……それはもう本物より価値のある『偽物』なんじゃよ」
「あー、じいちゃん! また始まったよ。あんま格好付けなくていいから、早くその重くて古臭い本片付けろよ」
シャルルは右手に持つ本を愛おしそうに左手で撫でながら少し弱弱しく言い返す
「……ちょっとくらい格好付けさせんか! 男は死ぬまで格好付けたい生き物なんじゃよ! ……というかスバル、お主いま、わしの教訓を『古臭い』と言わなんだか?」
「言ってねえよ、思ってるだけだ」
二人の漫才のような掛け合いを聞きながら、僕はまた小さく吹き出した。
外はすべてを塗りつぶす猛吹雪。けれど、この小さな山小屋の中だけは、どんな星よりも確かな「残り火」が爆ぜ続けていた。
その度に思う。僕が、ここに居ても良いのだろうかと。
「いつか、僕も……おじいちゃんみたいに優しく....格好良くなれますか?」
僕の問いに、シャルルは一瞬だけ驚いたように目を見開き、それからどこまでも柔らかく、誇らしげに笑った。
「もちろんだとも。太陽、お主の瞳には、もう一等星が宿っておるわ」
その言葉が、僕にとっての最初の「呪い」であり、そして「救い」だった。
この時の僕はまだ知らない。この温かな「格好付け」の結末が、真っ赤に染まる雪山で潰えてしまうことを。
夜空には、シャルルが教えてくれた『M3』の星団が、僕たちの未来を観測するように静かに、けれど力強く輝いていた。
今日はM3が地平線から顔を出すタイミングで投稿させていただきました。
昨日は夜分なのに30人ほどの方が見てくださってありがたかったです。
今後もこのあたりの時間に投稿すると思います。




