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左利き兵器少女の食道楽 ☆挿絵あり  作者: あかふく亭


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9/10

縁に塩を、ひとつまみ

挿絵(By みてみん)

山の道を登りきったころ、日は西に傾いていた。


峠の頂上はひらけた台地になっていた。そこに石造りの宿が数軒、寄り添うように建っている。街道の分かれ道に開いた小さな宿場町だった。


通りの両側には屋台が並んでいる。


炭火の煙と、肉の焼けるにおいと、揚げ油のにおいが、夜の山の空気に混じって立ちのぼっていた。


「ここが…峠の宿場」


クロはすうっと息を吸いこんだ。


「においが多いです」


足元がうずうずして、胃の奥が鳴る。


「焼き鳥のにおいがします。それも塩焼きの」


迷いのない足取りで、一番煙の多い屋台へ向かった。


*


その屋台は長いカウンターの前に、丸椅子が十ほど並んでいる小さな店だった。


親父は、短く刈りこんだ白髪頭の、陽気な顔の男だった。炭火の上で串を器用に回している。


「いらっしゃい! 空いてる席、そこでいいよ!」


指さされたのは一番奥の席だった。


隣には一人の旅人が座っていた。


背が高く、細身で、質素な麻の外套を羽織っている。フードを少し後ろへ下げていて、金茶色の髪が炭火の明かりに柔らかく光っていた。


横顔が見えた。


整った鼻筋。穏やかそうな口元。杯を見つめる瞳は琥珀のような色をしていた。


「……」


感じのよさそうな人だとクロは思った。


それだけ思って、その隣の丸椅子に腰を下ろした。


「あ、すみません。席を詰めますね」


旅人がにこりと笑って、椅子を少しだけ横にずらした。


声は低くてやわらかかった。


「ありがとうございます」


クロはぺこりと頭を下げた。


「焼き鳥を…お願いします。塩で。ねぎまと皮と、ハツとつくねを二本ずつ」


「あいよ! 嬢ちゃん、いい注文だ!」


親父が嬉しそうに串を並べはじめた。


「それと、枝豆と手羽先の塩焼きと、塩ゆでの落花生と、揚げパンも」


「すごい量だね」


隣の旅人がくすっと笑った。


「全部、食べるの?」


「はい」


「たいした食欲だ」


「食事は必要なものですので」


「ははは。その通りだね」


旅人はさらりと笑った。


*


カウンターの上には旅人の杯が置かれていた。


ガラスの杯で、中には淡い黄色の液体が入っている。縁には白い粒がびっしりとついていた。


そして杯からはさわやかな柑橘のにおいがした。


「……」


クロの鼻がひくひくと動く。


『グレープフルーツ。蒸留酒。ウォッカ。塩』


「あの」


「うん?」


「それは何を飲んでいらっしゃるのですか」


「ああ、これ」


旅人は杯を軽く持ち上げた。


「ソルティドッグといってね。故郷の名産のウォッカと、グレープフルーツの果汁を合わせて、杯の縁に塩をつけた飲み物なんだ」


「ソルティドッグ」


クロは口の中で繰り返した。


「塩を杯の縁に」


「そう。口をつけるときに、塩が唇に触れる。その塩気がグレープフルーツの酸味と苦味を引き立てて、ウォッカの香りをまとめあげる。本来はそういう飲み物のはずなんだ」


「本来は」


「うん」


旅人は少しだけ眉を下げた。


「ただ、この辺りの塩では、なかなかうまくいかなくてね」


親父が焼き鳥を皿に載せながら、苦笑いした。


「兄ちゃんには悪いんだがなあ。うちにある塩は岩塩を砕いた粗塩だけなんだ。あれじゃあ、舌に刺さっちまうだろ?」


「いや、親父さんのせいじゃないよ。どこの町でも同じなんだ」


旅人は杯をそっとカウンターに戻した。


「僕はこの酒に合う、最高の塩を探して旅をしているんだ」


「最高の塩」


クロの耳がぴくりと動いた。


「そう。故郷ではこのソルティドッグが、国を代表する酒なんだけどね。海の塩も岩塩も山の泉の塩も、全部試したけど、どうしてもぴったりくるものがなくて」


「なるほど」


「噂には聞いたんだ。最近、各地のギルドに、とんでもなく上等な塩が卸されはじめたって」


「……」


クロは何食わぬ顔で、焼き鳥を待っていた。


「左党の塩、というらしい」


「……」


「でも、ギルドは誰が卸しているのか、教えてくれなくてね。買うこともできない。金貨と同じ重さで、金持ちの貴族に流れてしまうらしくて」


「そうですか」


「だから、こうして、旅を続けているんだ」


旅人は苦笑いした。


「見つかるといいのだけど」


「……」


クロはうつむいた。


ちらりと鞄の口を見た。


そこには小袋が入っている。


秘密にすると決めた。誰にも言ってはいけない。


けれど目の前の人はとても真剣に塩を探していた。


「……」


クロは焼き鳥が来るまでの間、指先でそっと鞄の口をなぞった。


*


焼きたての串が皿に並べられた。


ねぎまの脂がパチパチと弾けている。皮はこんがりと焼けて、飴色に光っていた。


クロはねぎまを一本取って、かぶりついた。


『味覚データ照合中。鶏肉の甘み、良好。ねぎの香り、良好。塩分、強め。粗塩の粒、舌に刺さる』


「……」


「どうしたの?」


「おいしいです。ですが」


クロは串をそっと皿に置いた。


「塩が…少し、強いです」


「だろう?」


旅人は嬉しそうに笑った。


「あなたもそう思うかい。この辺りの塩は全部そうなんだ。素材の味を塩が押しのけてしまう」


「はい。素材の甘みが塩の粒に隠れてしまいます」


「そうそう、そうなんだ。やっぱり、分かる人には分かるんだね」


旅人は目を輝かせた。


「あなたは味に詳しいのかな」


「食いしん坊です」


「あはは」


旅人が肩を揺らして笑った。


「それは頼もしい」


クロは決めた。


「あの」


「うん?」


「杯を…少しだけ、お借りしてもよろしいですか」


「え?」


「縁の塩を直したいのです」


「直す?」


旅人はきょとんとした。


「実は、別の町で、たまたま手に入れた上等な塩の残りがあります」


クロはしれっと答えた。


「塩?」


「はい。ほんの少しですが」


鞄の口に手を入れる。


「ふり」ではなく、今度は本当に、収納魔法の中から小袋を一つ取り出して、鞄から出したように見せた。


白い布に包まれた小さな袋。


「たまたま、持っていました」


「たまたま、か」


「たまたま、です」


クロは旅人の杯を手に取った。


縁にこびりついた粗塩を、一部分だけ指先でそっとぬぐい取る。


小袋からひとつまみ。


雪のように白い粒を杯の縁にふわりと振りかけた。


きらきらと縁を飾る。


「……できました」


クロは杯を旅人の前に戻した。


「どうぞ」


「……」


旅人は杯をじっと見つめていた。


縁の塩がさっきとまるで違う。雪のように細かく、角が丸く、炭火の明かりを受けて、ほのかに光っている。


「……」


おそるおそる杯に口をつけた。


縁の塩に唇が触れる。


ゴクン。


「……!」


旅人の目が見開かれた。


琥珀色の瞳が大きく揺れた。


「な、なんだ、これは」


声が少し震えていた。


「塩が舌に刺さらない。それなのに旨味が、ある。グレープフルーツの苦味が、まるで丸くまろやかに」


もう一口。


「ウォッカの香りが、これまで感じたことのないほど、くっきり浮かび上がる。酸味と苦味と塩気とアルコールが、一本の線で結ばれて」


「……」


「これだ」


旅人は杯を握りしめたまま顔を上げた。


「これが…僕の探していた味だ」


「別の町で手に入れた、塩の効果です」


「別の町……って、まさか」


旅人ははっとした。


「それは噂の左党の塩では」


「さあ。ラベルがなかったので、分かりません」


クロはしれっと答えた。


「ほんとうにたまたまなのです」


「たまたま、そんなものが」


「たまたま、です」


「どの町で」


「忘れました」


「忘れた」


「はい。特産のお酒のことなら、覚えているのですが」


「……」


旅人はしばらく、クロの顔をじっと見ていた。


それからふっと肩の力を抜いて笑った。


「……そうか。たまたま、か」


「はい」


「分かった。無理には聞かない」


旅人は少しだけ残念そうに笑った。


「でも、ありがとう。今夜は人生で一番おいしいソルティドッグが飲めた」


「それはよかったです」


クロはほっと息をついた。


「ああ、そうだ。名乗っていなかった」


旅人は杯を置いて、改めてクロのほうを向いた。


「アサヒ、という。旅をしているんだ」


「クロです。旅の食いしん坊です」


「クロ。いい名前だ」


アサヒはにこっと笑った。


その笑顔は炭火の明かりよりもずっと明るかった。


*


その夜はふたり並んで杯を重ねた。


焼き鳥。枝豆。手羽先の塩焼き。塩ゆでの落花生。揚げパンの砂糖がけ。


クロはアサヒと同じソルティドッグを頼んだ。


アサヒが「縁にはこの塩をつけてくれ」と親父に言いながら渡した塩を見て、親父は目を丸くした。


「兄ちゃん、その塩、どうしたんだ」


「いや、通りすがりの食いしん坊が、分けてくれたんだ」


「食いしん坊」


親父はクロを見て、さらに目を丸くした。


クロは真顔でうなずいた。


「食いしん坊です」


「へええ」


縁に左党の塩が付けられたソルティドッグが、クロの前に置かれた。


クロは杯を持ち上げて、一気に傾けた。


ゴクゴク、ゴクゴク。


「プハァ」


『アルコール度数、12%。グレープフルーツの苦味、爽快。ウォッカの香り、澄んでいる。塩の旨味、調和』


「……!」


クロは目を丸くして、杯を握りしめた。


「これはすごい飲み物です」


「でしょう?」


アサヒが嬉しそうに言った。


「グレープフルーツの苦味が最初、舌に触れて、それから塩気がフワッと広がって、そのあとウォッカの香りが鼻に抜けていきます。そして最後にまた苦味が静かに戻ってくる。四つの味が順番にやってきて、順番に去っていく。まるで四季のようです」


早口になっていた。


アサヒはぽかんとしたあと、くすくすと笑いだした。


「すごいな。あなた、本当に味を言葉にするのが上手なんだね」


「食いしん坊ですので」


「それ、何度目の台詞かな」


「……」


クロは頬を押さえた。


「そうでした」


「あはは」


「ですが事実です」


「うん。事実だ」


アサヒは静かに笑って、杯を傾けた。


クロは焼き鳥の最後の一本をゆっくりかじった。


*


夜が更けても、アサヒは屋台の人たちに慕われていた。


「アサヒの兄ちゃん、今日も来てくれたんだねえ」


「兄ちゃん、うちの娘が、また作った焼き菓子を持ってきたよ」


「あの、アサヒさん。この前教えてもらった、薬草の使い方、効きました!」


親父や近所の人たちが、次々と声をかけてくる。アサヒはひとりひとりにやわらかい笑顔で答えていた。


「……」


クロは小さく感心した。


この人はどこへ行ってもみんなに好かれている。


不思議と納得できた。


「アサヒさんは人気者ですね」


「そんなことはないよ。ただ、皆さんが、やさしいだけさ」


「いえ、アサヒさんが、やさしいからです」


「……」


アサヒは一瞬言葉に詰まって、それから照れたように笑った。


「そう言ってもらえるのは、うれしいな」


「事実です」


「ありがとう」


ふたりは顔を見合わせて、同時に杯を傾けた。


星が瞬き、炭火がはぜた。


夜はゆっくりと更けていった。


*


翌朝。


宿の窓から朝の光が差しこんできた。


『酩酊モード、終了』


『体内異常なし。二日酔いの症状なし』


クロはゆっくりと身を起こした。


窓の外を見ると、宿場の通りでアサヒが荷物をまとめていた。


「……」


宿を出ると、アサヒがちょうどこちらを振り返った。


「おはよう、クロ」


「おはようございます、アサヒさん」


「昨夜はありがとう」


「いえ。こちらこそ」


「また、会えるかな」


「……」


クロは少し考えた。


「分かりません。私は行き先を、適当に決めるので」


「ははは。適当に」


「はい。今日は宿の看板に描かれた猫の絵が、右を向いていたので、右へ行きます」


「猫の絵。いい理由だね」


アサヒは楽しそうに笑った。


「じゃあ、僕は左へ行こう。もし、また会えたら、それはきっと縁だ」


「はい」


「それじゃあ、元気で」


「アサヒさんもお元気で」


ふたりは小さく手を振り合った。


アサヒは左の道へ。クロは右の道へ。


背中を向けて歩きだして、クロはふと立ち止まった。


振り返ると、アサヒの背中はもう峠の向こうに消えかけていた。


「ソルティドッグ、いいお酒でした。彼の故郷ではもっと美味しいのでしょうか」


クロは小さくうなずいて、鞄の紐を握り直した。


歩きだす足取りはいつもどおりだった。

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