↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
左利き兵器少女の食道楽 ☆挿絵あり  作者: あかふく亭


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/10

鋼の殻には、アヒージョを

峠を下りきると、道は細い川沿いに出た。


水は澄んでいて、浅瀬に銀色の魚影がきらりと走る。川幅は人が飛び越えられるほどで、せせらぎが一定の拍子を刻んでいた。


「川です」


クロは足を止めた。


「魚がいます」


水に手を入れるまでもなかった。川鱒が三匹、自分から手のひらに跳ね上がってきた。


「ありがとうございます。いただきます」


手を合わせてから河原の石でかまどを組む。


枯れ枝を集めて火をおこし、串に刺した魚をじっくりと炙った。


ジュウッと皮が弾ける。


左党の塩をひとつまみ。


かじる。


『川魚の甘み、良好。塩、調和。皮の香ばしさ、最高』


「……」


クロはうっとりと目を閉じた。


「これです。これが川魚の正解です」


誰もいない河原で、満足げにうなずいた。


それからふと、手の中の串を見つめた。


「ですが」


「……」


「何度食べてもおいしいのですが」


クロは串をパクリと食べ終えて、川の流れを見つめた。


「そろそろ、海の幸が食べたくなってきました」


水はゆっくりと東へ流れていた。


その先に広い海があるはずだった。


「川を下って、海へ向かいましょう」


そう決めた。


*


数週間の旅だった。


川沿いの道は思ったよりも長かった。


途中、いくつかの町を通った。ある町では屋台のコロッケに感動した。ある町では宿の主人が出してくれたビーフシチューに涙した。ある町では広場で振る舞われたトウモロコシの丸焼きを、三本食べた。


町に着くたびにギルドへ足を運んだ。


木札を見せると受付係が奥へ引っこんで、ギルド長が慌てて出てくる。


「左党の塩の件ですね。金貨二十枚分、承ります」


「お願いします」


秤の片方に金貨。片方に塩。


吊り合う。


金貨二十枚がクロの鞄の中へ消える。


そしてその日の夜は、金貨一枚ぶんほどが酒と料理で消えた。


「予算を決めたのです」


「その予算の三倍は使っておるぞ」


宿で隣の席になった行商人が、あきれ顔で言った。


「善処します」


「お前さんの『善処』は、信用ならんのだが」


どこかで聞いた台詞だった。


そしてひと月も経たないうちに、東の空の端に、白い海鳥が飛びはじめた。


潮のにおいが風に混じるようになった。


「海が近いです」


クロの足が軽くなった。


峠を出て数週間。川の幅はいつの間にか広くなり、やがて視界いっぱいに青い水平線が広がった。


「……!」


クロは息を呑んだ。


目の前に広大な海が広がっていた。


*


港町はもう少し先らしかった。


けれどクロは海を見た瞬間、足を止めた。


崖の下に小さな入り江がある。三方を岩に囲まれた静かな浜だ。


波の音がザァ、ザァと響く。


潮だまりに小魚が泳いでいる。


「ここで…一休みしましょう」


荷物を下ろして浜へ降りる。


ブーツを脱いだクロの素足に、湿った砂が触れた。


ふと浜の端に目をやる。


岩場に人だかりができていた。


漁師らしい男たちが、十人ほど。みな青ざめた顔をしている。


「どうなさったのですか」


「ああ、旅の嬢ちゃん。近づくな」


年配の漁師が手を振った。


「あそこに化け物がいる」


「化け物」


クロの耳がぴくりと動いた。


岩場の向こう、浅瀬の中に巨大な影が揺れていた。


全長は馬車ほどもある。


鎧のような黒光りする殻。長く伸びた髭。どっしりとした尾。そしてはさみの代わりに鋭い槍のような爪。


「……」


クロの目がすっと細くなった。


『甲殻類。鋼殻海老。一万年前の分類で、食用上級。殻の硬度、鋼鉄に匹敵』


「やっぱり」


「やっぱりって、あんた」


漁師が顔を青くした。


「あれは三日前に、湾に迷いこんできたんだ。網は全部破られ、銃弾も大砲の弾も跳ね返される。誰も近づけねえ」


「そうなのですか」


「ああ。あのままじゃ、漁ができねえ。町の漁船もみんな出られなくなっちまった」


「それは困りますね」


クロは浅瀬のほうへ歩きだした。


「お、おい、嬢ちゃん!」


「大丈夫です」


クロは振り返らずに答えた。


「ちょっとご飯にしてきます」


「ご、ご飯!?」


漁師たちが口をぽかんと開けた。


*


鋼殻海老は浅瀬の岩に堂々と居座っていた。


近づくと、巨大な目がぎょろりと動いた。


長い髭がぴしゃりと水面を叩く。


槍のような爪がクロめがけて振り下ろされた。


ごん。


クロの肩に爪が直撃した。


けれどびくともしない。爪のほうがぽきりと折れた。


「……」


海老がびくりと動きを止めた。


「失礼しました。折れてしまいましたね」


クロは律儀に頭を下げた。


それから手のひらを海老の顔に向けた。


『昏倒ガスを、対象の呼吸器周辺にのみ発生。持続、約三十分。後遺症なし』


ふっと息を吹くように手を広げる。


海老の目がとろんと閉じた。


巨体がゆっくりと傾いて、浅瀬にどすんと横たわった。


波がザァと引いた。


静寂が戻った。


「……」


岩場の上で漁師たちが固まっていた。


「い、今、何を」


「手品みたいなものです」


クロは振り返って、にこりと笑った。


「眠っていただきました。苦しまないように」


「……」


漁師の一人ががくりと膝をついた。


別の漁師が涙を流した。


「ありがとう、ありがとう、嬢ちゃん。これで町の漁が再開できる」


「お礼には及びません。ご飯にしましょう」


「ご飯?」


「はい。この海老をみんなでいただきましょう」


「これを…食うのか?」


「はい。おいしいです。私の故郷では食べていました」


クロは胸に手を当てた。


「いただきます」


深く、頭を下げた。


それは命への挨拶だった。


*


火おこしは漁師たちが手伝ってくれた。


浜の石を並べて大きなかまどを作る。流木を山と積んで、盛大に火を焚く。


鋼殻海老はクロが一人で軽々と浜まで引きずってきた。


「手品みたいなものです」


「何度言われても納得できねえ」


殻をバキ、バキと割る。


中から真っ白な身が、つやつやと光りながら現れた。


大きな身をいくつもの塊に切り分ける。


海老味噌は別の皿に取り分けた。


一つ目の鍋にオリーブ油とにんにくと唐辛子を入れる。グツグツと煮立った油の中に海老の身をそっと沈める。


パチパチ、パチパチ。


香りが浜いっぱいに広がった。


「アヒージョです」


クロは胸を張った。


二つ目は殻のまま炭火で焼く。


バキっと殻が弾けて、中の身がホカホカと湯気を立てる。そこに左党の塩をひとつまみ。


「こちらは塩焼きです」


三つ目はガーリックを塗ったバゲットを炙る。


四つ目は海老味噌をバゲットに塗る。


次々に料理が並んでいく。


漁師たちは息を呑んで見守っていた。


「で、できました」


クロは白ワインの瓶を取り出した。


道中の町で手に入れた一本だった。


トクトク、トクトク。


「それでは、いただきます」


杯を持ち上げて一気に傾ける。


ゴクゴク、ゴクゴク。


「プハァ」


『アルコール度数、12%。柑橘の香り、爽快。酸味、鋭い。海産物との相性、最高』


「……!」


そしてアヒージョをパクリ。


ジュワッと海老の身が、舌の上でほどけた。


噛めば噛むほど甘みが広がる。にんにくの香りが、鼻に抜ける。唐辛子の辛味が舌をぴりりと刺激する。


そこへ冷たい白ワインを一口。


「……!!」


クロの目からぽろりと涙がこぼれた。


「おいしい……」


声が震えていた。


漁師たちは黙って聞いていた。


「身が甘い。殻の香りが油に溶けて。これがアヒージョの極意です。にんにくの香りが海老の甘みを包みこんで、辛味が後ろから、そっと背中を押すのです。それなのに白ワインの酸味が、全部をすっと整えてくれる。すごいです。この組み合わせは時代が変わっても、変わらず楽しまれるものでしょう」


早口になっていた。


涙も止まらなかった。


漁師の一人が静かに言った。


「……嬢ちゃん、あんた、なんだか不思議な人だな」


「通りすがりの食いしん坊です」


「……食いしん坊」


「はい」


漁師たちはお互いに顔を見合わせて、それから笑いだした。


「よし、俺たちも食うぞ!」


「うおお、うまそうだ!」


浜はあっという間ににぎやかな宴会場になった。


*


その時だった。


崖の上から足音が降りてきた。


「いいにおいがすると思ったら」


聞き覚えのある声だった。


クロは杯を持ったまま顔を上げた。


崖を降りてくるのは、質素な麻の外套を羽織った背の高い青年。


金茶の髪が夕日に光っている。


「……アサヒさん」


「クロ!」


アサヒは嬉しそうに笑った。


「こんなところで会えるなんて。やっぱり、縁だね」


「そうですね」


クロは杯を置いた。


「アサヒさんはどうしてここに」


「海の塩をもう一度試してみようと思って、港町へ向かう途中だったんだ。そうしたら、おいしそうな煙が見えて」


「そうでしたか」


「これは鋼殻海老かい? まさか、本当に」


アサヒは目を丸くして、焚き火のほうを見た。


「漁師のみなさんが困っていたので、いただくことにしました」


「いただくこと……にした?」


「はい」


「……」


アサヒはしばらく黙っていた。


それからくすっと笑った。


「やっぱり、あなたは面白い人だ」


「お褒めにあずかり光栄です」


「褒めてないよ」


「そうでしたか」


「いや、褒めているよ」


「どちらでしょうか」


「両方だね」


ふたりは顔を見合わせて、笑った。


「どうぞ、アサヒさんも」


クロはアヒージョの皿を差し出した。


「ありがとう。いただくよ」


アサヒは海老の身を口に運んだ。


「……!」


「どうでしょうか」


「……おいしい」


アサヒは目を閉じた。


「こんなにおいしい海老を、食べたことがない」


「でしょう」


クロは胸を張った。


「そして、白ワインを」


トクトク、トクトク。


アサヒの杯に白ワインが注がれる。


ふたりは杯を軽く合わせた。


カチン。


小さな音が波の音に溶けた。


「乾杯」


「乾杯です」


夕日が海に沈んでいく。


浜辺に焚き火の炎が揺れる。


漁師たちの笑い声が、波の音に重なる。


「……いい夜だね」


「はい。いい夜です」


クロは杯を傾けた。


その横顔をアサヒが、静かに見つめていた。


けれどクロは気づかなかった。


*


翌朝。


浜辺に朝の光が差していた。


『酩酊モード、終了』


『体内異常なし。二日酔いの症状なし』


起き上がると、アサヒが焚き火の跡の前で荷物をまとめていた。


「おはよう、クロ」


「おはようございます、アサヒさん」


「僕は港町のほうへ向かうよ。あなたは」


「私も港町へ行きます」


「それは奇遇だね」


アサヒは嬉しそうに笑った。


「一緒に…行く?」


「……」


クロは少し考えた。


「いえ。私は今日は道端の貝殻の向きで行き先を決めようと思います」


「貝殻の向き」


「はい」


足元に小さな巻貝が落ちていた。


その先端が港町のほうを向いていた。


「あ、同じ方向です」


「ははは。やっぱり、縁だね」


結局、ふたりは別々に歩きはじめた。


けれどふたりの背中は同じ方向に向かっていた。


遠くで海鳥が鳴いた。


港町はすぐそこだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。