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左利き兵器少女の食道楽 ☆挿絵あり  作者: あかふく亭


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山羊が首をかしげた方へ

挿絵(By みてみん)

修道院を出て三番目の道に入った。


道は細く、うねうねと丘の斜面を下っていく。両側は一面の草地で、ところどころに石垣が走り、白い点々が草の上を動いていた。


「あれは」


クロは足を止めた。


山羊だった。


何十頭もの山羊が、のんびり草を食んでいる。首についた鈴が、風が吹くたびにカランコロンと鳴った。


「山羊がいるということは」


クロの鼻がひくりと動いた。


「チーズです」


足が勝手に速くなった。


道の先に赤い屋根の大きな小屋が見えてきた。煙突から白い煙が上がり、あたりには乳を煮るにおいが漂っている。


小屋の前の柵に一頭の山羊がちょこんと立っていた。


茶色い毛で角が短くて、目がまんまるだ。


クロが近づくと、その山羊は首をこてんとかしげた。


「……」


クロも首をかしげた。


山羊は反対側にまたこてんとかしげる。


クロも反対側にこてん。


「もしかして、こんにちは、と言っているのですか」


「メェ」


「こんにちは」


「メェェ」


「通じています」


クロは感動した。


そこへ小屋の扉が勢いよく開いた。


「こらあ、モフ! また柵を抜け出してる!」


出てきたのは大柄でがっしりした中年の女性だった。袖をまくり、腕には力こぶが盛り上がっている。名前はゲルダといって、この牧場の主だという。


「あんた、この子の相手をしてくれてたのかい」


「はい。こんにちはと言われました」


「ははは。そうかい。モフはよく人に懐くんだ。ありがとうよ」


ゲルダがクロの顔をじっと見た。


「あんた、旅の人だね? ずいぶん細い体してるけど、ちゃんと食べてるのかい」


「食事は本来、必要ない……いえ、毎日いただいています」


「そうかい。じゃあ今日はうちで食べていきな。ちょうど、チーズ作りの最中なんだ」


「チーズ作り」


クロの目がかっと見開かれた。


「手伝わせてください」


「えっ?」


「手伝わせてください。ぜひ」


「あ、あんた、力仕事だよ?」


「大丈夫です」


クロは鞄を地面に置いて、袖をまくった。


「手品師ですので」


「手品師?」


「はい」


ゲルダは首をかしげた。モフも首をかしげた。


「……まあ、いいや。こっちだよ」


*


小屋の中は湯気で白くかすんでいた。


大きな銅の鍋がかまどの上でコトコト煮えている。中には真っ白な乳が、なみなみと入っていた。


「山羊の乳に凝固剤を入れて、固まらせるんだ。固まった塊を切って、水気を抜いて、練って成形する。それがチーズさ」


「なるほど」


「ほれ、この棒で鍋をかき混ぜるんだ。ゆっくり、やさしくね」


ゲルダが木の長い棒を差し出した。


クロはそれを受け取って、鍋の縁に立った。


ゆっくり、ゆっくり、かき混ぜる。


乳の表面に細かい波が立つ。


白いトロトロの液体が、少しずつフルフルと固まってくる。


「おお」


「あんた、手つきがいいね。力の入れ加減が絶妙だ」


「ありがとうございます。力加減は得意です」


クロが答えると、モフが足元に寄ってきて、ぺろりと靴を舐めた。


「あっ。モフ。くすぐったいです」


「あはは。気に入られたね」


固まった塊を大きな網ですくって、木の型に移していく。


ゲルダが湯気の立つ白い塊をぎゅっと手で握った。


「これが…モッツァレラの元だ。あったかいうちに、こうやって引っぱって、のばす」


ゲルダが白い塊をグイーンと引っぱった。


もちのように伸びる。


「やってみな」


「はい」


クロは湯気の立つ塊に両手を差し入れた。


表面温度、五十度。人なら火傷をする熱さのはずだが、クロの指には数字だけが伝わってくる。


グイーン。


グイーン。


白い帯のように塊が伸びていく。


「おお、これは」


「どうだい」


「温かくて、やわらかくて、手のひらの中で生きているようです」


クロはうっとりと目を細めた。


その様子をゲルダはにやにやしながら見ていた。


「あんた、チーズ作りの才能があるよ」


「ありがとうございます」


「それじゃあ、でき上がったやつを、食べてみな」


ゲルダが小さな丸い塊を皿にのせて差し出した。


白くてつやつやで、湯気を立てている。


クロはそれを両手で受け取った。


そっとかじる。


『味覚データ照合中。乳の甘み、良好。弾力、非常に良好。塩分、控えめ』


「……!」


口の中でフワリと乳の香りが広がる。歯を押し返すような弾力のあとで、すうっと溶けて甘みが舌の上に残る。


「できたてのモッツァレラ。こんなにおいしいものが、この世にあったなんて」


クロは目を閉じた。


「乳の甘みと…ほのかな塩気。それがまるで、朝の光を食べているみたいです。冷えたチーズでは決して出せない、今この瞬間だけの味。熱いうちに塩を一粒……」


つい鞄の口に手が伸びた。


ふとゲルダの視線に気づく。


「あ、いえ。塩はこのままで十分でした」


クロは慌てて手を引っこめた。


「……そうかい」


ゲルダは何も言わずにくすりと笑った。


*


昼を過ぎた頃、山羊たちを放牧地へ連れて行くことになった。


「ほれ、この子たちを、丘の向こうの草地まで連れて行っておくれ」


ゲルダがクロに長い杖を渡した。


「何頭ですか」


「五十頭だね」


「五十頭」


クロは杖を握りしめた。


「承知しました」


山羊の群れががやがやと小屋の前に集まる。


「メェ」


「メェェ」


「メェェェ」


「全員、整列してください」


「メェェ」


当然整列するはずもない。


「……」


クロは杖を軽く地面に突いた。


とん。


そのとたん、山羊たちが一斉にぴたりと動きを止めた。


そして素直にぞろぞろと一列に並びはじめた。


「え」


ゲルダが目を丸くした。


「あ、あんた、何をしたんだい」


「手品みたいなものです」


「……」


ゲルダはひたすら首をかしげた。


クロは五十頭の山羊を引き連れて、丘の向こうまで歩いた。


先頭にはモフがちょこんと歩いている。


草地に着くと、山羊たちは嬉しそうに草を食べはじめた。


クロは石の上に腰かけて、空を見上げた。


青い空に白い雲が流れる。山羊の鈴がカランコロンと鳴る。


「……いい時間です」


小さな声でつぶやいた。


膝の上にモフが頭を乗せてきた。


モフの頭の重みが、膝の上に静かに乗っている。


「あなたもあたたかいのですね」


そっと撫でると、モフは気持ちよさそうに目を閉じた。


*


夕方、牧場の食卓にはごちそうが並んだ。


できたてのモッツァレラ。ほんのり蜂蜜をたらした山羊のチーズ。直火であぶってトロトロに溶かしたラクレット。粗挽きのソーセージ。厚切りの黒パン。


ゲルダが大きな壺を持ってきた。


「これは近所の養蜂家が作った蜂蜜酒だよ。うちの山羊チーズに、最高に合うんだ」


トクトク、トクトク。


木の杯に淡い金色の液体が注がれる。蜂蜜の甘い香りが、ふわりと立ち上った。


クロは杯を持ち上げて、一気に傾けた。


ゴクゴク、ゴクゴク。


「プハァ」


『アルコール度数、12%。蜂蜜の甘み、濃厚。花の香り、複雑。後味、すっきり』


「……!」


クロは杯を握りしめた。


「甘いのに…くどくありません。喉を通ったあと、花畑を駆け抜けるような余韻が残ります」


「おや、気に入ったかい」


「はい。そして、これに」


クロは山羊のチーズに蜂蜜をたらしたものを、パクリと口に入れた。


「……!」


じわあっとチーズの塩気と酸味が広がる。そこへ蜂蜜の甘みが重なる。そして蜂蜜酒を一口。


「甘みと塩気と、酸味と酒の香り。それが四重奏で、口の中で奏でられています。ゲルダさん、これは神の領域です」


「あははは。大げさだね」


「事実です」


ラクレットを黒パンにたっぷりのせる。トローリと溶けたチーズが、糸を引く。ソーセージを添えて、パクリ。


「……!」


「ああ、ラクレットは、あたしの自慢の食べ方なんだ。熱々のうちにソーセージと一緒にかぶりつくのが、一番うまいのさ」


「最高です。ゲルダさん、最高です」


クロは蜂蜜酒を一杯また一杯と重ねた。


頬がじわじわと赤くなっていく。


「メェ」


足元にモフがいつの間にか入りこんでいた。


「あなたも一緒に食べますか?」


「メェェ」


「山羊はチーズを食べてよいのですか」


「ははは。共食いになっちまうよ」


ゲルダが笑いながら、モフの口元に干し草を一束差し出した。


食卓は夜遅くまで、笑い声に包まれた。


*


夜も更けたころ、ゲルダがふとつぶやいた。


「そういえば、あんた、峠の宿場には行ったことあるかい」


「いえ。まだです」


「あそこには最近、妙な若い旅人が来てるらしいよ」


「妙な、ですか」


「ああ。身なりは質素なんだけど、立ち居振る舞いが、どうにも品がいい。毎晩ひとりで宿場の屋台に座って、変わった酒を飲んでるんだって」


「変わった酒」


クロの耳がぴくりと動いた。


「どんな酒ですか」


「さあねえ。透明な酒に黄色い果汁を搾って入れてるとか何とか」


「透明な酒に…黄色い果汁」


クロは想像した。


『ウォッカ。レモンかグレープフルーツ』


「……おいしそうです」


「あはは、そうかい」


ゲルダが笑った。


「行ってみるといい。あんたなら、気が合いそうだ」


「はい。楽しみです」


その夜、クロは牧場の客間に泊めてもらった。


窓の外で山羊の鈴が、カランコロンと鳴っていた。


*


翌朝。


目が覚めると、窓の外からメェメェと声が聞こえた。


『酩酊モード、終了』


『体内異常なし。二日酔いの症状なし』


窓を開けると、モフが外に立っていた。


「おはようございます、モフ」


「メェェ」


「そろそろ、出発します」


ゲルダが焼きたてのパンとチーズと、蜂蜜を入れた麻袋を渡してくれた。


「ほら。持っていきな」


「ありがとうございます」


「食事は必要なものだからね」


「はい」


クロは笑って、麻袋を鞄の口へ入れる「ふり」をして、収納魔法の中へしまいこんだ。


「また来ます」


「いつでもおいで」


牧場の柵の前で、クロは立ち止まった。


道が二つに分かれている。


一つは山のほうへ。もう一つは谷のほうへ。


「どちらにしましょうか」


振り返ると、モフが柵の上にちょこんと立っていた。


そしてこてんと首をかしげた。


山のほうへ。


「……山羊さんがそちらを向きました」


クロはうなずいた。


「では、山へ参ります。理由は山羊が首をかしげた方だったからです」


「メェェ」


モフの声に見送られて、クロは山道へ踏み出した。


峠の宿場はもうすぐだ。


どんな人が、どんな酒を飲んでいるのだろう。


足取りは自然と速くなっていた。

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