薄めるのはいい。偽るのは言語道断
ミルトの町の門をくぐったのは昼を少し過ぎた頃だった。
石畳の大通りに木組みの家が並んでいる。荷馬車が行き交い、行商人が声を張り上げ、焼き菓子の甘いにおいが風に流れてくる。
クロは目を輝かせて、きょろきょろと首を回した。
「人口、推定二千。市場あり。屋台、多数。酒場、複数」
最後の項目にだけほんの少し力がこもった。
「娘さん、まずは衛兵詰所だ。黒蛇団のことを報告せんとな」
ベンノに連れられて詰所へ行くと、若い衛兵が目を丸くした。
「黒蛇団が…全員、森で眠っている?」
「はい。穴に入ってもらいました。目が覚める頃には反省しているはずです」
「穴に……?」
「手品みたいなものです」
「手品……」
若い衛兵は助けを求めるようにベンノを見た。ベンノは遠い目をして、首を横に振った。
「聞くな。わしにも分からん」
若い衛兵はレオと名乗った。すぐに仲間を連れて、森へ馬を走らせてくれるという。
「懸賞金の手続きは確認のあとになります。数日はかかるかと」
「分かりました。お待ちします」
詰所を出たところで、ベンノが荷車を止めた。
「娘さん。その格好のままでは、町を歩けんぞ」
ベンノがクロの足元をじっと見た。
「靴も履いておらんではないか。藍色の上着だけでは、旅の支度にもならん」
「そうでしょうか」
「そうだとも。仕立て屋を紹介してやろう。金は盗賊の迷惑料があるだろう」
「あります」
クロは鞄の口をポンと叩いた。
ベンノに連れられて、大通りの脇の小さな店に入った。看板には針と糸の絵が描かれている。
「いらっしゃい、ベンノさん。おや、こちらの娘さんは」
出てきたのは銀の眼鏡をかけた中年の女性だった。名前はロゼといって、この町で一番の仕立て屋だという。
「旅の支度を…一式、頼む。この娘さんに似合うものを」
「かしこまりました」
ロゼはクロを頭のてっぺんからつま先まで、ちらりと眺めた。
「黒髪に…青い瞳。肌も白くて、背筋もきれい。これは仕立てがいがありますわね」
「あの、お任せしても」
「もちろんです。まずはこちらへ」
試着室であれやこれやと着せ替えられた。
動きやすい白い麻のシャツ。膝上丈の茶色のキュロットスカート。フード付きの灰色の外套。膝下までのブーツ。下着や靴下も数組。
「どうでしょう」
カーテンが開いた。
クロは鏡の前に立った。
黒髪が灰色の外套によく映える。青い瞳がほんのり明るく見える。足元はしっかりしたブーツ。
「……」
「あら、お似合いだわ」
ロゼが満足げに両手を合わせた。
「素敵なお嬢さんですこと。街の殿方が放っておきませんわよ」
「放っておいてもらって結構です」
「あらあら」
ベンノが後ろで笑いをこらえている。
「お代は」
「一式で銀貨十二枚になります」
「はい」
クロは鞄の口から銀貨を取り出して、数えて渡した。
「それと、これを」
クロは鞄の口からきちんとたたんだ白い服を取り出した。
古い造りの白を基調にした服。一万年前に博士がくれたものだ。
「これを…預かっていただけますか。大事なものなのです」
「かしこまりました。丁寧にお預かりしますわ」
「いえ、やはり、自分で持っています」
クロは白い服を胸に抱いて、少しだけ考えた。
それから、また鞄の口へ入れる「ふり」をして、収納魔法の中へ、そっとしまった。
*
店を出ると、通りの人々の視線がさっきまでと違っていた。
「……」
クロはブーツの先を見下ろした。
靴の底が石畳を踏んで、こつ、こつと音を立てる。
「歩きやすいです」
「そうだろう」
ベンノがにやりと笑った。
「旅の基本は靴からだ」
「ありがとうございます、ベンノさん」
「礼には及ばん。さて」
ベンノは荷車の手綱を握り直した。
「わしは仕入れの用があるのでな。ここで別れるが、夜は金の雄鶏亭がいい。この町で一番まともな酒場だ」
「金の雄鶏亭。覚えました」
「それと、娘さん。くれぐれも使いすぎんようにな」
「善処します」
ベンノはなぜか深いため息をついた。
*
金の雄鶏亭の看板には金色の雄鶏が描かれていた。
大きな扉を押して中に入ると、木と煙とエールの香りが、ふわりとクロを包んだ。日が暮れはじめた時刻で、席は半分ほど埋まっている。
「いらっしゃい! ひとり? カウンターが空いてるよ」
声をかけてきたのは、茶色い髪を三つ編みにした給仕の娘だった。名前はピアというらしい。
「お勧めを…お願いします」
「まずはエールでしょ。それと、うちの腸詰めと結び目パン。どう?」
「全部、お願いします」
「即答だね。気に入った」
数分後。カウンターには泡の立った木のジョッキと、こんがり焼けた腸詰めが三本、塩のきいた結び目パンが並んだ。
クロは姿勢を正して、ジョッキを両手で持ち上げた。
そして一気に傾けた。
ゴクゴク、ゴクゴク。
「プハァ」
「えっ、一気!?」
ピアが目を丸くした。厨房の奥から大柄な男も顔を出す。この店の主人ガルドだ。
「いい飲みっぷりだな、嬢ちゃん」
「ありがとうございます。おかわりを…お願いします」
二杯目もまた一気だった。
「プハァ。……おかわりを」
「ちょ、ちょっと、速すぎない?」
「おいしいので…止まりません」
三杯目は腸詰めを頬張りながらゆっくり飲んだ。皮がパリッと割れて、熱い肉汁があふれる。
「んん。これはすごいです。しょっぱくて脂がジュワッとして、そこにエールが入ると」
クロは目を閉じて、天を仰いだ。
「合います。最高に合います。このために生まれてきた、と言ってもよいでしょう」
「大げさだなあ」
「事実です。ピアさん、この腸詰めは何の肉ですか? 豚だけではありませんね。ほんの少し香草の風味があります。粗挽きの肉の食感を残したまま、脂の甘みを引き出して、これは職人技です」
「す、すごい。うちの親父が作ってるんだけど、そこまで分かる人、初めて」
「ああ、あの腸詰めか」
ガルドが照れくさそうに頭をかいた。
「嬢ちゃん、よく分かるな」
「分かります。食べ物のことなら」
クロの頬はほんのり赤く染まっていた。
*
「ところで、お客さん」
ピアが小皿を出しながら、声をひそめた。
「林檎酒も飲んでみない? うちの自慢だよ。この町の特産なの」
「林檎酒。いただきます」
木の杯に注がれた淡い黄金色の酒だった。甘酸っぱい香りが立ちのぼる。
クロは今度は一気ではなく、ゆっくりと口に含んだ。
『アルコール度数、標準値の六割。水分が過剰』
「……」
クロは杯を置いた。
「この林檎酒は水で割ってありますね」
「あ、わかる?」
ピアが顔をしかめた。
「卸のブラム酒店のせいだよ。樽に水を足して、それを『原酒』って書いた札つきで売ってるの。うちは仕入れ先を変えたくても、あの店が町の酒を全部握ってるから、断れなくて」
「水で割ること自体は、悪くありません。薄めて飲むのが好きな方も、たくさんいますから」
「そうなんだけどね。割ってあるなら割ってあるって書いて、値段もそれなりにしてくれたら、誰も文句は言わないのに」
「原酒の値段で薄めた酒を売っている」
「そう。ひどいでしょ」
クロの目がすっと細くなった。
ガルドが腕を組んで、低い声で続けた。
「しかもブラムは衛兵隊長のゲルツとつるんでいる。文句を言った店は仕入れを止められるうえに、難癖をつけて検査に踏みこまれる。誰も手を出せん」
「条例はないのですか」
「ある。偽りの表示で売った者は罰金で、告発した者には、科された罰金の三割が褒賞として出る。だが証拠がなけりゃ告発のしようもない」
「証拠は見つければよいのですね」
クロは静かに立ち上がった。
「ガルドさん。ブラム酒店はどちらでしょうか」
「大通りの突き当たり、赤い屋根の店だが。あんた、まさか」
「はい。こらしめます」
ピアとガルドがぽかんと口を開けた。
「嘘をついて人をだました人を、こらしめるのです。殺しはしません。ただ、お灸をすえるだけです」
「お、お灸……」
「その前に」
クロは腸詰めの最後の一本を手に取った。
「これを食べ終えてからにします」
*
赤い屋根のブラム酒店は大通りの突き当たりにあった。
大きな構えの店で、店先には樽がずらりと並んでいる。どの樽にも立派な札が下がっていた。
『原酒 ミルト産 特級』
クロは店に入った。
奥の帳場に、でっぷりと太った中年の男が座っていた。指には金の指輪がいくつも光っている。この店の主人ブラムだった。
「いらっしゃい。何をお探しで」
「原酒を一杯、いただけますか」
「お客さん、お目が高い。うちの原酒は特級ですぞ。ひと杯、銅貨三枚になりますが」
「構いません」
出された杯にクロは口をつけた。
『アルコール度数、標準値の六割。水分が過剰。井戸水と推定』
「ブラムさん。これは原酒ではありません」
「は?」
「水で割ってあります。標準の六割の濃さしかありません」
ブラムの笑顔がぴくりと固まった。
「お客さん、いきなり何を言い出すんです。うちの酒にけちをつけるおつもりで?」
「けちではありません。事実を述べています」
「証拠は?」
「私の舌です」
「舌ですって」
ブラムは声を上げて笑った。
「お嬢さん。舌なんてものは人によって違うんですよ。それが証拠になると思ってらっしゃるなら、あなたは世間知らずだ」
「そうですか。では、店の奥を見せていただけますか」
「お断りします」
「では、勝手に見ます」
クロが帳場の奥へ歩きだすと、ブラムが手を叩いた。
「おい! お客さんがお帰りだ!」
店の奥から棍棒を持った大男が五人ぞろぞろと出てきた。
「へへ、おとなしく出ていけよ。嬢ちゃん」
「顔に傷がつく前にな」
クロはため息をついた。
「傍若無人な方々ですね」
そして手のひらを前に向けて、ふっと息を吹くように広げた。
『無色無臭の昏倒ガスを、対象の口腔と鼻腔内にのみ発生。持続、約三十分。後遺症なし』
「あ……?」
バタン。バタン。バタン。
五人の大男が糸の切れた人形のように倒れていった。
「な、な、な」
ブラムが腰を抜かした。
「何をした!」
「手品みたいなものです」
「手品で人が倒れるか!」
「倒れました」
クロは冷静にブラムの横をすり抜けて、店の奥の扉を開けた。
*
店の裏には小さな貯蔵庫があった。
そこにあったのは奇妙な装置だった。
太い管が井戸から地下の水樽へつながっている。樽には上等な蒸留酒の空き樽が何十個も並べてあった。管の先が栓を抜いた酒樽の口へ差しこまれ、トクトクと水が流れこんでいる。
壁には帳面が掛けてあった。
『原酒 仕入れ樽数 十 販売樽数 二十五』
その隣にもう一冊。
『水増しにより増加分 十五 隊長ゲルツへ 二』
「……これが証拠です」
クロは帳面を手に取った。
「十の樽を二十五にして売っていた。売った酒の六割は水ですね。しかも隊長への上納金まで、きちんと書いてある」
「か、返せ!」
ブラムが叫んで飛びかかってきた。
クロは軽く手を振った。
バタン。
ブラムは帳場の前でぐるんと一回転して、そのまま気絶した。
「……あ。つい」
クロは額に手を当てた。
「少しだけ、お話を聞いてから眠らせるつもりでしたのに」
*
「何の騒ぎだ!」
店の入口から怒鳴り声が響いた。
鎧を着た大男が衛兵を四人連れて踏みこんできた。隊長のゲルツだった。顎に傷があり、腹が突き出ている。
「ブラム! どうした!」
「おや、衛兵隊長さん。ちょうどよいところへ」
クロは帳面を持ったままにこりと笑った。
「あなたの名前もこの帳面に載っておりますよ」
「なっ」
ゲルツの顔色が変わった。
「貴様、その帳面を渡せ!」
「お断りします」
「この小娘を捕らえろ! 強盗だ! 店主を襲った!」
四人の衛兵が剣を抜いた。
クロはもう一度ふっと息を吹くように手のひらを広げた。
バタン、バタン、バタン、バタン。
四人の衛兵がまとめて倒れた。
ゲルツだけが剣を握ったまま立ちつくしている。
「ひ、ひい」
「隊長さん。あなたも眠りますか? それともお話を聞いてくださいますか」
「は、話を」
「では、話をしましょう」
クロは帳面を高く掲げた。
「薄めた酒を売るのは、悪くありません。薄めたものを原酒と偽って、原酒の値段で売るのが悪いのです。しかもそれを守るはずの人が、お金を受け取って見逃している。悪逆非道、言語道断です」
ゲルツの膝ががくがくと震えた。
「こ、これは何かの間違いで」
「間違いかどうかは町の皆さんに決めていただきましょう」
*
夕暮れの大通りに人だかりができていた。
店先の広場に気絶した男たちがずらりと並べられている。ブラム。五人の用心棒。四人の衛兵。そして腰を抜かしたままのゲルツ隊長。
その胸元にはそれぞれ板の札が下がっていた。
『薄めた酒を、原酒と偽りました』
『見逃して、お金を受け取りました』
札を書いたのはクロで、字は驚くほど丁寧だった。
「何だ、この騒ぎは」
「ブラム酒店の主人が、水増ししていたそうだ」
「やっぱりか! 道理で最近、酒が薄いと思った!」
「ゲルツ隊長まで!」
見物の町人たちが、口々に叫ぶ。そこへ若い衛兵のレオが息を切らして駆けつけてきた。
「こ、これは一体」
「レオさん。こちらが証拠の帳面です。それと、水増しの装置が裏にあります」
「は、はい!」
レオは帳面を受け取って、ぱらぱらとめくった。顔が青くなったり赤くなったりする。
「確かに。これは立派な不正です。この町の治安官に、すぐ届けます」
「お願いします」
「それと」
レオは姿勢を正して、深く頭を下げた。
「ありがとうございました。この町の者はずっと困っていたんです」
「お礼なら、おいしい原酒でお願いします」
クロは真顔で答えた。
*
その夜の金の雄鶏亭は大騒ぎだった。
広場の一件はあっという間に町中へ広まり、店は夕方から満員になった。小さな酒造所の主人たちが、地下蔵から眠らせていた本物の原酒を、次々と樽ごと運びこんでくる。
「これが本物のミルトの林檎酒です!」
「うちのも飲んでください!」
「俺のエールも!」
クロの前の机には杯がずらりと並んだ。
一杯ずつ口に含む。
『アルコール度数、標準値。香り、豊か。新規登録。判定、おいしい』
「……!」
クロの目からぽろりと涙がこぼれた。
「おいしい、です」
「え、泣いてる!?」
「口に含んだ瞬間に、林檎が丸ごと立ち上がるのです。皮の渋みまで甘さの奥で踊っていて、飲みこんだあとも、香りだけがずっと喉に残ります。これはブラムさんの酒とは、まったく別物です。本物の原酒はこんなにもおいしかったのですね」
早口になっていた。
「ありがとうございます、ありがとうございます。皆さんの造った酒は、本当に素晴らしいです」
「いやいや、礼を言うのはこっちだよ!」
「あんたのおかげで、俺たちの酒がやっと売れる!」
酒造所の主人たちが、涙ぐんで杯を掲げる。
そこへガルドがどっしりと近づいてきた。
「嬢ちゃん。褒賞金だ。治安官から預かってきた。罰金の三割だ」
ずしりと重い革袋が置かれた。
中には銀貨がぎっしり詰まっていた。
「ありがとうございます」
クロは革袋を持ち上げて、鞄の口へ入れる「ふり」をして、収納魔法の中へしまいこんだ。
それからぱっと立ち上がった。
「皆さん! 今宵は私のおごりです!」
しんと酒場が静まった。
一拍遅れて割れんばかりの歓声が上がった。
「うおおお!」
「聞いたか、今のを!」
「神様みたいなお嬢ちゃんだ!」
ジョッキがぶつかり合う。傭兵たちが肩を組む。旅の芸人が楽器を鳴らす。
奥の席でベンノが頭を抱えた。
「……言わんこっちゃない」
「ベンノさんもどうぞ!」
「いや、わしは」
「どうぞ!」
クロはにこにこと笑いながら、ベンノのジョッキになみなみと林檎酒を注いだ。
そして自分の杯を高く掲げた。
「それでは、乾杯です! 本物の原酒に!」
「乾杯!」
店中の声が重なった。
クロは笑った。声を上げて、心の底から笑った。
酒の香り。肉の焼けるにおい。人々の笑い声。
自由とはこういうものなのかもしれない。
そんなことを思いながら、クロは三杯目の林檎酒を一気に飲み干した。




