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左利き兵器少女の食道楽 ☆挿絵あり  作者: あかふく亭


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2/10

塩は太古の調味料

挿絵(By みてみん)

左の道はのどかな下り坂だった。


麦畑が広がり、羊が草をはみ、遠くで水車がゆっくり回っている。空気には土と草のにおいがした。


クロは鞄の紐を握って、鼻歌まじりに歩いていた。


「分かれ道の石は右が丸くて、左が角ばっていました。角ばっているほうを選ぶのが、冒険らしいと思います」


誰にともなく言って、うなずく。


行き先を決めるのはいつもその場の気分でいい。そう決めてから足取りは驚くほど軽かった。


やがて道の脇にきらきら光るものが見えてきた。


小川だった。


「……魚がいます」


クロの目が青く輝いた。


*


魚は手づかみで獲れた。


正確には水に手を入れた瞬間に、三匹の川鱒が自分から手のひらに跳ね上がってきた。魔素の濃い水に棲む魚は人の気配に疎いらしい。


「ありがとうございます。いただきます」


手を合わせてから河原の石で小さなかまどを組む。枯れ枝を集め、指先でそっと火を灯した。


誰も見ていないので、ここは魔法だ。


串に刺した魚を火にかざすと皮がパチパチと弾けて、香ばしいにおいが立ちのぼった。


「いい香りです。これは期待できます」


焼きあがった一匹を両手で持って、かじる。


『味覚データ、照合中』


『川魚。脂の風味、淡白。旨味、中。塩分、ゼロ』


「……」


クロの動きが止まった。


「味は……します。素材の味です」


川鱒の甘みも脂の風味もちゃんと舌に届いている。焼いた皮の香ばしさも申し分ない。これはこれで間違いなくおいしかった。


それでもクロは首をかしげた。


「ですが…物足りません」


悲しそうな声だった。


身を口に含むと、舌が何かを待っているような、あと一歩足りない感じがする。素材のよさがいちばん上まで引き上げられる前に、手前で止まってしまっているのだ。


「塩です。塩があれば、きっともっとおいしくなります」


マルタにもらった食糧の中に塩漬けの肉はある。けれど今欲しいのは魚に振る塩だった。


クロは河原に座りこんだまましばらく考えていた。


それからぱっと顔を上げた。


「……作りましょう」


*


塩がどこにあるか。


クロは知っていた。


川のそばの地面を両手でそっと撫でてみる。土の下の下、ずっと深いところに、うっすらと白い層が眠っている感触があった。


『地下二十メートル。古い湖の跡。塩分を多量に含む層を確認』


一万年前。ここには広い内海があったのだ。


水が引いたあと、塩だけが土の中に残った。人は誰も気づかず、その上に麦を植えている。


クロは両手を地面に当てた。


魔素を流しこむ。


土の底からひと筋の水の気配が、ゆっくりと立ち上ってきた。


水は手のひらの上で、透明な玉になって浮かんだ。そこからさらに苦いもの、えぐいもの、土のにおい、重い金属の気配をひとつずつ静かに取り除いていく。


残ったのは塩の味だけを持ったごくごく澄んだ水だった。


「懐かしい手順です」


昔、博士と台所で何度もやった。塩壺が空になるたびに魔導で塩を作って、ふたりで笑った。


水の玉がゆっくりと乾く。


白い結晶がきらきらと粉になって、手のひらに降り積もった。


粒が細かく揃っていて、角が丸い。雪のように白い。


クロは指先でひとつまみして、舌にのせた。


『塩化ナトリウム、極めて高純度。苦味成分、ほぼゼロ。微量のミネラル、旨味成分、良好』


「……」


声が出るまで少し時間がかかった。


「塩辛くないのに、甘いです」


それから頬を押さえた。


「塩の味がまっすぐ舌に届いて、そのあとでじんわり丸くなります。角がありません。水に溶けるような塩気、というものが、この世にあったのですね」


早口になっていた。


軍の鍋に入っていた塩は舌に刺さる味がした。同じ塩とは思えない。


「これを魚に振ったら、どうなるのでしょう。気になります。非常に気になります」


川鱒の皮にひとつまみ。串を回して軽くあぶる。


もう一度かじる。


ジュワッと脂が弾けた。


淡白な身の奥から、甘みと旨味が、塩に引っぱり出されるように湧いてくる。皮のパリッとした香ばしさ、身のほろりとした口どけ。舌の上で全部がひとつに混ざっていく。


「……!」


クロは目を閉じて、天を仰いだ。


「おいしいです……!」


声が裏返った。


「塩は味を足すのではなく、もとの味を呼び出す役目だったのですね。この魚は最初から甘かったのです。私が気づかなかっただけで」


誰もいない河原で、クロは語り続けた。


川の水の音と薪のはぜる音だけが、答えてくれた。


*


日が傾く頃、河原に荷馬車が止まった。


「おうい、そこの娘さん。野宿かい」


声をかけてきたのは大きな荷物を背負った中年の男だった。日に焼けた顔に人懐こそうな目をしている。


「ええ。夕飯の最中です」


「いい匂いに釣られてな。いや、すまん、つい」


男は荷馬車から降りて、頭をかいた。


名前はベンノといった。この辺りを三十年回っている行商人だという。


「ひとり旅かい。この先の森には気をつけたほうがいいぞ」


「森、ですか」


「黒蛇団という盗賊団がいる。商人の荷車ばかり狙う、質の悪い連中だ。軍も手を焼いておる」


「それは困りますね」


「だろう? だから明日の朝、わしと一緒に森を抜けないか。娘さんひとりより、二人のほうがいい。町まで連れて行ってやるよ」


「ありがとうございます。助かります」


クロは丁寧に頭を下げた。


それから焼き魚の串をベンノの前に差し出した。


「よろしければ、ひとつどうぞ。お礼に」


「おお、いいのかい。ありがたい」


ベンノは何の気なしに串を受け取って、かじった。


その動きがぴたりと止まった。


「……」


「どうでしょうか」


「……娘さん」


「はい」


「この塩はどこで買った」


「買ってはおりません。作りました」


「作った? どうやって」


「地面の下にありましたので」


ベンノは串を持ったまましばらく黙っていた。


それからがっと身を乗り出した。


「娘さん。わしは三十年塩を扱ってきた。海の塩も岩塩も山の泉の塩も、全部味見した。こんな塩は一度も食べたことがない。苦味もえぐみもない。舌に刺さらない。それなのに旨味がある。信じられん」


「そうですか。昔はこれが普通でしたので」


「昔?」


「あ、いえ。田舎の作り方です」


クロは慌てて焼き魚にかぶりついた。


ベンノはまだ疑わしげに串を見つめていたが、やがてふっと息を吐いて笑った。


「まあ、いい。詮索はせん。ただな、娘さん。この塩は金になるぞ」


「お金にですか」


「ああ。ゆっくり考えておきなさい。さあ、飲もう。わしの旅用の樽だ。エールだが、塩焼きの魚には最高の友だ」


ベンノが荷馬車から小さな樽を下ろした。


木の杯に注がれた琥珀色の酒が、夕日にきらめく。


クロは両手で杯を受け取った。


『アルコールを検知。酩酊モードを起動しますか?』


「はい」


クロは杯を口に当てて、そのまま傾けた。


ゴクゴク、ゴクゴク。


喉が上下に動く。


あっという間に杯が空になった。


「プハァ」


『苦味、麦の香り、泡の舌触り。新規登録。判定、おいしい』


「おお、いい飲みっぷりだ」


「……! 苦いのに魚の脂をすっと切って、また次の一口が欲しくなります。塩の旨味とエールの苦味が、まるで握手をしているようです。これは発明です。大発明です」


「ははは。気に入ってくれたかい」


「はい。ベンノさん。この樽の名前を教えてください」


「ただのエールだよ」


「ただのエール。覚えておきます。おかわりを…お願いします」


「おう。ほれ」


二杯目はまた一気だった。


「プハァ。おかわりを…お願いします」


「娘さん、速いな」


「おいしいので…止まりません」


三杯目はさすがに少しゆっくりだった。それでもクロの頬はほんのり赤く染まり、満足げに目が細くなっていた。


「そういえば、さっきの塩だが」


ベンノが杯をかたむけながら言った。


「売るなら名前が要る。名無しの塩では買い手が不安がるからな」


そう言ってクロの手元をじっと見た。


杯を持っているのは左手だった。


「娘さん、左利きか」


「いえ、両手とも遜色なく使えます」


「そういうわけじゃない」


「では、どういうわけでしょうか」


「まあ、いい。とにかく、こうしよう。左党の塩」


「さとうのしお」


クロは首をかしげた。


「塩なのにさとう、ですか? 砂糖のようですが」


「字が違う。左の党と書いて、さとうと読むのだ」


「左の党……。よく分かりませんが、左手で杯を持つ私が作った塩、ということですね」


「まあ、そういうことだ。ぴったりだろう」


ベンノはにやにや笑って、杯を干した。何か別の意味もあるらしいが、クロには分からなかった。ただ響きは気に入った。


「左党の塩。いい名前です。採用します」


「決まりだな。では、あらためて乾杯だ」


四杯目あたりから距離が近くなった。


「ベンノさん。ベンノさんはいい人ですね」


「そ、そうかい」


「はい。いい人です。いい人はあったかいです」


クロはごろんと体を寄せて、ベンノの腕にぎゅっとしがみついた。長い黒髪がさらりと胸元に落ちて、酒で赤くなった頬が、肩口にすり寄せられる。


「む、娘さん。いや、その。わしには女房も娘もおるのでな」


「あたたかい……ふふ」


「離れなさい。離れなさいと言うに」


「いやです」


「いやですじゃなくて!」


結局ベンノはクロが寝息を立てるまで、固まったまま動けなかった。


火のはぜる音。川の音。夜風の音。


星が少しずつ空に増えていった。


*


翌朝。


「ほれ、行くぞ。森は昼までに抜けたい」


「はい」


荷馬車はのんびりと街道を進んだ。


クロはベンノの隣に座って、鞄の中の干し肉をかじっていた。


昼が近づくにつれて、道の両側に木々が増えていった。やがて頭上を葉が覆い、気温がすうっと下がる。


森に入ってしばらく経った頃だった。


『敵性反応、前方に十五。左右に十。後方に五』


クロがふと顔を上げた。


「ベンノさん」


「ん?」


「囲まれています」


「え」


荷馬車が止まった。


その瞬間、木々の陰からばらばらと人影が飛び出してきた。


手には剣と斧と棍棒。頭には黒い布を巻いている。


「止まれ止まれ! 荷物を置いていけ!」


「黒蛇団だ!」


ベンノの顔が青ざめた。


「しまった。も、もう出てきおったか。娘さん、荷物は諦めて、命だけでも」


「ベンノさん」


クロが静かに言った。


「無力化してもよろしいでしょうか」


「……え?」


「あの方々を殺さずに、おとなしくさせてもよろしいでしょうか」


「な、何を言っておる。相手は三十人だぞ」


「三十人です」


「いや、あの」


盗賊の首領らしい男が、前に出た。髭面の大男で、肩に黒い蛇の刺青をしている。


「ほう、嬢ちゃんがひとりで何だって? 面白え。おい、野郎ども。まずは身ぐるみ剥いでやれ」


「傍若無人な方々ですね」


クロは眉ひとつ動かさずにベンノのほうを向いた。


「ベンノさん。許可を…お願いします」


「……」


ベンノは口を半開きにして、クロの顔を見た。


青い瞳はまっすぐで、曇りがなかった。


どうしてだろう。この娘なら本当にやってしまう気がした。


「……や、やっておしまいなさい」


「承知しました」


クロは立ち上がった。


荷馬車の上からひらりと降りる。裸足の足が土の上にふわりと着いた。


「それでは、こらしめます」


*


一瞬だった。


クロは手のひらを前に向けて、ふっと息を吹くように広げた。


何も見えない。何も聞こえない。


ただ盗賊たちの口と鼻の中だけに、ごく小さな透明な気配が生まれた。


『無色無臭の昏倒ガスを、対象の口腔と鼻腔内にのみ発生。持続、約三十分。後遺症なし』


先頭の男の目がとろんと焦点を失った。


「あ……?」


バタン。


それを合図に盗賊たちが一人、また一人と、糸の切れた人形のように倒れていった。剣が手から落ち、斧が地面に転がる。叫び声を上げる暇もなかった。


二十九人がほんの数呼吸で眠りに落ちた。


立っているのは首領ひとりだけだった。


「な、何をした」


ベンノがかすれた声で尋ねた。


「眠っていただきました。ベンノさんには届かないよう、あの方々の口と鼻の中にだけです」


「そ、そんなことが」


「手品みたいなものです」


「て、手品?」


「はい。種も仕掛けもあります」


クロは首領のほうに向き直った。


「あなたはお話を聞くために残しました」


「て、てめえ」


首領が腰の剣を抜いた。その刃が柄のところからさらさらと崩れて砂になった。同時に足元の地面がすとんと抜けた。首領は首から下を飲みこまれ、顔だけが地面から突き出した。


「なんだこりゃあ! 動けねえ!」


「ば、化け物か!」


「失礼な。私は通りすがりの旅人です」


クロは首領の前に歩み寄り、にこりと笑った。


「あなた方は人から奪って生きてきましたね。因果応報です」


「ひ、ひい」


「迷惑料をいただきます。お財布と荷物の中のお金を、全部出してください」


「そ、そんな。もう空っぽで」


「そうですか」


クロは小首をかしげて、首領の顔をのぞきこんだ。


「では、身ぐるみをいただきましょう」


「へ?」


地面に大きな穴がひとつぽっかりと開いた。


眠ったままの盗賊たちが、まとめてそこへ吸いこまれていく。かわりに穴の縁へ上着、ベルト、ブーツ、腕輪、懐のナイフ、鎧の留め具がポイポイと吐き出されて山になった。肌着や下着までひとつ残らず積み上がっていく。


眠っているのは手下だけだ。顔だけ出した首領が、ひとりで真っ赤になって叫んだ。


「ぎゃあああ! やめろ! 俺の服を返せ!」


「見るな! 見ないでくれ!」


首領は首から下を埋められて、顔だけを出している。手下の二十九人は、大きな穴の底でグゥグゥ眠ったままだった。穴の中からはのんきないびきがいくつも聞こえてくる。みんな何も着ていないことは地面の下の秘密だった。


ベンノは思わず手を合わせそうになった。


「む、娘さん。地面が勝手に動いたぞ」


「手品みたいなものです」


「どう見ても手品ではないが」


「手品です」


「そ、そうか。容赦がなさすぎるぞ」


「悪事に容赦は不要です。それにどこかに金貨が隠してあるかもしれませんので」


案の定、上着の裏地や靴底から、銀貨や金貨がざらざらとこぼれ落ちた。首領の腹巻きの中には金貨が二十枚も入っていた。


「ほら、ありました」


盗賊たちがそろって項垂れる。


盗賊たちの手元から集まった銀貨と金貨の山を、クロは鞄の口へ入れる「ふり」をして、収納魔法の中へ丁寧にしまいこんだ。


「……ふむ。あとは荷物ですね」


盗賊たちが隠れ家に溜めていた荷物の中から、クロは一着の服を見つけた。


深い藍色の上着。旅の女性が着る仕立てのいい服だった。


「これもいただきます」


「そ、それは襲った馬車の商人の娘のもの」


「持ち主にお返ししないといけませんね。あとで衛兵に届けます。お返しするまでの間、少し借ります」


実際には持ち主を探すつもりだった。けれど今すぐ着替えたいのも本音だった。


白くて古い服はこの時代の人の目にはあまりにも目立つ。


茂みの陰で素早く着替える。


出てきたクロは藍色の上着に、黒い髪と青い瞳がよく映えていた。


「どうでしょうか、ベンノさん」


「ああ、いや、驚いた。似合っておる」


「ありがとうございます」


ベンノの足はまだ少し震えていた。


「娘さん。あんた、いったい何者だ」


「通りすがりの食いしん坊です」


クロは胸を張って答えた。


そしていびきをかく盗賊たちに向き直る。


「さて。この方々は衛兵に引き渡すまで、ここで反省していてもらいましょう」


クロが穴の縁を軽く踏みならすと、土の低い柵がせり上がって、穴をぐるりと囲んだ。中からは二十九人分のいびきが聞こえてくる。


「ベンノさん、町に着いたら、衛兵に連絡をお願いできますか」


「あ、ああ。もちろんだとも」


「ありがとうございます。それと」


クロはくるりと振り返った。


「お昼にはまだ間に合いますか。おなかが…すきました」


ベンノはぽかんと口を開けた。


それから腹を抱えて笑いだした。


「ははは! あんた、本当に面白い娘さんだ! 間に合うとも! 町に着いたら、うまい店を教えてやろう!」


「本当ですか。楽しみです」


クロの顔がぱあっと明るくなった。


荷馬車が再びのんびりと進みはじめた。


森の出口が見えてくる。その向こうにミルトの町の屋根が、小さく並んでいた。


クロは懐の革袋をそっと撫でた。銀貨と金貨の心地よい重みがあった。


「これでお酒がたくさん飲めます」


「娘さん、使いすぎないようにな」


「善処します」


その返事を聞いて、ベンノはなぜか嫌な予感がした。

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