『凛と猫』3
凛が一歩前へ出る。
それに合わせるように、ソファの周りにいた男たちも立ち上がった。
「おいおい。二人だけで来たのか?」
「うん」
凛はあっさり答える。
「猫を返してもらいに来ただけだから」
「だったら帰れよ」
「それはちょっと困るかな」
男が笑う。
「じゃあ、力ずくってことか?」
「できれば、そうしたくないんだけどね」
凛は困ったように笑った。
「君たちも、怪我したくないでしょ?」
「……舐めてんのか?」
「そうじゃなくて、私も人に怪我させたくないし」
凛は本当にそう思っているらしい。
澪はその横顔を見ながら、溜息をついた。
「凛」
「なに?」
「たぶん今の言い方、余計に怒らせてるよ」
「え、そう?」
「そうだと思う」
「そっか」
凛は少し考えてから、
「じゃあ、ごめん」
とあっさり男たちに言った。
「……」
「……」
男たちが黙り、澪も黙る。
凛だけが一人言葉を待っていた。
「いや、そうじゃなくて」
「難しいね」
「難しいねじゃないよ」
次の瞬間だった。
「ふざけんな!」
男の一人が凛へ向かって踏み込んだ。
凛は身を引かなかった。
伸びてきた腕を軽くいなし、その手首を取る。男の勢いを利用して身体を半回転させると、肩を押し下げた。
男の身体が、まるで足元をすくわれたように崩れる。背中から地面へ倒れ込んだ。
その直後、別の男が澪へ拳を振り抜いた。彼は腕を上げ、その拳を正面から受け止める。衝撃が腕を伝い、肩がわずかに揺れた。
男は苛立ちに眉間へ皺を寄せた。
その間にも澪は踏み込み、拳を男の腹へ叩き込む。
「……っ」
男の身体がくの字に折れた。それから力を失ったようにゆっくりと膝をつき、そのまま地面へ倒れ込んだ。
「大丈夫?」
「大丈夫だけど……なんでこうなっちゃうかな」
凛は笑っていた。
その隙を突くように男の一人が、凛へ向けて手をかざした。
「燃えろ!」
手から火球が飛び出す。
澪が息を呑むより早く、凛の左腕に嵌められていたブレスレット型のデバイスが淡く光った。
魔法と科学を融合させた携帯端末――アークレット。普段はただの装飾品にしか見えないそれが、短い電子音を響かせる。
次の瞬間、凛の手元に一振りの刀が現れた。鞘に収まったままの刀身が、火球を横から弾き飛ばす。
火球は壁へ逸れ、石壁にぶつかって弾けた。
「なっ……」
男が驚く。
「なら、これはどうだ!」
別の男が両手を広げた。足元に魔法陣が浮かび上がる。
無数の風の刃が、凛へ向かって放たれた。
凛は一歩踏み込んだ。刀を抜く。銀色の軌跡が走った。
一閃。二閃。三閃。
飛来した風の刃が、すべて弾き飛ばされる。切り裂かれた魔力が霧のように散り、凛の周囲で消えていった。
「くそっ!」
「ごめんね」
凛は穏やかに言った。
「そのくらいなら、当たらないよ」
男がさらに魔法を唱える。地面から土の槍が突き出した。
凛は身体をひねってかわし、刀の鞘で槍を叩き折る。続けて放たれた雷撃も、炎の矢も、凛の刀に触れることすらできなかった。
魔法が飛ぶ。凛が弾く。また魔法が放たれる。凛がすべてを打ち払う。
その動きはあまりにも滑らかで、まるで最初から魔法の軌道が見えているようだった。
「ちくしょう!」
最後の一人は、澪へ向かって魔法を放った。
青白い光弾が、目の前まで迫る。
澪は左手を突き出した。手のひらの前に、薄い光の膜が展開される。直後、光弾がぶつかり、甲高い音を立てて弾けた。
衝撃で腕が痺れる。けれど、防げた。
「ちょっと弱過ぎたかな?」
呟きながら澪はそのまま男へ駆け寄った。
「な、なんだと!」
男が次の魔法を唱えようとするが間に合わない。
澪は拳を握り、男へ叩き込んだ。
「ぐっ……!」
男の身体が宙を舞い地面へと落ちていく。
「さすが澪」
凛が、わざとらしくぱちぱちと拍手をした。
「ちゃんと間髪入れずに近づけたね。えらいえらい」
「……褒め方が子どもみたいなんだけど」
「でも、ちゃんと防いでから殴ったでしょ?」
「褒めるなら普通にしてよ」
「うんうん。偉い偉い」
凛が楽しそうに笑う。
別に褒めてほしくてやったわけではない。必要だったから動いただけだ。凛だって、それくらい分かっている。分かっているからこそ、わざと子ども扱いしている。
「全く……」
「ほら、照れてる」
「照れてない」
「じゃあ、もう一回褒めようか?」
「いらないよ」
二人の周りには手下の男達が転がっていた。誰一人として死んではいないが立ち上がる事はできない。
「中々やるじゃねーか」
大柄な男が立ち上がった。
猫をソファへ放り出し、両手に魔力を集める。周囲の空気が震えた。
「まとめて吹き飛ばしてやる!」
巨大な魔法陣が、男の足元に浮かび上がる。
凛は刀を構えた。
「それは、ちょっと危ないね」
魔法陣から、濃密な魔力の塊が放たれる。
澪は何食わぬ顔で、しれっと凛の背後へ回った。
凛は正面から踏み込んだ。刀を振り上げ、落とした。魔力の塊が、真っ二つに割れた。凛の左右を通り過ぎた魔力が、背後の壁へぶつかって消える。
男が目を見開く。
「なっ……」
「ごめんね」
すぐさま接近した凛は刀を返した。刃ではなく、刀身の背を使う。
男の腹へ、鋭い峯打ちが入った。
「ぐっ……」
大柄な男の身体が止まる。
次の瞬間、力が抜けたようにその場へ崩れ落ちた。
凛は倒れた男を見下ろし、刀を下ろした。
「これで終わりかな」
澪は周囲を見回した。男たちは全員、床に倒れている。誰も動かない。
「……気絶してるね」
「しばらく起きないでしょ」
凛のブレスレット型デバイスが再び光る。刀が淡い粒子になって消え、元のブレスレットへ戻った。
澪はその様子を見ながら、ようやく息を吐いた。
「凛が本気を出すまでもないね」
「そうだね。あたしが本気を出すほどじゃないかな」
凛はわざとらしく胸を張った。いかにも自分は強いのだと誇示するような仕草だったが、その口元には冗談めいた笑みが浮かんでいる。
「やっぱり」
「でも、手は抜いてないよ」
「どういうこと?」
「使える力を全部使ってるわけじゃないけど、今の私にできることはちゃんとやってるから」
凛はそう言って、小さな刀の装飾がされたブレスレットを軽く振った。
「相手を傷つけすぎないようにするのも含めてね」
「……凛らしいね」
「そうかな」
「うん」
「それに今回は澪もいるし。本気は余分だよね」
「僕のシールド、一回防いだだけでもう消えかけてるけど」
「でも、ちゃんと調節できたってことじゃん。えらいえらい」
「……その褒め方、子ども扱いしてるでしょ」
「頑張って練習したもんねー」
「もうそれ止めてくれる?」
「だって楽しいじゃん」
「はぁー」
実際、戦いに余裕がなかったわけではない。澪一人でも、あの程度の相手なら十分に対処できていた。
それでも、凛が隣にいたことで、落ち着いて動けたのは確かだった。
するとソファの上で、猫が小さく鳴いた。
「にゃあ」
凛が振り返る。
「ほら。ミケも待ってる」
「名前、白黒なのにミケなんだよね」
「まだ言ってる」
「いや、改めて気になって」
凛は猫を抱き上げた。
「じゃあ、帰ろうか」
「うん」
澪は倒れた男たちを見た。
「この人たちはどうするの?」
「まぁいずれ起きるでしょ」
「それでいいの?」
「これぐらい慣れっこって顔してるし」
「適当過ぎない?」
「大丈夫だよねー」
凛はそう言って、腕の中の猫を撫でた。猫は気持ちよさそうに目を細めている。
澪はその様子を見て、少しだけ笑った。
どうやら、猫探しは今度こそ終わりそうだった。
「にゃあ」
「ほらミケも早く帰りたがってる」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶんなんだ」
「猫の気持ちは分からないから」
二人は路地を抜けた。
商店街へ戻ると、さっきまでの騒ぎが嘘のように人で賑わっていた。魔石の灯りが石畳を照らし、人々が何も変わらない日常を歩いている。
凛も猫を抱いたまま、その中を歩いていていた。
「あっ、この子が澪はもっと堂々とするべきだって言ってる」
「それ凛が思ってるだけでしょ」
「この子の顔を見ればわかる。あたし猫の気持ちわかるんだよねー」
「さっき分からないって言ってたじゃん」
「言ってないにゃー」
「言ったよ」
そんなことを話しながら、二人は依頼人の家へ向かった。
*
「ミケ!」
玄関を開けた瞬間、飼い主が駆け寄ってきた。
凛が猫を差し出す。
「お待たせしました」
「ありがとうございます!」
飼い主は猫を抱きしめる。ミケは安心したように、その腕の中で喉を鳴らした。
「本当に……よかった」
「元気でしたよ」
「ありがとうございます。本当にありがとうございます」
何度も頭を下げられる。
澪は少し照れくさくなって、頭を掻いた。
「いえ。僕たちは仕事なので」
隣を見る。凛は嬉しそうに笑っていた。
「見つかってよかったね」
「そうだね」
依頼人が何度も礼を言う。二人はそれを受け取り、家を後にした。
ハイフェイズの街には、青白い魔力の灯りが浮かんでいる。
夕方にはまだ少し早い。人々はいつも通り行き交っていた。
「終わったね」
凛が伸びをする。
「うん」
「猫一匹なのに、ずいぶん走ったなあ」
「凛が走ったからでしょ」
「君も走ってたじゃん」
「追いかけないと置いていかれるし」
「じゃあ、次からもっと速く走ろう」
「次も猫なの?」
「どうだろうね」
凛が笑う。澪もつられて笑った。
そのとき、ポケットの中でスマートフォンが震えた。
画面を見ると、モノクルからの新しい依頼通知だった。
「……凛」
「ん?」
「もう次の依頼来てる」
「えっ、早くない?」
「僕もそう思う」
二人は顔を見合わせる。
そして。
「まぁ今日はもう帰ろうか。明日にしよう」
「そうだね。別に急ぎじゃなさそうだし」
並んで歩き出す。魔法の灯りに照らされた街を、二人の影が伸びていく。
今日もまた、現異区域の日常は続いていた。




