『終焉社より愛を込めて』2
東側。商業区画へ近づくにつれ、騒ぎは大きくなっていた。
「こっち!」
「早く逃げて!」
通りを、人々が駆けていく。その足元を――小さな影が走り抜けた。
「……ん?」
フェルリスが、目を細める。
次の瞬間。建物の陰から、三匹の魔物が飛び出してきた。犬ほどの大きさ。四つ足で、鋭い牙を持つ。
「魔物だ!」
誰かが叫ぶ。
しかし、一匹ではない。別の路地からも、同じ魔物が何匹も飛び出してくる。
「うわ、いるいる」
アークレットが光り、フェルの両手には双剣が握られていた。
さらにその向こう。羽音が聞こえた。空から、小さな翼を持った魔物が群れになって降りてくる。
「コウモリみたいなのまで……」
凛が、刀を構える。
その足元では、今度はネズミのような魔物が何匹も道路を横切った。
「種類もバラバラか」
フェルリスが、笑う。
「多すぎんだろ、これ」
魔物たちは、強いわけではない。だが、数が多い。そして――街中に散らばっている。人を襲うもの。店へ入り込むもの。車の上を走り回るもの。逃げる人々を追いかけるもの。
一体一体なら、大した脅威ではない。それでも、これだけの数が一度に現れれば、街は簡単に混乱した。
「凛!」
「分かってる!」
凛が走る。一匹の魔物が、少女へ飛びかかった。
「危ない!」
凛の刀が閃く。魔物を弾き飛ばす。
「大丈夫?」
「う、うん……」
「そのまま走って!」
少女が逃げていく。その横から、別の魔物が飛び出した。
「――っと!」
凛が振り返る。斬る。さらに一匹。斬る。
「次!」
フェルリスも、別方向で剣を振るっていた。
「おらっ!」
一匹を蹴り飛ばす。
「そらっ!」
もう一匹を斬り払う。上から飛んできた翼持ちの魔物を、逆手に持った剣で叩き落とす。
「……キリがねぇ!」
「でも、強くはないね!」
「それが余計にめんどくせぇ!」
フェルリスが叫ぶ。
凛は、周囲を見渡した。
「フェル、あっち!」
「了解!」
二人が同時に走る。魔物の群れが、商店の中へ入り込もうとしていた。
「入れさせるな!」
凛が、先頭の魔物を斬る。フェルリスが横から飛び込む。
「まとめてどけぇ!」
双剣が、左右から走る。魔物たちが、散り散りに逃げていく。
「逃げたぞ!」
「追わないで!」
凛が叫ぶ。
「まず人よ」
「そーだな」
二人は、すぐに避難誘導へ戻った。
その間にも。別の通りから、魔物の群れが現れる。
「……まだ来る」
凛が呟く。
「そりゃそうだろ」
フェルリスが、剣を構え直す。
「終わるまで、ぶった斬りゃいい」
西側。こちらも、状況は似ていた。
「魔物がいる!」
「こっちにも!」
住宅街を、小型の魔物たちが走り回っている。犬ほどの四足獣。猫ほどの大きさで屋根を跳ね回る魔物。さらに、蛇のように細長い魔物までいる。
どれも、単体なら脅威と呼ぶほどではない。だが――
「数が多いな……!」
堂真が、一匹を正面から殴り飛ばした。
「おらっ!」
魔物が地面を転がる。その直後、横手から別の魔物が飛び込んできた。
「後ろ!」
澪の声。
堂真が振り返りざまに腕を振る。牙を剥いた魔物を弾き飛ばした。
「助かった!」
「うん」
澪も、そのまま走る。逃げ遅れた住民の前へ出ると、足元を駆け抜けようとした魔物を蹴り飛ばした。
「こっちです!」
住民を、安全な場所へ誘導する。
しかし、その背後から羽音が近づいてきた。
「……!」
澪が振り返る。小型の翼を持った魔物が、三匹まとめて襲いかかってきた。
「三匹も!」
澪が腕を振る。一匹を叩き落とす。残り二匹が、左右から回り込む。
「くっ……!」
それをなんとか避けた。だが、そのうち一匹が住民へ向かう。
「させるか!」
堂真が飛び込んだ。拳が魔物の横っ面を捉える。翼持ちの魔物が、道路へ叩き落とされた。
「大丈夫か?」
「は、はい……!」
「なら、早く逃げろ!」
住民が走っていく。堂真は、息を吐いた。
「ったく。小さいくせに、すばしっこいな」
その足元を、蛇のような魔物が這っていく。
「おっと」
踏みつけようとした瞬間、魔物が跳ねた。
「うわっ!」
堂真が身体を反らす。その横から、澪が腕を振り抜いた。
「えいっ!」
魔物が吹き飛ぶ。
「ナイス、澪!」
「……僕も、これくらいなら」
少しだけ自信を持ったように笑う。
だが。屋根の上から、さらに何匹もの魔物が飛び降りてきた。
「……また?」
澪が身構える。
堂真も、拳を構えた。
「こいつらくらいなら、いくら来ても――」
一匹。二匹。三匹。殴り飛ばす。蹴り飛ばす。掴んで放り投げる。
それでも、魔物は減らない。むしろ、路地の奥から次々と姿を現していた。
「……いや」
堂真が周囲を見る。屋根。路地。車の下。庭先。家の塀の向こう。至るところに、小さな影がいる。
「多すぎだろ……」
澪が、その光景を見ながら、ぽつりと呟いた。
「堂真さん」
「ん?」
「これ……僕ら、魔法使えないのに」
澪が、魔物の群れを見る。
「フェルさんか凛と組んだ方が、良かったんじゃ?」
「あー……」
堂真が、一瞬だけ考える。
「確かに、魔物と戦う時は魔法ありきだったもんな」
魔物へ拳を叩き込みながら続ける。
「所長も、そこまで頭が回らなかったんだろう」
「……やっぱり、そうですよね」
「だが――」
堂真が、一歩前へ出る。向かってくる魔物を、拳で真正面から弾き飛ばした。
「今は、やるしかない」
澪が、堂真を見る。そして、小さく頷いた。
「うん」
次の瞬間。左右から、魔物が飛びかかってきた。
「右に行く!」
「任せて!」
堂真が、右の一匹を殴り飛ばす。澪が左の一匹を受け止め、そのまま地面へ叩きつける。
さらに後ろから三匹。
「まだ来るぞ!」
「分かってます!」
堂真が、一匹を蹴り上げる。空中へ浮いたところへ、澪が跳んだ。
「おりゃ!」
拳が直撃する。魔物が、屋根の上まで吹き飛んでいった。
「やるじゃねぇか!」
「堂真さんこそ!」
しかし、二人が息をつく暇もない。別の路地から、また群れが現れる。犬のような魔物。翼を持つ魔物。地面を這う魔物。種類の違う小型魔物が入り混じり、住宅街を埋めていく。
「……なるほど」
堂真が拳を構える。
「数で押してくるってわけか」
澪も、隣へ並んだ。
「なら――」
「全部止めるぞ」
「りょーかい!」
二人は、同時に駆け出した。
東も西も。現れた魔物そのものは、決して強くない。けれど、その数はあまりにも多かった。
*
その頃。終焉社の一室では――。
「かんぱーい!」
「乾杯!」
街が燃えているわけでもない。世界が滅びたわけでもない。ただ、そこかしこで人々が逃げ惑い、悲鳴を上げている。――それだけだった。
だというのに。部屋の中では、宴が開かれていた。
壁一面のモニターには、クロスタウン各地の映像。逃げる人々。道路を走り回る魔物。避難誘導をする警察官。魔物を殴り飛ばす堂真。剣を振るう凛とフェルリス。
そのすべてを、二人は酒の肴にしていた。
「いやぁ、最高ですねぇ!」
黄昏卿が、腹を抱えて笑う。
「見てください、ルード! あの人、さっきから同じところを三周していますよ!」
「ほんとだ!」
魔王ルードも大笑いする。
「道が分かってねぇのか!」
「たぶんパニックでしょうねぇ!」
「あはははは!」
二人の笑い声が、部屋に響く。
モニターの中では、泣きながら誰かを探している女性がいた。黄昏卿は、それを見ながらポテトを一つ摘まむ。
「おや」
「ん?」
「今度は、あちらが面白いですよ」
「おお!」
二人の視線が、一斉に別の画面へ向く。
逃げていた男が転ぶ。起き上がろうとする。そこへ、小型の魔物が迫る。
「危ねぇ!」
魔王ルードが叫ぶ。
だが、その直後。警察官が飛び込み、魔物を蹴り飛ばした。
「おおー!」
魔王ルードが拍手する。
「惜しい!」
「惜しい、じゃありませんよ」
黄昏卿も笑っている。
「助かってしまいました」
「次は、助からねぇかもな!」
「それは、楽しみですねぇ」
黄昏卿は、酒を口に含んだ。まるでスポーツ観戦でもしているような顔だった。
「しかし、警察も頑張りますね」
「頑張ってるな!」
「人を助けるのが仕事ですからねぇ」
「じゃあ、次はもっと魔物増やしてやるか?」
「いいですねぇ」
二人とも、何のためらいもなく笑う。
そして魔王ルードが肉を掴む。
「おい、黄昏卿。こっち食え!」
「何です?」
「さっき焼いたやつだ!」
「おお、美味しそうですね」
「だろ?」
黄昏卿も、肉を取る。その背後では、モニターの中で人々が必死に逃げている。
「うん。美味しい」
「だろ!」
「実にいい宴ですねぇ」
「街も賑やかだしな!」
「ええ」
黄昏卿は笑いながら、モニターを眺める。
そして――ふと。
「……ただ」
「ん?」
声が変わった。
「まだですね」
魔王ルードも画面を見る。
「何が?」
「ズールーです」
それまでの笑顔が、ほんの少しだけ消える。
「やっぱり、この程度では出てこないですか」
魔王ルードが、肉を齧りながら首を傾げる。
「そんなにすげぇのか?」
「分かりません」
黄昏卿は、素直に答えた。
「私たちも、詳しいことは知りませんから」
その目だけが、笑っていなかった。
「ですが、特務課のさらに奥にいる部隊です」
モニターを見つめる。
「この程度の騒ぎでは動かない――そういう存在のようですね」
「へぇ」
「少し期待していたんですが」
黄昏卿は、残念そうに肩を落とす。
「……見てみたいですねぇ」
魔王ルードが、ニヤリと笑う。
「じゃあ、もっと派手にするか?」
「そうしたいところですが」
黄昏卿は、一瞬考えて――
「今日はやめておきましょう」
「なんでだ?」
「せっかくですから、もう少し観察しましょう」
そして、いつもの笑顔に戻る。
「人間というのは、追い詰めれば追い詰めるほど面白いですから」
「お前は悪魔だな」
「魔王に言われたくありませんよ」
「そりゃそうだ」
二人は同時に笑った。
「じゃあ、もう一杯!」
「ええ、もう一杯!」
カンッ!杯がぶつかる。
「頑張れー!」
魔王ルードが、モニターへ叫ぶ。
「逃げろ逃げろ!」
「そこです! 右ですよ!」
黄昏卿まで、声を上げる。
「そっちは行っちゃ駄目です!」
「おい! そいつ後ろ!」
「あはははは!」
「ははははは!」
助かれば笑い。逃げれば笑い。転べば笑い。誰かが襲われれば、それすら酒の肴にする。
街の混乱など、彼らにとってはただの余興だった。そして――その余興が、いつまで続くのか。それだけを楽しみに、二人は杯を重ねていた。
*




