『ハイクロスタウンの外』2
街を出た先には、緩やかな丘陵と広大な森が広がっていた。遠くには、山々が連なっている。街の中では建物に遮られていた風が、何の障害もなく吹き抜けていった。
草木の匂い。土の匂い。遠くから、鳥の声が聞こえてくる。
澪は一度振り返った。
巨大な城壁の向こうに、先ほどまで歩いていた街が見える。高層建築と古い石造りの建物。その間を走る道路。ところどころに見える魔法の光。
街の外から見ると、それらが奇妙なくらい、一つにまとまって見えた。
「やっぱりよく考えると変だよね」
「何がだ?」
堂真は、前を向いたままだった。
「ローとハイが、入れ替わるって」
「お前にとっては、生まれた時からそうだろ?」
「確かに、これが当たり前だけど……前に公園で会ったおじいさんの話を聞いて、そうなのかなって思って」
「それが、クロスタウンだ」
「それ、答えになってる?」
「なってるだろ」
堂真が笑う。
ミレシアも二人のやり取りを聞きながら、穏やかに笑っていた。
「この辺りは、昔からあまり変わっていませんね」
「ミレシアさんって、ハイ生まれだっけ?」
「そうですよ。森の中に大体十年ほど住んでいました」
「街じゃなかったんだ」
「ええ。なので、薬草もよく探していましたし、今でもたまに来ますね」
「一人で?」
「一人の時もありますよ」
「怖くないの?」
ミレシアは少し考えた。
「慣れていますから」
「魔物とか出るのに?」
「魔物にもよりますね」
そう言って、ミレシアは森の方へ目を向ける。
「こちらから何もしなければ、向こうも何もしない子も多いですから」
「……子って」
澪が苦笑した。
「魔物だよ?」
「ええ、分かっていますよ」
ミレシアは、楽しそうに笑った。
やがて三人は、森へ入った。木々の間から差し込む陽射しが、地面にまだらな影を落としている。足元には名前も知らない草花が咲き、木の幹には小さな茸がいくつも生えていた。
「こういうのも、全部薬草なの?」
「いいえ。似ていても、毒を持っているものがあります」
「じゃあ、素人が勝手に採るのは危険か」
「そうですね。だから、知識が必要なんです」
ミレシアは歩きながら、道端の植物をいくつか指差していく。
「これは食用。こちらは傷薬に。あちらは煎じれば熱冷ましになります」
「えっ! 全部分かるの?」
「長く見てきましたから」
「すごいな……」
澪が感心していると、堂真が口を挟んだ。
「お前も、少しくらい覚えとけ」
「いや、僕は戦う方が専門なんで」
「おっ! よく言った!」
「ごめんなさい。やっぱり今のなしで……」
「お前は、知識より先に、もっと自信を持つべきだな」
「……善処します」
二人のやり取りに、ミレシアが笑いを零す。
森の奥へ進むにつれ、道は少しずつ険しくなっていった。木々の間から見える空が狭くなり、鳥の声も遠くなる。踏みしめる下草の音だけが、やけにはっきりと響いた。
「この先です」
ミレシアが言った。
「洞窟だったっけ?」
「えぇ、もう少しですね」
やがて木々の間から、岩肌が見えてきた。
「あれです」
ミレシアが指差す方では、大きな洞窟が口を開けていた。
「この奥に?」
「はい。以前見つけたときは、かなり奥の方にありました」
ミレシアは洞窟を眺め、それから周囲へ視線を向ける。
「……あら」
「どうした?」
「少し待ってください」
ミレシアが道端へ歩いていく。しゃがみ込み、草むらを覗き込んだ。
「この辺りに、珍しい薬草があるみたいです」
「キノコより、薬草を優先するのか?」
堂真が苦笑する。
「せっかく見つけたものですから」
「まあ、ミレシアらしいけど」
澪も苦笑した。
「じゃあ、僕たちは先に行ってようか」
「お願いします。採り終わったら、追いかけますね」
「了解」
堂真が頷く。
「気をつけろよ」
「はい」
ミレシアは笑って手を振った。
そして堂真と澪は、洞窟へ向かった。
中は薄暗かった。外から差し込んでいた光が途切れると、途端に周囲の音が遠くなる。ひんやりとした空気が肌に触れ、湿った土と、かすかな獣の匂いが鼻をついた。
「……思ったより深いな」
堂真が呟いた。
「ミレシアさん、よくこんなところ知ってたな」
「ここら辺は、庭みたいなもんなんだろうな」
「なるほど」
二人は奥へ進んでいく。
足音が、岩肌に反響して二重に聞こえた。しばらくすると、澪が足を止めた。
「……堂真さん」
「ああ」
堂真も、気づいていた。
奥から、何かの唸り声が聞こえる。低くく、地面を震わせるような音だった。
「魔物……」
「みたいだな」
二人は、慎重に進む。
そして、洞窟の奥へ出た。
壁際には青白い光を放つキノコが群生している。
「あれだ」
目的のキノコ。
しかし、その手前に、巨大な影があった。
「……でか」
澪が呟く。
大型の魔物だった。全長は、堂真の背丈をゆうに超えている。その周囲には、さらに小さな魔物が何匹も蠢いていた。
一匹。二匹。三匹――数える意味がないほどいる。
大型の魔物が、ゆっくりとこちらを向いた。鋭い牙が覗く。
「巣にしてるみたいだな」
堂真が拳を握った。
「澪」
「うん」
「小さい方、頼めるか? 戦う専門だろ?」
その言い方には、悪意も皮肉もなかった。ただ、当然のことのように、澪の実力を信じている口調だった。
「……任せて」
次の瞬間――大型の魔物が地面を蹴った。轟音とともに、巨体が迫る。
堂真が前へ出た。
「――来い!」
拳を握る。身体から炎が噴き上がった。振り下ろされた爪を、真正面から受け止める。
「ぐっ……!」
地面が沈む。凄まじい重量だった。それでも堂真は押し返す。
「……重てぇな!」
爪を弾き、そのまま拳を振り抜く。炎を纏った拳が、魔物の胸へ叩き込まれた。巨体が僅かによろめく。だが、すぐに態勢を立て直した。
その周囲では、無数の小型の魔物が澪へ群がっていた。
「澪!」
「分かってる!」
澪は、一体の突進を横へ躱す。すぐ後ろから、別の個体が飛びかかってきた。振り返りざまに、拳を振る。
『《アーク》』
透明な魔法壁が展開され、更に別方向からの魔物が勢いよく弾き返される。
『《ベレッタ》』
そこへ、圧縮した魔力弾を撃ち込む。魔物が地面へ落ちた。
だが、休む暇はない。左右から二体。正面から一体。さらに奥からも、次々と小型の魔物が姿を現す。
澪は一歩下がった。背中が、洞窟の壁に触れる。
「多すぎるって……!」
一体が飛び込んできた。身体を捻ってかわす。そのまま懐へ入り込み、拳を叩き込んだ。打ち上がった魔物へ、もう一発。
別の個体が横から迫る。
「っ!」
腕で受け止める。爪が服を裂いた。皮膚に、薄く熱が走る。澪は顔を顰めながら、その腕を掴んだ。
「――どけ!」
『《ヴェロス》』
身体強化で力を込め、そのまま地面へ叩きつける。
だが、その隙に別の魔物が背後へ回り込んでいた。
澪が振り向く。
間に合わない。
魔物の爪が迫る。
『《アーク》』
間一髪で、間に合った。爪がぶつかり打ち鳴らす。澪の身体が、僅かに押された。
「くっ……!」
そのまま《アーク》を解除する。
『《ベレッタ》』
弾かれた魔物へ、魔力弾を連続して撃ち込んだ。
一発。二発。三発。魔物が倒れる。
だが、その奥には、まだ無数の影が蠢いていた。
澪は、息を呑む。
「……本当に、何匹いるんだよ」
それでも、足は止めない。
前へ出る。魔物の爪をかわす。拳を叩き込む。蹴り飛ばす。飛びかかってきた一体を《アーク》で弾き、横から迫った別の一体へ《ベレッタ》を撃つ。
一体倒れる。また一体。それでも、次が来る。
その向こうでは、堂真が大型の魔物と激しくぶつかり合っていた。
「踏ん張れよ!」
堂真が叫ぶ。
「分かった!」
澪は再び、小型の群れへ向き直った。
大型の咆哮が、洞窟を揺らす。同時に、小型の魔物が一斉に飛びかかってきた。
「……っ!」
澪は息を吸った。
怖い。身体が強張る。
けれど。
「逃げるな……!」
自分に言い聞かせる。
踏み込む。
『《ヴェロス》』
一瞬で距離を詰める。先頭の魔物を殴り飛ばし、その勢いのまま次の一体へ回り込む。《ベレッタ》を至近距離から撃ち込む。
さらに一体。また一体。倒しても、まだいる。
それでも澪は止まらなかった。
その背後で、堂真の拳が、大型の魔物へ叩き込まれる。炎が洞窟を照らした。
澪は一瞬だけ、そちらを見る。
「……堂真さんも、戦ってる」
なら、自分も。澪は再び、群れへ飛び込んだ。




