白亜の騎士たち
夕映えの茜空を背に、エルシオン王国前線基地の丸太を組んだ櫓門が、軋みを上げて左右へと押し開かれた。土塁と尖らせた丸太の逆茂木で囲われただけの、泥にまみれた急造の陣地である。
境界峡谷の隘路を啓開し、高台の砲台を制圧して戻った第7小隊を、迎えた守備兵たちが労いの声をかけながら迎え入れる。初陣の任務を果たした安堵が陣地に漂っていたが、アルスの胸の奥は晴れやかではなかった。
視界の端を、峡谷から連れ帰った先遣斥候の遺体が、白布を被せられて救護幕舎へと静かに運ばれていく。その冷たい白さに、アルスは痛みを堪えるように奥歯を噛みしめた。小隊長として弱音は見せられないと、泥に汚れた革手袋を握り締め、口元を引き締める。
「みんな、本当にお疲れさま。僕の未熟な指揮を支えてくれたおかげだよ」
「何を謙遜してやがるんだ、アルス!」
背後から豪快に笑いながら、重斧騎士ガウェインが太い腕でアルスの背中を叩いた。
「崖を駆け上がって高台の砲列をまとめて薙ぎ払った、あの《太陽剣》の一閃。見事な太刀筋だったぜ。レグルス隊長がここにいれば、きっと目を細めて自慢の息子を褒めちぎったに違いねえ」
「ガウェイン……ありがとう。でも、君の大盾が前線を支えてくれたからこそ、僕は迷わず踏み込めたんだ」
二人のやり取りを、白魔導士エレアが温かな眼差しで見守っていた。
「アルス様、幕舎で休まれる前に、念のため魔力の消耗を診させてくださいね。怪我はなくとも、初めての全力戦闘で神経が昂ぶっているはずですから」
「ありがとう、エレア。君の温かい癒やしの光には、いつも救われているよ」
賑やかな仲間たちの輪から離れた物見櫓の上に、漆黒の外套を羽織った魔剣士ヴェルが佇んでいた。
夕風に黒布をなびかせ、銀の半面仮面の奥から、笑い合う若者たちの姿を静かに見下ろしている。
互いの無事を確かめ合い、肩を叩き合うアルスたち。その声が風に乗って届くたび、仮面の下で細い呼気がひとつ、茜色の空へほどけていった。
黒革の手袋を嵌めた指先が、外套の胸元をそっと押さえ、確かめるように握り締めてから、静かに離れる。
ヴェルはその輪に加わることなく、背を向け、やがて宵闇に沈みゆく東の山嶺へと視線を移した。
夜の帳が下り、幕舎の間に開けた陣中の広場で、大きな篝火が焚かれた。
戦士たちが車座になり、鉄鍋の麦粥を椀に受けていく。麦の焦げた匂いと、底からすくい上げた干し肉の塩気。誰かが薪を足すたび、火の粉がぱちりと爆ぜて夜空へ昇った。
「しかし、見事な初陣でしたぜ、隊長」
麦粥をすすっていた古参の槍兵が椀を置き、にやりとした。
「ただ、突撃前に隊列の間隔を三度も測り直されたのには参りました。こちとら槍を構えたまま、じりじり待たされましてね」
「……あれは、東の斜面からの投石の射程を計算し直していたんだ」
「で、一発も届かなかった。さすがは士官学校の首席様だ」
車座にどっと笑いが弾けた。アルスが決まり悪そうに首の後ろを掻くと、
「動かないでください、アルス様。傷口に軟膏を塗っているのですから」
隣に腰を下ろしたエレアが、アルスの右腕を引いた。籠手を外し、剣蛸の破れた手のひらと手首の擦り傷へ、青白い薬草の軟膏を小匙で丁寧に塗り広げていく。清涼な草の匂いが、革の焦げた鼻腔を抜けた。
「この人は、いつもこうなのです。石橋を十回叩いて、それでも渡るのをためらうくらい慎重で」
「エレア、味方のはずだろ……」
アルスが情けない顔で抗議すると、
「へっ、そのくせ飯の食い方はいまだに子供のままだぜ」
ガウェインが大盾の留め革を目打ちで締め直す手を止め、自分の椀から分厚い赤身肉をつまみ上げると、アルスの椀の脂身とひょいと交換した。
「ほらよ。お前、昔から脂身が喉を通らねえだろ」
「あ……助かるよ、ガウェイン」
「当たり前だ、誰がガキの頃から飯を食わせてやったと思ってんだ。稽古帰りに食堂へ連れてった時も、脂身だけ器用に残して俺の皿に押し付けてただろうが」
「ふふ、孤児院の食堂でもそうでしたよ。好きなものばかり先に平らげて、苦手な人参を最後までお皿の隅に残していましたもの」
「二人して昔の話を持ち出さなくても……」
頭を抱える若き小隊長を囲んで、兵士たちの笑い声が夜空へ心地よく溶けていった。油布で大戦斧の刃こぼれを研ぎ落とすガウェインの鉄の匂いと、温かい粥の湯気が、冷え込み始めた前線の土を包み込んでいた。
その時、外柵の哨戒に出ていた斥候の一人が、篝火の輪へ足早に戻ってきた。
「小隊長、周辺の巡回を終えました。帝国の本隊らしき動きはありません。……ただ、国境回廊の東側山嶺に、不自然な夜霧の滞留が観測されています。風もないのに、あの一帯だけ霧が淀んで動かないと、見張りが」
「ご苦労さま。念のため、東の見張りをもう一人増やしておこう。まずは温かいものを口にして体を休めてくれ」
アルスは鉄鍋から湯気立つ麦粥を木椀にたっぷりとよそい、兵へ手渡した。かじかんで赤くなった両手で椀を包み込むと、兵の強張っていた頬が、湯気の向こうでようやくわずかに緩んだ。
ふと視線を転じると、賑やかな篝火の輪から遠く離れた物見の岩場に、漆黒の外套が風を孕んで立っていた。
ヴェルだった。銀の仮面の奥から、風下の山嶺を一人見据えたまま、一度として車座の方を向こうとはしない。
アルスは椀になみなみと注がれた麦粥を手に、静かに岩場へと歩み寄った。
「ヴェル殿。火のそばへ来ませんか。温かい麦粥があります」
ヴェルは視線を山嶺に向けたまま、動かなかった。
「……気を遣うな、小隊長。見張りが一人欠ければ、夜霧は容易に柵を越える。指揮官が輪を離れるな」
「そう言わずに。指南役の的確な助言がなければ、僕たちは峡谷の死角に潜む伏兵に気づけませんでした。貴方は僕たちの命の恩人です」
アルスが湯気立つ木椀を差し出すと、ヴェルはわずかに眉を寄せ、逡巡の末に手袋越しにそれを受け取った。
熱い粥を、無言のまま口に運ぶ。
仮面の隙間から覗く口元が、わずかに緩んだように見えた。
「……礼を言う。お前たちの連携、悪くなかったぞ。特にガウェインの大盾の捌きと、エレアの引き際の見極めは、初陣の部隊としては極めて上出来だ」
「ありがとうございます。でも、僕自身の剣筋には、まだ無駄が多いと感じました。敵の魔導兵器と切り結んだ際、踏み込みが一瞬遅れてしまって……」
真剣な眼差しで自らの課題を語るアルスに、ヴェルは空になった木椀を静かに返しながら、低く穏やかな声で語りかけた。
「焦る必要はない。剣とは技術だけではなく、己の心と肉体が調和して初めて真の威力を発揮するものだ。お前は父の影を追い、早く一人前の英雄になろうと肩に力が入りすぎている」
「……父の影……」
「お前の父、レグルス聖騎士長は偉大な騎士だった。だが、お前はお前自身の足で立ち、仲間を守る剣を磨けばいい。誰かの模倣になる必要はないのだ」
手渡された空の椀は、底に微かな温もりを残していた。
その言葉は、アルスの胸の奥深くに眠っていた迷いを、春の陽光のように優しく溶かしていった。
なぜ素顔も明かさぬこの客員指南役は、これほどまでに自分の心を正確に見抜き、言葉をかけてくれるのか。
十五年前に消えた父の面影を重ねずにはいられない包容力と、背中で風を受けるその佇まい。幼い頃、夜営の焚き火の縁で見張りに立っていた父の広い背中が、目の前の黒衣の男と奇妙なほどに重なって見えた。
(ヴェル殿は……僕のことを、ずっと昔から知っているような気がする)
夜風が吹き抜け、世界樹の葉が擦れ合うような神聖なざわめきが、遠くの森から届いていた。
アルスは首元の日輪ペンダントにそっと触れ、満天の星空を見上げる。
(父さん、僕にはこんなにも素晴らしい仲間と、導いてくれる指南役がいます。僕はこの剣で、必ずみんなを守り抜いてみせます)
青年の静かな決意が、夜空に輝く北極星のように凛とした光を放っていた。
その時――基地の外縁を守る警鐘が、けたたましく乱打された。
「敵襲――! 東の柵が越えられた! 夜霧の中から、黒い影が――」
見張りの悲鳴のような叫びが夜の基地を切り裂く。
「総員、武器を取れ!」
アルスが即座に太陽長剣を抜き放ち、仲間たちへ指示を飛ばした。
「奥には昼の負傷兵たちが休んでいる! 救護幕舎の前に壁を作れ、一人たりとも通すな!」
篝火の明かりを遮るように、漆黒の夜霧の中から、音もなく無数の影が雪崩れ込んできた。
鬨の声も足音もない。仮面で相貌を隠し、暗紫色の魔導短剣を逆手に構えた不気味な集団――通常部隊ではない。夜霧に紛れて指揮系統の要人を狙う、帝国の暗殺兵たちだ。刃の切っ先が怪しく湿り、微かな痺れを呼ぶ薬品の臭気が夜風に漂った。
「小隊長、前衛の波は俺が引き受けた! 抜けてきた奴だけ任せるぜ! 《アイアン・ガード》!」
ガウェインが身の丈を超える大盾を広場の中央に打ち立て、突進してくる暗殺兵たちの猛攻を真正面から受け止めた。
さらに大戦斧を横一文字に薙ぎ払う——《旋風大断絶》! 吹き荒れる暴風の衝撃波が、前衛の敵兵三体を吹き飛ばす!
「エレア、ガウェインの後方から広域浄化結界を! 毒霧を広場から追い出すんだ!」
「はい! 星樹の祈りよ、清らかな光となって闇を祓え――《ピュリファイ・ブレス》!」
エレアが聖木杖を掲げると、清冽な聖光の波動が波紋のように広がり、立ち込めていた紫黒の毒霧を一気に浄化していく。
「幕舎の屋根に弓兵が取り付いている! 守備隊、弩を上へ――射て!」
アルスの号令に、篝火の周りを固めていた守備兵たちが一斉に弩を構えた。放たれた鋼の矢が夜霧を裂き、幕舎の棟に潜んでいた弓手を叩き落としていく。
だが、その射撃の隙を突くように、幕舎の死角から一筋の影が滑り落ちた。
足音も衣擦れの音もない。他の刺客とは異なる漆黒の革鎧をまとった男が、浄化結界を維持するエレアの無防備な背後へ、音もなく切っ先を突き出していた。狙いは結界の起点――白魔導士の頸部。
「エレア、伏せろ!」
叫んだのはアルスではなく、篝火の番をしていた古参の槍兵だった。
老兵は咄嗟にエレアの肩へ体当たりし、二人はもつれ合って地面を転がった。空を切った刃先が篝火の丸太へ深々と突き立ち、木肌をジュッと饐えた白煙とともに腐食させる。
「うちの小娘に触るんじゃねえ!」
着地の反動で身を起こしかけた暗殺兵の横合いから、重い巨躯が突進した。ガウェインだ。
唸りを上げて振り下ろされた大戦斧の鉄塊が、咄嗟に受太刀へ回された短剣ごと、男の胸甲を骨ごとへし折る。
吹き飛んだ影の胸元へ、すでに踏み込んでいたアルスの太陽長剣が、迷いなく一閃した。喉元を貫かれた暗殺者は、声も上げずに泥の上へ崩れ落ちた。
指南役の手を借りず、仲間の連携だけで最大の刺客を捌ききった瞬間だった。
「アルス。残党はあと五体、東の柵際だ」
声のした方を見れば、夜霧の薄れた一角から、ヴェルが静かに歩み戻ってくるところだった。その足元には、詠唱を断たれた帝国の霧術師が崩れ落ちている。
「刺客は囮だ。狙いは、この夜霧を編み続ける術者に時間を与えること。……そちらは断った。あとはお前たちの戦場だ」
「はい——!」
アルスは太陽長剣を両手で強く握り、魂の魔力を黄金の刃へと注ぎ込んだ。
夜の闇を真昼の如く照らし出す眩い陽光。
「仲間には……指一本触れさせない! 《太陽剣・ソーラーブレード》!」
円弧を描いて放たれた神聖な光波が、残る暗殺兵たちを一網打尽に薙ぎ払い、夜の基地に完全な平穏を取り戻した。
煙の立ち上る広場で、戦士たちは肩で息をしながら互いの無事を確かめ合う。泥に塗れた甲冑、刃こぼれした大盾、転倒した老兵の肘から滲む血。だが――。
「重傷者はいません。……毒をかすった方も、いま解毒の祈りを施しました。命に別状はありません」
負傷した兵の傍らに膝をつき、聖木杖の光を注ぎ終えたエレアが、額の汗を拭って息を吐く。その静かな声に、張り詰めていた陣地へ、ようやく安堵の吐息が広がった。
「すまねえな、お嬢ちゃん。……おかげで、痺れが引いてきた」
手当てを受けた古参兵が、包帯を巻かれた肘をさすりながら申し訳なさそうに頭を下げた。
「礼を言うのはこっちだぜ」
ガウェインが老兵の肩を大きな手でぽんと叩いた。
「お前が咄嗟に体当たりしてくれなきゃ、エレアが危なかった。……余計な心配すんな、今夜は腕を大事にしてゆっくり休みな」
「へい、ありがとうございます」
アルスは剣を鞘に納め、隣に立つヴェルを見上げた。
「ヴェル殿。今回は……僕たちだけで、凌ぎきれました」
「ああ。あの老兵がエレアを庇い、ガウェインが前へ出て、お前が締めた。指揮官の号令が、仲間の剣を活かしたのだ。見事だ、アルス」
ヴェルは短く告げると、踵を返して夜の闇の中へと歩き出した。
その背中を見つめながら、アルスは首元の日輪ペンダントにそっと手を添えた。
父の幻影を追う未熟な少年の心に、仲間と共に過酷な戦乱を生き抜くための、真の守護者としての覚悟が確かに芽生えていた。
東の地平線が微かに白み始め、夜明けの光が土塁と丸太の柵列を温かく照らし出していく。
過酷な戦乱の旅路は続く。だが、互いを信じ合う仲間たちと共に歩む限り、どんな闇の脅威も恐れることはない——。
白み始めた空の下、兵たちが折れた矢を拾い、踏み荒らされた柵を黙々と組み直していく。麦粥の匂いが、まだかすかに広場へ残っていた。夜霧はもうどこにもない。
温かな夕餉の湯気と、夜霧を裂いて響いた警鐘。守るべきものが同じ火を囲んでいるというだけで、若き隊長の剣はこれほど迷いなく振れるのだと、アルスは初めて知った。
(第3話・完 / 次話へ続く)
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アルスは、夜襲を仲間とともに退けて誰一人欠けることなく朝を迎え、剣を振るう強さだけでなく、仲間の力を活かすことこそ指揮官の務めだと胸に刻んだ。
■ 登場人物ステータス(第3話終了時点)
- アルス (20歳):Lv 3 / 若き聖騎士(太陽剣・ソーラーブレード)
- ヴェル (40歳):Lv ?? / 客員指南役(真・陽光一閃 / 極光氷結波・双極魔導)
- エレア (19歳):Lv 1 / 白魔導士(フォース・シールド / 治癒魔法)
- ガウェイン (32歳):Lv 8 / 重斧騎士(アイアン・ガード / 鉄壁の大盾)




