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アストラル・エコー〜星樹の輪廻と光影の戦記〜  作者: 真毅
【本編】第1部

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10/11

地下河川の激流

 ドルカス湿地帯の過酷な泥濘と魔獣の包囲網を突破し、北の高台で夜明けを迎えた第7小隊。

 だが、昇る朝日に安堵の息を吐いたのも束の間、上空から戻ったセリアが持ち帰った報告は厳しいものだった。国境へと続く地上の主街道は、湿地から脱出した友軍を待ち伏せるべく、シルヴァニア帝国軍の哨戒部隊によって厳重に封鎖されていたのだ。


 消耗しきった負傷兵の列を抱えたまま、開けた平原で正面衝突すれば全滅は免れない。

 その窮地で退路を示したのは、客員指南役のヴェルだった。


『――岩山の山腹を穿つ旧鉱山と、その底を流れる地下河川の抜け道がある。古道を通れば、敵の哨戒網を完全に掻い潜って国境回廊の裏手へ出られる』


 その言葉に従い、山肌に隠された狭い縦坑へと身を滑り込ませてから数刻。松明の頼りない揺らぎを頼りに、湿った暗闇の中を黙々と歩き続けていた。


 どこまでも続くかと思われた漆黒の坑道を抜けた瞬間、肌を刺すような湿り気を含んだ冷風が吹き抜けた。


 耳を打つのは、遠雷のような地鳴り――いや、岩肌を激しく削りながら奔流する水の咆哮だった。


 アルスの隣で、エレアが聖木杖を胸に抱き寄せた。杖の先端に宿した淡い燐光が、眼前に広がる光景をほのかに照らし出す。


「……地の底に、こんな場所があるなんて」


 そこは、巨大な地下大空洞だった。


 天井は高みに霞み、鋭利な鍾乳石が無数に垂れ下がっている。湿った岩肌には青白い燐光苔が群生し、淡い光の点が闇のあちこちに散っていた。足下百メートルほどの深みでは、世界樹の地脈から溢れ出したという地下河川が、白く泡立ちながら重い水音を立てて渦を巻いている。


「でけえ穴蔵だな。だがよ、ありゃあ泳いで渡れるような可愛い川じゃねえぞ」


 巨躯の戦士ガウェインが肩に担いだ重斧を鳴らし、豪快に髭を撫でた。その視線の先には、激流の上に架けられた古代の石造桟道があった。大昔に掘削されたものだろう、湿気と苔で黒ずみ、ところどころ欄干が崩落して心許ない足場をさらしている。


「先に足場を確かめて渡れ。負傷兵には肩を貸して続け。渡った者は通路の入口を空け、奥へ進むんだ」

 アルスの指示で、動ける兵が桟道を踏み確かめて先行した。後続は負傷兵を支え、欄干の欠けた箇所を避けて進む。渡った兵が仲間を受け取り、通路へ送っていた。

 アルスとガウェインが負傷兵を支えて桟道へ送り出し、エレアが杖の光で足元を照らした。セリアは兵の列を妨げぬよう天馬を控えさせ、ヴェルは背後の坑道を見張っていた。

 最後の兵が対岸の通路へ入るのを、アルスは見届けた。


「僕たちも渡る。……油断するなよ」


 殿に残った仲間たちにアルスが声をかけると、背後から小さく蹄の音が響いた。


 銀白色の毛並みを持つ有翼の馬――天馬のフェザー号が、濡れた鼻先をアルスの肩に寄せてくる。その手綱を引いているのは、天馬騎士のセリアだった。


 瞳と同じ蒼色の軽鎧に身を包んだセリアは、手綱を握る指をしきりに握り直していた。


「ごめん、アルス隊長。この坑道じゃ、フェザーを歩かせるばかりで……斥候の役目が、ちっとも果たせなくて」


「そんなことないよ、セリア。天井の低い洞窟の中じゃ、天馬が飛べないのは当たり前だ。ここまでフェザー号を無事に連れてきてくれただけで十分だよ」


 アルスが笑いかけても、セリアの肩は強張ったままだった。


「……セリア。気負う必要はない」


 低く、硬質な声が落ちてきた。


 隊列の最後尾から、ヴェルが歩み出てきた。仮面の奥の双眸は足元ではなく、頭上の闇を一度だけなぞる。


「お前の翼は、いずれこの隊を救う。今はただ、その時に備えて感覚を研ぎ澄ませておけ」


「……はい、ヴェル殿」


 ガウェインがニヤリと笑い、アルスの耳元で小声で囁く。


「へっ、ヴェル殿は相変わらず渋いねえ。レグルス隊長がここにいりゃ、きっと同じ台詞を吐いてたはずだぜ」


「えっ……父さんが?」


「ああ。人を励ます時に、余計な言葉を足さねえところがな」


 アルスは胸元の服の上から、父が残していった日輪ペンダントをそっと握りしめた。


「――来るぞ」


 ヴェルの一言が、場の空気を止めた。


「え?」


「上流だ。水音が変わった」


 アルスは耳を澄ませた。轟々と流れる川音の奥から、地底を揺るがす鈍い振動が迫ってくる。鍾乳石が震え、燐光苔の雫がいくつも水面に落ちた。


「上流の水門が開いた」


 その声とほぼ同時に、上流の闇の奥から白い巨壁が姿を現した。


 それは増水ではなかった。堰き止められていた水が一度に解き放たれ、鉄砲水となって押し寄せてくる。帝国が仕掛けた水攻めだった。


「う、嘘……っ!? アルス様!」


「エレア、僕の手を! 全員、桟道を渡りきれ!」


 アルスは叫び、エレアの手を引いて駆け出した。

 対岸の通路の入口では、兵が負傷兵の肩を抱き直し、奥へ運んでいた。後続を促す腕が、水煙に霞む。


 だが、濁流の速度は人の脚力をはるかに上回っていた。鼓膜を叩く衝撃音とともに、激流の先端が古代の桟道に激突する。何百年も耐えてきた石組みが継ぎ目から砕け、流れに消えていった。


「ぐわあっ!?」


 先頭を走っていたガウェインが、崩落する足場に足を取られて体勢を崩す。


「ガウェイン!」


 アルスが手を伸ばそうとした瞬間、横殴りの水飛沫がアルスの視界を奪い、足元の石畳が連鎖的に崩れ落ちた。支えを失った身体が宙に浮き、激流の渦巻く奈落へと投げ出される。


「アルス!」


 ヴェルの声が水音を裂いた。漆黒の外套が翻り、庇うように虚空へ身を躍らせる。だが、激流が生む暴風と水煙が、二人の間を一瞬だけ分けた。


 呑まれる。そう悟った、その刹那だった。


「――フェザー!」


 地底の闇を裂いて、澄んだ声が響いた。


 セリアだった。


 彼女は頭上に広がる空洞の高みを一瞥すると、迷わず手綱を引き絞った。


「ここなら……ここなら飛べる! 行こう、フェザー! ボクたちの空だよ!」


 フェザー号が高くいななき、折りたたんでいた純白の翼を打ち振るった。巻き起こった突風が水煙を吹き払う。白銀の天馬は垂直に舞い上がり、そのまま激流の上へ滑り出た。


「セリア……!」


 落下しながら見上げたアルスの目に、青白い燐光を背にして翼を広げる天馬と、その背で手綱を引き絞るセリアの姿が映った。


「まずはエレアさん!」


 フェザー号が激流すれすれの超低空へと滑空する。セリアは鞍上から身を乗り出し、水中に落ちかけ悲鳴を上げていたエレアの細い手首を寸分の狂いもなく掴み取った。


「きゃっ!?」


「捕まって!」


 腕を引き上げ、エレアを鞍の後ろへ乗せる。天馬は鋭い上昇旋回を描き、対岸の岩棚へエレアをそっと降ろした。


「次はガウェイン!」


 急旋回したフェザー号が、崩れかけの岩肌に片手で必死にしがみついていた巨漢へと急降下する。


「うおおっ、嬢ちゃん! 俺を持ち上げられるか!?」


「フェザーの脚力を侮らないで! 掴まって!」


 セリアが差し伸べた槍の柄に、ガウェインが咄嗟に飛びついた。重装の巨漢と鋼鉄の重斧。フェザー号の翼が一瞬きしむ音を立てたが、天馬は羽ばたきを重ねて激流の吸引力を振り切り、対岸の岩棚すれすれでガウェインを離した。


「ガハハッ! 見事だ、天馬の嬢ちゃん!」


 そして――残るは二人。


 激流の飛沫の中で、ヴェルが双極魔剣の一方を岩壁に突き刺し、もう片方の手でアルスの襟首を掴んで宙吊りになっていた。だが、激流の水位は刻一刻と上昇し、二人の足元を激しく洗い始めている。


「隊長! ヴェル殿!」


 セリアが叫び、フェザー号が最大速度で滑空してくる。


「アルス、行け!」


「でも、ヴェル殿は――!」


「私は後でいい! 早く飛べ!」


 ヴェルの叱咤に押され、アルスは差し伸べられたセリアの手を掴んだ。セリアの華奢に見える腕が、確かな力強さでアルスを鞍上へと引き上げる。


「フェザー、もう一度!」


 フェザー号はアルスを乗せたまま急上昇し、対岸の岩棚へと運んだ。直後、濁流が足場を完全に呑み込む寸前、ヴェルもまた自らの魔剣を岩壁に突き立てて跳躍し、紙一重の身のこなしで対岸の足場へと飛び移った。


 殿を務めた一行は、間一髪で全員、対岸へ渡りきったのだ。


「みんな、無事か!?」


「は、はい……! 怪我はありません、アルス様!」


「へっ、肝が冷えたが、かすり傷一つねえぜ!」


「先に渡った兵は、負傷者も含めて揃っています!」

 通路の入口から声が返った。アルスが目を向けると、兵たちは互いの顔を確かめ、壁際の負傷兵も手を上げて応えていた。


 だが、安堵の時間は続かなかった。


 上流からさらに水量を増した濁流が押し寄せ、いまや対岸の足場すらも水没させようと迫っていた。通路の入口にも水が這い上がり、兵たちが負傷兵を抱えて奥へ下がる。

 上流の断崖――巨大な鉄製水門の上に、松明を掲げた黒甲冑の帝国兵たちの姿が見える。


「巻き上げろ。甲冑ごと流れへ沈めろ」


 帝国兵が嘲笑とともに、二番目の水門を開放するための巻き上げ機に手をかけた。あれを開かれれば、この空洞全体が水に沈む。


「上流へ続く足場は水没している……あそこへ近づく道がない」


 アルスが太陽長剣を握りしめて歯噛みした。弓も魔導も、あの距離と水煙の中では届かない。


 その時、アルスの横で手綱を握り直す音がした。


「アルス隊長」


 セリアだった。手綱を握り直してばかりいた指は、もう動いていない。強張りの消えた横顔で、視線は水門の巻き上げ機ただ一点を捉えている。


「ボクとフェザーに、命を預けてくれる?」


「セリア……」


 アルスは彼女の青い瞳を真っ直ぐに見つめ返し、力強く頷いた。


「ああ、頼む。あの巻き上げ機を止めてくれ」


「――了解!」


 セリアは短く応えると、フェザー号の首筋を愛おしそうに撫でた。


「フェザー、いくよ!」


 フェザー号が地を蹴った。


 白い翼が地底の大気を捉え、フェザーは一気に高度を上げた。セリアは手綱を倒し、鍾乳石の林立する天井すれすれを闇へ向かう。


「な、なんだ!? 天馬だと!? どこへ消えた!?」


 水門の上の帝国兵たちが慌てて松明を掲げ、頭上を見上げる。


 だが、闇を割って落ちてきたのは、燐光を弾く白銀の一筋だった。


「エルシオン王国第7小隊――天馬騎士セリア!」


 高らかな名乗りとともに、フェザー号が翼を畳んで完全な急降下体勢に入った。


 落下が、そのまま速度になった。水煙を突き破り、水門の帝国兵たちの頭上へ一直線に突き刺さる。


「ひ、ひぃぃっ! 迎撃しろ、弓を――」


「遅いっ!」


 セリアの構えた白銀の長槍が、青白い燐光を帯びて閃いた。


 急降下の勢いをそのまま乗せた一撃が、巻き上げ機を支える鉄柱を断ち切る。


 火花が散った。巻き上げ機が砕け、開きかけの水門が重い音とともに自重で落ち、閉じた。


 着地ざま、フェザー号が翼を薙ぐ。突風が十数名の帝国兵を足場の上でなぎ倒した。


「な、なんて威力だ……!」


「退け、退けぇぇっ!」


 一瞬で戦況を覆された帝国兵たちは、顔を引きつらせ、算を乱して奥の坑道へ逃げ込んだ。


 水門が閉じると、上流に溜まっていた水が流れ切り、荒れ狂っていた地下河川はみるみる勢いを失っていく。やがて穏やかなせせらぎに戻った。

 通路の入口から、負傷兵を支えた兵たちが戻ってきた。アルスは渡河前の顔ぶれと見比べ、誰も欠けていないことを確かめた。


 張り詰めていた静寂が、大空洞を満たしていく。


「……やった」


 対岸で見守っていたアルスが、思わず呟いた。


 フェザー号が優雅に翼を広げ、ふわりとアルスたちの立つ岩棚へと舞い戻ってくる。


 着地したセリアは、鞍から滑り降りると、真っ先に愛馬の首に両腕を回した。


「フェザー……ありがとう。よく頑張ってくれたね、本当にいい子だ……」


 頬をすり寄せるセリアに、フェザー号も嬉しそうに鼻を鳴らし、彼女の白銀の髪に顔を埋めた。先ほど鉄柱を断ち切った騎士の面影はなく、愛馬の首に額を押し当てたまま動かない肩は、年相応の少女のものだった。


「セリア!」


 アルスが駆け寄ると、セリアはハッとして姿勢を正し、少し照れたように頭を下げた。


「あ、アルス隊長……勝手な単独行動、ごめん。でも、水門を閉めるにはこれしか――」


「何を言ってるんだ、セリア!」


 アルスは彼女の手を両手でしっかりと握りしめた。


「君とフェザー号がいなければ、僕たちは全員あの水に呑まれていた。ありがとう」


「えっ……」


「本当です、セリアさん。あなたが来てくれなかったら、私は……」


 エレアが駆け寄り、セリアの手に自分の手を重ねる。ガウェインも豪快に笑いながら、フェザー号の逞しい胸板を叩いた。


「ガハハ! 俺を吊り上げた時は肝が冷えたが、大した馬力だ。見直したぜ、セリアの嬢ちゃん。お前はもう、俺たちの『空の相棒』だ」


「空の……相棒……」


 セリアは目をしばたたかせ、唇を一度引き結んでから微笑んだ。睫毛の先が濡れていた。


「うん……ありがとう、みんな」


 手綱を握り直してばかりいた指が、今は自然に下りている。


 少し離れた岩陰で、ヴェルが濡れた外套の裾を絞っていた。双極魔剣の刃から水を払う手を止め、こちらを見ている。


 銀の仮面の下、口元がほんのわずかに緩んだのを、アルスは見逃さなかった。


(……ヴェル殿は、優しい人だ)


 理由は分からない。ただ、この指南役が隊を見る眼差しには、激流の冷たさを忘れさせる温もりがあった。


「よし、激流も収まった。対岸の通路を通って、先を急ごう!」


 アルスが号令をかけると、仲間たちの返事が空洞に木霊した。


 頭上では、水滴を散らしたフェザー号の白い翼が、燐光の中を一度旋回する。アルスは太陽長剣の柄を握り直し、先頭に立って対岸の通路へ歩き出した。


(第10話・完 / 次話へ続く)


---


 激流の去った地下空洞に静かなせせらぎと青白い燐光だけが戻り、愛馬の首を抱くセリアが仲間の輪の中に自分の居場所を見つけたとき、第7小隊は互いに背を預け合う絆をまた一つ深めて、暗い地底の先へと歩き出した。

登場人物ステータス(第10話終了時点)


- アルス (20歳):Lv 10 / 第7小隊長・聖騎士(太陽長剣・ソーラーブレード)

- ヴェル (40歳):Lv ?? / 客員指南役(真・陽光一閃 / 極光氷結波・双極魔導)

- エレア (19歳):Lv 8 / 白魔導士(神聖結界・フォースシールド / ルミナス・ヒール・治癒魔法)

- ガウェイン (32歳):Lv 15 / 重斧騎士(アイアン・ガード / 鉄壁の大盾)

- セリア (22歳):Lv 14 / 天馬騎士(スカイ・ストライク / 愛馬フェザー号)

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