第九話 一曲だけ恋人のように踊ってください
「怒ります」
即答した。
シオンが一瞬だけ黙る。
「そうか」
「そうです。私はもう起きました。昼寝は終了です」
言い切って温室を逃げ出した。
(危なかった……! あのままもう一回寝たら完全に膝枕リピーターだった!)
私は学んだ。
シオンは、こちらが頼めば大抵のことをしてくれる。
だからこそ頼みすぎてはいけない。
甘えた分だけ距離が縮まる。
距離が縮まった先にあるものを、私は知っている。
(監禁エンドです)
絶対回避。
そう決意した数日後。
私は学院主催の夜会で、早くも自分の決意を踏み潰していた。
「エリナ・ベルティエ嬢」
背後から呼ばれて振り向く。
白金色の長髪が、シャンデリアの光をさらさら弾いていた。
アルノー・リヴァーシェ。
美しい。
怖い。
特に指が。
「その手袋、綺麗だね」
「ありがとうございます!」
(手を見るな!!)
私は両手を背中へ隠した。
アルノーが不思議そうに首を傾げる。
「見せて」
「嫌です」
「どうして?」
「なんとなくです!」
逃げようと一歩下がったところで、今度は反対側から声。
「ベルティエ嬢」
(増えた!!)
赤髪を短く整えたディートリヒ・グランツが立っていた。
仕立てのいい濃紺の礼装。
胸元には一目で高価と分かる宝石。
たぶん私の家が一年暮らせる。
いや二年いける。
「その首飾りは君には少し地味だな」
「初対面に近い女の装飾品へダメ出ししないでください」
「事実だ」
さらっと言ったあと、彼は側近へ視線を向けた。
「明日、ルビーを一式届けろ」
「届けなくていいです!」
「遠慮する必要はない」
「遠慮じゃなくて拒否です!」
(出た!! 札束で殴るモラハラ!!)
右にアルノー。
左にディートリヒ。
どちらへ逃げても攻略対象。
(詰んだ)
その時。
少し離れた場所に、黒髪が見えた。
シオン。
目が合う。
――助かった。
そう思った自分に、一瞬遅れて戦慄した。
(なんで監禁王子を避難所認定してるの私!?)
でも、アルノーが私の手元を見る。
ディートリヒが「もっと似合うものがある」と宝石の話を続ける。
無理。
私はドレスの裾をつまんでシオンのところへ一直線に向かった。
「殿下!」
「どうした」
「一曲だけ、恋人役をしてください!」
言った。
周囲の空気が止まった。
私も止まった。
(いや待って、今なんて?)
シオンの眉がほんの少し動く。
「恋人役」
「違っ……いや違わないけど違います!」
後ろを見る。
アルノーとディートリヒがこちらを見ている。
「逃げるためです! 一曲だけ! 踊ってる間だけ!」
「分かった」
「早い!」
差し出された手。
私は迷って、それでも自分から掌を重ねた。
曲が始まる。
シオンの手が私の腰へ回った。
「っ」
触れる直前に一瞬止まる。
「ここは?」
「ダンスなので仕方ないです!」
「そうか」
(聞かないで! 意識するから!)
大きな掌が腰を支える。
服越しなのに、そこだけ熱い。
もう片方の手は私の指を包み、引くでも押すでもなく、自然に身体を導いていく。
(近っ)
踊るって、こんな近かったっけ。
胸と胸の間なんて、ほんのわずか。
足を運ぶたび、彼の腿がドレス越しに近づく。
(待って待って待って! これ公共の場で合法的に密着する文化だったの!? 聞いてない!!)
「顔が赤い」
「暑いんです!」
「会場は涼しい」
「心が暑いんです!」
何を言ってるんだ私は。
恥ずかしさで死にかけた、その時。
ヒールが裾を踏んだ。
「あっ」
身体が傾く。
次の瞬間、腰を強く引かれた。
胸が、シオンの胸板へぶつかる。
息が止まる。
片腕に腰を抱かれ、ほとんど身体ごと支えられていた。
「動くな」
「ち、近……!」
「今離すと転ぶ」
正論!!
反論できないまま、数秒。
耳のすぐそばに彼の呼吸。
胸元からは、地下資料室で聞いたのと同じ鼓動。
あの時みたいに。
怖くない。
むしろ――。
(……安心する)
身体の力が抜けた。
そのまま曲へ戻る。
今度はさっきより自然に彼へ体重を預けられた。
気づけば私は、少し笑っていた。
「やっぱり殿下といると安心します」
言った瞬間。
シオンの足が、ほんの一拍だけ止まった。
(あ)
(また言った)
曲が終わる。
私は慌てて一歩離れた。
「ありがとうございました! 一曲だけの約束なので!」
「ああ」
シオンの手が、私の腰から離れる。
――なぜか。
ほんの一秒だけ遅く。
その一秒に、心臓が跳ねた。
シオンは私を見下ろしたまま、静かに言う。
「一曲だけだったな」
「はい」
「……もう一曲なら?」




