第七話 監禁王子は非常時に呼び出せる都合の男
「君が俺を必要とする条件を教えてくれ」
シオンはまだ、私の足元に片膝をついたままだった。
「…………」
(何その質問)
必要とする条件って何。
王太子に聞かれる質問じゃなくない?
しかも下から見上げられているせいで、黒い瞳がやたら真っ直ぐ刺さってくる。
(近い近い。足首まだ持たれてるし。なんで私いま王子に靴を直してもらいながら人生相談されてるの)
私はそっと足を引いた。
シオンもすぐ手を離す。
「非常時だけです」
「非常時」
「そうです。昨日みたいに閉じ込められたとか、今日みたいに転びそうになったとか。そういう時だけ」
「それ以外は?」
「三メートル離れてください」
「分かった」
即答。
(本当に素直なんだよなあ……)
原作の監禁王子はどこへ行った。
いや、出てこなくていい。
永遠にそのままでいて。
「ですから、普段は私を必要以上に気にしないでくださいね」
「ああ」
よし。
完璧に線を引いた。
私は満足してその場を離れた。
――そして、その日の夕方。
(非常事態発生)
「ねえ、エリナ嬢。そんなに急いでどこへ行くの?」
「宿舎へ戻りますので」
「まだ早いじゃないか。少しくらい付き合ってよ」
学院の庭園から校舎へ戻る途中、見覚えの薄い青年に進路を塞がれていた。
交流会で一度挨拶した他国の貴族だったと思う。
顔が赤い。
酒臭い。
(学院で酔っ払うなよ)
「申し訳ありません。予定があります」
「そんな固いこと言わずに」
「結構です」
横へ避ける。
また塞がれる。
「だから結構ですって」
さっきより強く言った。
でも笑っている。
こちらが本気で嫌がっていることを、冗談か駆け引きだと思っている顔。
ぞわっと背中が冷えた。
(こういうの、一番嫌い)
怒鳴ればいい?
押しのける?
でも相手は私よりずっと大きい。
周囲には人もいるのに、みんなこちらを気にしながら遠巻きにしている。
どうしよう。
そう思って顔を上げた瞬間。
少し離れた回廊に、黒髪が見えた。
「…………!」
考えるより先に身体が動いた。
「殿下!」
青年の横をすり抜けて走る。
シオンがこちらを向く。
そのまま彼の背後へ滑り込み、黒い上着の袖をぎゅっと掴んだ。
「…………」
(やった)
昨日、三メートル離れろって言った男の背中に、自分から避難した。
(でも非常時! これは文句なしに非常時だからセーフ!!)
シオンは私を振り返らなかった。
ただ、青年を見る。
「何か?」
声は低いけれど、怒鳴りもしない。
青年が一瞬たじろいだ。
「いや、その……少し話をしていただけで」
「彼女は嫌がっている」
それだけだった。
「嫌がっている相手を引き止める理由があるのか」
「……ありません」
「なら終わりだ」
青年は青い顔で頭を下げ、そのまま去っていった。
静か。
脅していない。
身分を振りかざしてもいない。
ただ、私が嫌だと言ったことを、そのまま通してくれた。
(…………あ)
力が抜けた。
怖かったんだ。
思っていたより、ずっと。
掴んだ袖を離そうとしたのに、指がうまく動かない。
気づけば私は、シオンの背中へ額まで預けていた。
広い背中。
制服越しに伝わる熱。
鼻先に、もう覚えてしまった革とムスクと石鹸の匂い。
(落ち着くな。落ち着くな私。相手は監禁王子だぞ)
シオンが少しだけ振り返ろうとした。
「待って」
反射的に言った。
動きが止まる。
「……もうちょっとだけ」
「分かった」
何も聞かない。
袖もほどかない。
私が勝手に背中へくっついているだけなのに、そのまま立っていてくれる。
どくどくしていた心臓が、少しずつ静かになっていく。
(……ずるい)
怖い時だけ、こんなに安心できるの。
数秒後。
我に返った。
「っ、もう大丈夫です!」
ばっと離れる。
シオンがゆっくりこちらを見る。
「ありがとうございました。今のは非常時ですから!」
「ああ」
「今後も、もし本当に困った時だけは……また頼るかもしれません」
言ってから、念を押す。
「でも非常時だけです!」
「分かった」
よし。
分かってくれた。
今度こそ完全に線を引けた。
そう思ったのに。
シオンは少し考えるように私を見てから、静かに言った。
「なら今、非常時を一つ増やした」
「え?」
「俺がお前に会いたい時だ」




