第四十話 邪魔なものを片付けただけ
「君以外に命令すればいい」
その一言で。
私の中の何かが、すとんと落ちた。
「……確認します」
声が震える。
「何を?」
イヴァンはいつも通りだった。
怒っていないし。
責めてもいないし。
殴りかかってくるわけでもない。
だから余計に怖い。
「前に、私へしつこく王子を紹介しろって言ってきた上級生」
「うん」
「国外へ行きましたよね」
「行ったね」
「夜会で嫌味を言ってきた令嬢」
「留学した」
「実家の取引を邪魔していた商会主」
「失脚した」
「脅迫状を送ってきた伯爵令嬢」
「一家で王都を出たよ」
「…………」
(全部じゃん)
一件なら偶然。
二件なら不運。
三件なら気のせい。
四件そろったら犯人の自己紹介である。
「……どうして?」
やっと出た声は、情けないほど小さかった。
イヴァンは少し首を傾げた。
「君を傷つけたから」
「それだけ!?」
「十分じゃない?」
「十分じゃありません!!」
私は叫んだ。
「私は、あの人たちを国外へ追い出してなんて頼んでない! 留学させろとも、失脚させろとも、家ごと王都から消せとも言ってない!」
「うん。頼まれてないよ」
(認めるな!!)
「じゃあ、何で勝手に!」
「君が困っていたから」
ぞわ、と背中が粟立つ。
この人は本気だ。
善意ですらある。
私のためにやったと、本当に思っている。
「……私を閉じ込めるつもりですか?」
聞いた。
怖かった。
でも、ここだけは聞かなければならない。
イヴァンは。
むしろ驚いた顔をした。
「そんな可哀想なこと、しないよ」
「…………」
「君は好きなところへ行けばいい」
一歩も近づかないまま、優しく言う。
「好きな服を着ればいい」
ディートリヒみたいに勝手に選ばない。
「好きな仕事をすればいい」
私の将来も奪わない。
「好きな人間と話していい」
シオンみたいに嫉妬を口にしても、止めない。
「僕は君から何も取り上げないよ」
「……じゃあ、私が殿下を嫌いになっても?」
自分で言って、胸が痛んだ。
昨日まで、この人の唇を自分から求めた。
毎日でも会いたいと言った。
その相手を、今は怖いと思っている。
イヴァンの瞳がわずかに揺れた。
「それでも、君が嫌う自由は君のものだよ」
「……それは……、どうして……?」
いつも私に、自由をくれる。
私にだけは。
その言葉に嘘がないからこそ、その外側で何をしても矛盾しないのだ。
完璧だった。
私が欲しかった答え、そのものだった。
なのに。
怖い。
「じゃあ……」
喉が鳴る。
「私が嫌いな人とも、話していい?」
「もちろん」
「その人が私を傷つけても?」
「君が話したいなら」
「でも、その人はその後どうなるんですか」
イヴァンは微笑んだ。
「邪魔なら、僕が片付けるよ」
「…………」
(監禁王子よりヤバいのいたーーーーー!!!!)
頭の中で鐘が鳴った。
非常警報。
緊急避難。
私の中の全喪女人格へ告ぐ。
こいつ、檻を作らないタイプだ。
檻の外を更地にするタイプだ!!
「それ自由じゃないです!」
「どうして?」
「私が好きに選べても、選んだ相手が翌日国外にいたら選択肢消えてるでしょうが!!」
「でも君には何も強制してない」
「世界の方を強制してる!!」
その瞬間。
今までの全部が一本につながった。
南区で道を空けた男たち。
私を見るだけで条件を変えた店主。
実家へ急に増えた招待状。
勝手に開く人脈。
逆に。
私を不快にした人だけが、静かに消えていく。
シオンは私を囲おうとする。
ディートリヒは私を勝手に飾り立てる。
アルノーは私の痕跡を集める。
イヴァンは――。
私が自由に歩けるように。
歩く世界そのものを、自分の都合のいい形へ作り替える。
(いやいやいや! 自由の顔した箱庭じゃん!!)
「帰ります」
私は踵を返した。
「うん」
「ついてこないでください」
「分かった」
「止めないで!」
「止めないよ」
(その返事がもう怖い!!)
私は走った。
正門まで。
誰も止めない。
門は本当に開いている。
鍵もない。
兵も塞がない。
私は外へ飛び出した。
「出られた……!」
自由。
確かに自由。
濡れた道を走る。
昨日の嵐で泥だらけだろうが知るか。
(徒歩で帰る! 何時間かかっても帰る! 人権は脚力で取り戻す!!)
曲がり角を抜けた。
その先。
「…………」
灰銀色の髪が見えた。
イヴァンがいた。
「なんで!?」
「近道」
「近道で先回りしないで!! ホラーなんですよ!!」
息を切らして叫ぶ。
でもイヴァンは道の真ん中に立っているだけだった。
私を掴まない。
抱き上げない。
進路すら、横へ避ければ抜けられる。
「エリナ」
「何ですか!」
「帰りたいの?」
「帰りたい!」
即答した。
「今すぐ学院に帰りたい! 一人で! 誰にも世界を片付けられずに!」
初めて。
イヴァンの笑顔が、ほんの少し消えた。
その時。
遠くから。
蹄の音がした。
速い。
一頭じゃない。
泥を蹴り、こちらへ一直線に近づいてくる。
イヴァンが振り向く。
灰銀色の瞳から、完全に笑みが消えた。
「……誰が来たんだ?」




