第四話 監禁王子が私の話を聞くわけがない
「――俺を知っているのか?」
終わった。
私の平穏な学院生活、開始初日に終了のお知らせ。
「し、知りません!」
「だが、俺がこの花を嫌うことは知っている」
「噂です!」
「誰から聞いた?」
「えっ」
(誰から!? そこ詰める!?)
シオンは無表情だった。
怒っているわけでもない。
ただ、黒い目だけがじっと私を見ている。
その視線が妙に真っ直ぐで、逃げ道まで見透かされている気がした。
(怖っ。監禁する男、質問の圧が強い)
「ええと……社交界で……?」
「俺が百合を避けていることは、王家でも知る者が少ない」
(設定資料集ーーーー!!)
そうだった。
シオンの百合嫌いは、原作でも好感度を上げると開くプロフィール情報だった。
一般常識じゃない。
「た、たまたまです!」
「何が?」
「たまたま知りました!」
「どうやって」
「人生には説明できないこともあります!」
言い切って、私は頭を下げた。
「では失礼します!」
返事を待たずに逃げた。
王族相手にどうなんだそれ、という理性はあった。
でも命と自由の方が大事。
(近づかんとこって決めた五分後にロックオンされかけてるんだけど!?)
翌日から、私は徹底した。
廊下の向こうに黒髪を見つけたら曲がる。
食堂にシオンがいたら、別の席へ行く。
中庭にいたら建物の中へ戻る。
我ながら完璧な回避行動だった。
ただ一つ問題があるとすれば。
(なんで毎回いるの?)
やたら会う。
別に追いかけられているわけではない。
声をかけられもしない。
なのに視界の端にいる。
(いや偶然。学院狭いし。王子も学生だし。偶然偶然)
そう自分に言い聞かせた三日目。
私は図書館で課題用の本を探していた。
王立学院の図書館は、とにかく広い。
天井まで届く本棚が何列も続き、古い紙と革表紙の匂いが静かな空気に溶けている。
ここなら大丈夫。
さすがに王子も毎日図書館には――。
(いるーーーー!!)
数列向こう。
黒髪。
長身。
あれはどう見てもシオン。
私は反射的に本棚の陰へ滑り込んだ。
(セーフ!)
何がセーフなのか自分でも分からない。
とにかく見つからなければいい。
息を潜めながら後退した、その時。
背中が棚へぶつかった。
ぐらり。
「……え?」
上から、分厚い本が何冊も傾く。
(あ、死んだ)
頭を抱えるより先に、大きな影が覆い被さった。
ドン、と重い音。
けれど痛みは来ない。
恐る恐る顔を上げる。
私の左右に、黒い制服の腕。
その向こうに本棚。
正面には、至近距離のシオン。
「…………」
「…………」
(壁ドンじゃない)
脳が現実逃避した。
(これ、本棚ドンだ)
いや違う。
そうじゃない。
彼が私を庇って、落ちてきた本を腕と背で受け止めている。
胸元が近い。
昨日より近い。
息を吸うたび、革とムスクと石鹸の匂い。
私が少し前へ動いたら、たぶん胸が触れる。
(動くな私!! ここで謎の乙女ゲームイベントを発生させるな!!)
「怪我は?」
低い声が頭上から降る。
「な、ないです」
「そうか」
なのに彼はまだ近い。
心臓がどくどくしている。
(これ怖いだけ! 顔が良くて胸板が近くて声が低いからとかじゃない! 生命維持活動!)
「出してください!」
言うと、シオンはすぐ身体を起こした。
「分かった」
あっさり。
(……え?)
もっと「危ないから動くな」とか言うと思ったのに。
普通に出してくれた。
私は棚の外へ飛び出す。
シオンは落ちた本を拾い、元の場所へ戻していく。
「……ありがとうございました」
助けられたのは事実なので、一応礼を言う。
「ああ」
その時。
彼の手が私の顔へ伸びた。
「ひっ」
反射的に仰け反ると、手がぴたりと止まった。
「額に埃がついている」
「え…………それだけ?」
「他に何がある」
(こっちが聞きたい)
「……ありがとうございます。ですが、自分で取れます」
言い終わるより先に、長い指が、額へ触れた。
ほんの一瞬。
親指が皮膚を撫で、こめかみ近くまでさらりと滑る。
ぞわ、と背筋が震えた。
(うわっ、指! 指が男! なんで埃取っただけでこんな空気になるの!?)
「取れた」
「ど、どうも!」
一歩下がる。
シオンもそれ以上は来ない。
だから余計に困る。
私は勢いで言った。
「今後、私から三メートル離れていただけませんか!」
沈黙。
言った。
王太子に。
三メートル。
でもシオンは怒らなかった。
「分かった」
本当に三メートル下がった。
「…………」
(従うんだ)
そのまま図書館を出る。
数歩進んで。
気になって振り返る。
いた。
きっちり三メートルくらい後ろ。
前を向く。
また歩く。
気になって振り返る。
いる。
(何これ)
また振り返る。
いる。
四回。
五回。
六回。
七回。
十一回目。
「さっきから十一回だ」
「何がですか!?」
「君が俺を見た回数」
私は固まった。
シオンが、三メートル先から私を見る。
そして。
一歩だけ、こちらへ近づいた。
「近づいてほしいのか?」




