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婚約破棄されたので勉強に専念したいモブ令嬢ですが、何故か攻略対象のヤンデレ王子たちが私にだけ執着溺愛してきて全然集中できません  作者: NIKE


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第三十四話 この人だけは大丈夫

 ――唇まで、あと一センチ。


 イヴァンの息が触れた瞬間。


「やっぱり無理ですーーーー!!」


 私は椅子ごと後ろへ跳ねた。


「ご、ごめんなさい! 今のなし! 頬にしようとしただけなのに事故で唇ルートへ進化して! 心の準備が!」


「うん」


 イヴァンは追わない。


 立ち上がりもしない。


「分かった。今日はここまでにしよう」


「…………」


(止まるんだよなあ!!)


 これだから困る。


 逃げた私を責めない。

 せっかくここまで来たのに、なんて言わない。

 次の約束すら迫らない。


(やっぱりこの人だけは大丈夫なんじゃない?)


 そう思ってしまう自分が、いちばん危ない気もした。


 数日後。


 魔法実技で使う導魔銀線が切れた。


 学院の備品係に聞くと、王都南区の工房なら特殊な細さのものを扱っているらしい。


「南区?」


 昼食時、話を聞いたイヴァンが少しだけ眉を上げた。


「一人で行くの?」


「そのつもりです」


「治安があまり良くないよ」


(来るか? 『行くな』来るか!?)


 私は身構えた。


「僕も用事があるから、一緒に行こうか?」


「……同行だけ?」


「嫌なら別々に行くけど」


「一緒に行きます!」


 即答。


(満点!! 危険情報は教える、決定権は奪わない! これが正解です!!)


 午後。


 南区へ入ると、学院周辺とは景色が一変した。


 石畳はひび割れ、路地は細い。

 酒場の前には昼間から柄の悪そうな男たちがたむろしている。


(うわ。これは確かに一人で来たらちょっと怖かったかも)


 私は無意識にイヴァンへ半歩寄った。


「怖い?」


「少しだけ」


「腕、貸そうか?」


「お願いします」


 差し出された腕へ、自分から手を添える。


(こういう時のイヴァン殿下、ほんと安心する)


 ところが。


 妙だった。


 さっきまで道の真ん中にいた男たちが、イヴァンを見るなり端へ寄る。


 酔っぱらいまで口を閉じる。


 一人なんて、こちらと目が合った瞬間に店の中へ引っ込んだ。


「……殿下」


「何?」


「王子様って、こういう地区でも顔が知られてるんですね」


「まあ、それなりに」


(王族って大変だなあ)


 私は素直に納得した。


 目的の工房では、さらに妙なことが起きた。


「導魔銀線を五メートルください」


 私が注文すると、店主がイヴァンを見てから急に背筋を伸ばした。


「でしたら、こちらの上級品を」


「えっ、高い方ですよね?」


「お代は通常品と同じで結構です」


「駄目です!」


 反射で断る。


「普通に払います! 私はベルティエ子爵家の娘であって、殿下の財布でも権力でもありません!」


「は、はい!」


 店主がものすごい勢いで頷いた。


(なんで私が叱ったみたいになってるの!?)


 結局、通常価格で必要分だけ買った。


 それでも店主は帰り際、私に名刺まで差し出してきた。


「今後、魔道具関係で何かございましたら、いつでも」


(また人脈が増えたーーーー!!)


 シオンは安全をくれる。

 アルノーは希少品を私専用にする。

 ディートリヒは札束で最高級品を降らせる。


 そしてイヴァンは。


 一緒に歩くだけで、知らない人への扉が勝手に開く。


(いらないいらない! 私は半年勉強して帰るだけのモブ! 国家級コネクション女へジョブチェンジする予定ないから!!)


 工房を出た直後。


「あ」


 足元が滑った。


 雨上がりの路地。

 ぬかるみを避けようとして、靴底が石へ乗り損ねる。


「エリナ!」


 身体が落ちる前に、イヴァンの腕が背へ回った。


 次の瞬間。


「えっ」


 身体が浮いた。


 片腕が膝裏。

 もう片方が背中。


 いわゆる。


(お姫様抱っこーーーー!!)


 反射で彼の首へ腕を回した。


「だ、大丈夫です! 降ろしてください!」


「ここ泥が深いよ。向こうまで運ぶ」


「歩けます!」


「じゃあ、もう降ろしていい?」


「…………」


 見る。


 足元。


 あと三歩くらい、盛大な泥。


 そして私の新品の靴。


「……あと一歩」


「三歩あるけど」


「私基準では一歩です!」


 イヴァンが笑った。


 歩き出す。


 一歩ごとに身体が小さく揺れる。


 胸が彼の胸元へ触れる。

 背中を支える腕は安定していて、膝裏の手は驚くほど熱い。


(待って待って! 密着面積が広い! お姫様抱っこって視覚より実物の方が距離ゼロ!!)


 私が首へ回した腕に少し力を入れると、イヴァンの顔が近づいた。


「怖い?」


「違います! 落ちないためです!」


「落とさないよ」


「知ってます!」


 知っている。


 この人なら、落とさない。


 嫌だと言えば降ろす。


 私が頼んだ分だけ、抱いていてくれる。


 だから。


「……もう一歩だけ」


 自分から言った。


「うん」


(延長したーーーー!!)


 でも今はいい。


 私が決めたから。


 そう思った、その時。


 向こうから歩いてきた男が、イヴァンの顔を見た。


 男の顔色が変わる。


「……っ」


 そして掠れた声で呟いた。


「“灰色の王子”……」


「え?」


 私はイヴァンの腕の中で瞬いた。


「灰色の王子?」

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