第三十三話 付き合うなら、あなたがいいかもしれません
「だから今は、止めない」
「今はって何ですか!?」
曲が終わった瞬間、私はシオンの胸元から飛び退いた。
「今は、って! 将来的には止める予定がある人の言い方ですよね!?」
「……」
「黙るな!!」
(怖い怖い怖い! 監禁王子、未来形で不穏な予約を入れないで!!)
シオンは追ってこなかった。
私が離れれば離れる。
帰ると言えば帰す。
それが今までの彼だった。
なのに最後の一言だけが、靴の中の小石みたいにずっと気になる。
翌朝。
「ベルティエ嬢は結局、どの殿下を選ぶのかしら」
「ヴァルディア殿下かと思っていたけれど、最近はリュシエール殿下とよく御一緒でしょう?」
「グランツ殿下からの宝飾品を断れる方ですもの。地位や財産では決めないのでしょうね」
「リヴァーシェ殿下も、あの方のためだけに手袋まで仕立てたそうよ」
廊下の角から聞こえた会話に、私は壁へ額をぶつけそうになった。
(選びません!! 王子四択ゲームを現実で開催するな!!)
しかも話がいつの間にか、
『四王子に言い寄られている子爵令嬢』
から、
『四王子の中から選ぶ立場の令嬢』
へ進化している。
(私の市場価値、本人の許可なく値幅制限を突破してない!?)
私はただ会計と魔法と領地経営を勉強したい。
なのに最近は、知らない伯爵夫人から茶会の招待まで届く。
母からは『王都で何が起きているの』と三通目の手紙が来た。
(私が聞きたいわ!!)
そして。
そんな時だからこそ、私は考えた。
シオンは好きだと言った。
嫉妬も認めた。
今は止めない、と言った。
対してイヴァンは。
聞く。
待つ。
断れば止まる。
(……やっぱり恋愛するなら、イヴァン殿下では?)
その日の午後。
魔法薬学の授業を終えた私は、中庭の東屋でイヴァンと向かい合っていた。
「確認したいことがあります」
「うん」
「すごく大事です」
私は指を一本立てた。
「付き合った相手を束縛しますか?」
「しないよ」
「監視は?」
「しない」
「誰と会ったか報告させる?」
「君が話したいなら聞く」
「男友達と出掛けるのは禁止?」
「どうして?」
(満点ーーーー!!)
二本目、三本目と指を立てる。
「怒鳴る?」
「たぶん滅多には」
「外出禁止は?」
「しない」
「服を勝手に選ぶ?」
「頼まれたら意見は言うよ」
(ディートリヒ殿下に聞かせたい!!)
「使用済みの私物を欲しがる?」
「……それは誰の話?」
「気にしないでください」
(アルノー殿下に聞かせられない!!)
最後。
私は両手を膝へ置いた。
「嫌って言ったら、止まりますか?」
イヴァンは笑わなかった。
ただ、まっすぐ私を見る。
「止まるよ」
「絶対?」
「君が嫌なことをして、僕に何の得があるの?」
「…………」
(好き)
危ない。
今のはものすごく刺さった。
私が嫌がることをしない理由が、綺麗事じゃない。
嫌がらせたら自分にとっても損だから。
理屈が通っている。
(この人なら大丈夫)
胸が、少しずつ軽くなる。
「じゃあ……」
声が小さくなった。
「じゃあ?」
「その……」
付き合ってもいい。
そう言えばいいだけ。
なのに急に喉が閉まった。
(無理ーーーー!! 口から『付き合う』が出ない!! 前世オタクだったから恋人契約の発声機能は未実装です!!)
「エリナ嬢?」
「ちょっと待ってください!」
顔が熱い。
でも。
言葉が無理なら。
何か別の方法で伝えればいいのでは?
(いや待て待て、その発想がもう危険)
それでも私は、少しだけ身を乗り出した。
イヴァンの頬へ。
ほんの一瞬だけ。
キスしようと思った。
(頬! 頬なら安全! 手の甲より一段進んだだけ! 恋愛の階段、一段だけ!!)
イヴァンは窓の外を見ていた。
今なら。
私はさらに顔を寄せる。
その瞬間。
「エリナ――」
イヴァンがこちらを向いた。
「…………」
「…………」
止まった。
鼻先が触れそう。
唇と唇の距離は、数センチ。
(ぎゃあああああ!! 頬が移動した!! 標的が勝手に唇へ変更された!!)
息が吸えない。
逃げればいい。
なのに身体が動かない。
イヴァンも動かなかった。
近づかない。
触れない。
灰銀色の瞳だけが、私を見ている。
「……ご、ごめんなさい」
「何が?」
「今、頬に、その……」
「キスしようとした?」
「言語化しないでください!!」
恥ずかしさで爆発する。
離れようとした。
でもイヴァンは追わない。
やっぱり、追わない。
ただ静かに言った。
「君からなら、止めないよ」
「…………っ」
(それ言う!?)
逃げ道はある。
私の腰にも肩にも手はない。
私が一センチ下がれば終わる。
なのに。
私は下がらなかった。
心臓が痛い。
呼吸が浅い。
唇が近い。
(私からキスするの? この私が? 恋愛経験ほぼゼロの私が?)
でも。
この人なら。
そう思ってしまった。
「……じゃあ」
私は震えながら、もう一センチだけ顔を近づけた。
イヴァンの息が、唇へ触れた。




