第三十二話 俺は嫉妬している
外交舞踏会の会場に入った瞬間、私は帰りたくなった。
(人が多い! 偉い人が多い! そして私を知ってる人が多い!!)
四国の外交官、王族付きの侍従、貴族の令嬢たち。
最近まで「ベルティエ子爵家? どちらの?」だったはずなのに、今日は入口で名乗る前から何人かに会釈された。
「ベルティエ嬢ですね」
「リュシエール殿下からお話を」
「グランツ殿下がお選びになった青のドレスも、とてもお似合いでしたわ」
(やめてください!! 私の名前に王子の実績解除履歴を紐づけないで!!)
今日は淡い銀青のドレスだ。
自分で選んだ。
ディートリヒには相談していない。
アルノーの手袋も今日は使っていない。
(よし。自力! 私は自力で立ってる!)
「似合ってるよ」
隣のイヴァンが微笑んだ。
「ありがとうございます」
「君が選んだ?」
「はい!」
「いいね。君らしい」
(加点!!)
これだ。
この人は「もっと似合うものがある」と私を作り替えない。
私が選んだものを、そのまま褒める。
安心する。
舞踏会が始まり、一曲目はイヴァンと踊った。
腰へ触れる前に、
「大丈夫?」
「はい」
いつもの確認。
(満点! 今日も私に人権がある!)
曲が終わる。
その直後、少し離れたところにシオンを見つけた。
黒い礼装。
黒髪。
こっちを見ている。
(見てるなあ)
ものすごく見てる。
でも来ない。
前に私が「誰と会うか決めるな」と言ったからだ。
「シオン殿下とも踊っておいで」
「え?」
イヴァンに言われて、私は振り向いた。
「いいんですか?」
「どうして僕に許可を取るの?」
「…………」
(正論!!)
「君が踊りたいなら踊ればいいよ」
「嫉妬とか」
「しないわけじゃないけど」
イヴァンは笑った。
「君を困らせるほどじゃない」
(大人の余裕ーーーー!!)
これ。
これが普通の男。
嫉妬しても相手の行動は縛らない。
(ありがとうございます! 歩く恋愛教本の模範解答!!)
私は上機嫌でシオンのところへ向かった。
「一曲、踊りますか?」
「ああ」
差し出された手に、自分から手を重ねる。
すると周囲がまたざわめいた。
「今度はヴァルディア殿下……」
「リュシエール殿下が御自分で送り出されたわ」
「あの令嬢、四国の宮廷でも名前が出ているそうよ」
(出さないでーーーー!!)
私の知らないところで国際知名度を上げるな。
私はただの子爵令嬢!
会計と魔法と領地経営を勉強して半年で帰る予定の女!
国境を越えて噂される要素、どこ!?
「顔がうるさい」
「心を読まないでください!」
「読んでいない」
曲が始まる。
シオンの手が私の腰へ回った。
「……っ」
いつもより、少し強い。
押さえつけるほどじゃない。
でも掌の存在をはっきり感じる。
背筋へ熱が走った。
(何これ。今日の監禁王子、手圧が一割増しなんですけど!?)
「殿下」
「ああ」
「ちょっと強くないですか? 痛いです……」
「嫌か」
すぐに力が緩む。
「……そこまででは」
言った瞬間、また自分で墓穴を掘った気がした。
シオンの手は離れない。
私の腰を支えたまま、曲に合わせて進む。
一歩。
二歩。
足が自然についていく。
この人と踊るのも、もう何度目だろう。
怖かったはずなのに。
今は呼吸も合わせられる。
「イヴァン殿下ってすごいですよね」
「何が」
「さっき、自分から『シオン殿下とも踊っておいで』って」
シオンの眉がわずかに動く。
「余裕があるというか。イヴァン殿下は嫉妬しませんよ」
「するだろう」
「え?」
「俺はする」
足が止まりかけた。
「……え?」
「嫉妬している」
聞き間違いじゃなかった。
(また直球ーーーー!!)
「そんな真顔で申告することですか!?」
「お前が聞いた」
「聞いてません! イヴァン殿下の話をしただけです!」
シオンは無表情のまま私を見下ろす。
「お前があいつを好きになるのが嫌だ」
「…………」
どくん。
心臓が跳ねた。
(言葉が強い!! 王太子、恋愛表現に緩衝材を入れて!!)
「で、でも」
私はなんとか声を出した。
「止めないんですか?」
「ああ」
「イヴァン殿下と会うな、とか」
「言わない」
「どうして?」
次のターン。
シオンの手が腰を引いた。
「きゃっ」
身体が回る。
勢いのまま、胸元へ強く引き寄せられた。
硬い胸板。
腰を囲う腕。
頬のすぐ横に、シオンの呼吸。
(近い近い近い!! これ舞踏会! 公共空間! 私の心拍数だけ寝室イベント!!)
逃げようと思えば離れられる。
でも曲は続いている。
そのまま一歩、また一歩。
耳のすぐそばに低い声が落ちた。
「止めれば」
吐息が耳殻をかすめる。
「お前は逃げる」
息が詰まった。
その通りだ。
私が誰と会うか決められたら。
誰かを好きになることまで制限されたら。
私は逃げる。
それを。
この人は知っている。
「……分かってるんですね」
「ああ」
「じゃあ安心しました」
思わず、少しだけ笑った。
シオンの腕が止まる。
黒い瞳が近い。
なぜか。
全然、安心していい顔には見えなかった。
「シオン殿下?」
腰の手が、ほんの少しだけ強くなる。
耳元で。
低く。
「だから今は、止めない」




