第二十五話 ヤンデレじゃないなら触っていいです
「僕が君に恋をしたら、君は怖がる?」
灰銀色の瞳が、まっすぐ私を見ている。
手を掴まれているわけでもなく、ただ絶妙な距離感で質問をされているだけ。
その距離感が妙に新鮮で胸が高鳴った。
「……束縛しないなら、逃げません」
イヴァンが少し目を見開いた。
「本当に?」
「はい。私の予定を勝手に決めたり、交友関係に口を出したり、外出禁止にしたりしないなら」
「なるほど」
「好きだからって自由を没収されたら即逃げます」
「……わかった、気をつける。覚えておくよ」
(会話が成立する!!)
感動。
条件を聞いて、逆ギレも説得もしてこない。
(この人、やっぱり正常! 私の恋愛安全基準を一人で底上げしてくる!)
その二日後。
魔法実技の授業帰りに、私は学院近くの街へ出た。
今日は年に一度の灯花祭。
魔力を込めた小さな硝子灯が通り中へ浮かび、青や金の光が夕暮れの空をゆっくり流れている。
目的は祭り――ではなく、魔法陣用の羊皮紙を買うこと。
(私は勉強しに来た女。祭りに浮かれて王子とデートする女ではない)
「エリナ嬢?」
「え」
振り向く。
イヴァンがいた。
(王子を呼び寄せる魔法陣、私の背中に描かれてない!?)
彼も外交官への贈り物を受け取りに来たらしい。
「今、帰るところ?」
「はい」
「僕もだ。途中まで一緒に歩いていい?」
「どうぞ」
それだけ。
偶然。
同行。
以上。
――のはずだった。
「焼き菓子、好き?」
「好きです」
「あそこの蜂蜜ナッツ菓子、おいしいらしいよ」
「買います」
さくっと焼けた薄い生地の中に、蜂蜜をまとった胡桃とアーモンド。
一口かじると香ばしさと濃い甘さが広がった。
「おいしい……!」
思わず笑う。
イヴァンも一つ食べて、「本当だ」と楽しそうに目を細めた。
次は果実水。
次は魔法仕掛けの花灯籠。
(待って)
(これ、同行じゃなくてデートでは?)
気づいた頃には人通りが一気に増えていた。
「エリナ嬢」
「はい?」
「手をつないでも?」
「…………」
来た。
でも手をつなぐ前にちゃんと聞いてくれた。
合格。
「どうぞ」
差し出した手を、大きな手が包む。
最初は普通。
掌と掌を合わせて、軽く指を掛けるだけ。
(普通の手つなぎ! 健全! これぞ一般恋愛!!)
むしろ安心していた。
ところが人波が大きく動いた。
つないだ手が一度、離れかける。
「……っ」
嫌だった。
理由は単純。
この人混みで離れたら見失う。
だから。それだけ。
「まだ混んでますから」
「うん?」
「これは、その。安全のためです」
私は自分から、彼の指の間へ指を滑り込ませた。
ぎゅ。
恋人つなぎ。
(何やってんの私ーーーーっ!!)
言い訳しよう。
これは迷子防止。
接触延長ではない。
色気ゼロの交通安全対策です!
イヴァンは何も言わなかった。
ただ、絡めた指を握り返す力が少しだけ強くなった。
「痛くない?」
「大丈夫です」
「なら、このままで」
「……はい」
(確認まで優良!!)
その時、通り沿いの店主が私たちに気づいて深々と頭を下げた。
「リュシエール殿下。花火でしたら二階席をご用意できます」
私まで丁重に見られる。
(やめて。私はたまたま隣を歩いてるだけの子爵令嬢です。王子同伴特典で席ランクを上げないで!)
イヴァンは私を見る。
「静かな席に行く? それともこのまま歩く?」
「このままがいいです」
「分かった」
即終了。
(私になんでも選ばせてくれる! やっぱり好き!! そういうところが!!)
花火の時間が近づき、広場はさらに混んだ。
どん、と誰かの肩が私へぶつかる。
「きゃっ」
身体が傾いた。
イヴァンの腕が腰へ回る。
ぐっと引かれ、胸元へ身体が寄った。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫です」
腰の手が熱い。
胸が近い。
顔も近い。
(待って待って! 思ったより身体はちゃんと男!! そこまで健全規格にしなくていい!!)
「ごめん。離すね」
すぐ腕が緩む。
その瞬間。
私の手が、彼の上着を掴んだ。
「…………」
「…………」
(また私ーーーー!!)
「……まだ危ないので」
蚊の鳴くような声で言う。
「そうだね」
イヴァンは笑わなかった。
からかいもしない。
ただ私が掴んだままでいられるよう、少しだけ身体を近くに残した。
夜空へ一発目の花火が上がる。
金色の光が大きく開いた。
「わあ……!」
二発目は青。
三発目は桃色。
浮かぶ魔法灯と重なって、空全部が宝石箱みたいだった。
気づけば私は、イヴァンの服を掴んだまま肩を寄せていた。
(……楽しい)
誰かとこんなふうに祭りを歩くのも。
手をつなぐのも。
触れられて怖くないと思うのも。
たぶん初めてだった。
イヴァンは、私が嫌だと言えば止まる。
聞いてから触る。
私が選んだ距離から先へ来ない。
だから安心して、自分から一歩近づける。
(この人なら、本当に普通の恋ができるのかもしれない)
そう思った瞬間。
絡めた指を、イヴァンの親指がそっと撫でた。
「エリナ嬢」
「はい」
「一つ分かった」
「何がですか?」
花火の光の下。
彼が穏やかに笑う。
「君は、ちゃんと目を見て話をすれば、逃げないんだね」
「……まあ」
「それどころか、自分から近づいてくれる」
「それは今だけです!」
「うん。今はね」
(その学習、保存しないで!!)
けれど彼は手を離さない。
私も、離さなかった。
次の花火が夜空を白く染める。
その光の中で、イヴァンが少しだけ顔を寄せた。
「じゃあ」
灰銀色の瞳が私を見つめる。
「今度は、どこまで触っていい?」




