第二十話 全部任せれば楽なんですよね
「動くな。まだ一つ直っていない」
ディートリヒの親指が、首飾りの金具で少し赤くなった私の首筋へ触れた。
「ひゃっ」
(何!? 何を直すの!? 首!? 私の首って交換部品ありましたっけ!?)
鏡越しに、赤い短髪のディートリヒと目が合う。
彼は私の首ではなく、その下へ視線を落とした。
「姿勢だ」
「姿勢?」
「肩が上がっている。緊張するとすぐそうなる」
両肩を軽く押される。
「力を抜け」
「この距離で言われても無理なんですが!」
「なぜだ」
「顔がいいからです!」
言ってから死にたくなった。
「……今の忘れてください」
「断る」
(攻略対象ども、都合の悪い記憶だけ保存性能が高い!!)
結局、直すのは姿勢だけだった。
そして翌日。
魔法実技で魔力制御を延々やらされ、すでに体力を半分失った午後。
私は夜会用のダンス練習室にいた。
もちろん相手はディートリヒ。
(なんで服だけじゃなく踊りまでこの人に見てもらってるの私)
「遅い」
「分かってます!」
私は昔からダンスが得意ではない。
形は覚えられる。
でも相手と合わせようとすると足が固くなる。
特に相手が王子だと、踏んだら外交問題になりそうで怖い。
だから私はできるだけ身体を離して踊っていた。
「遠い」
「これくらいでいいです」
「よくない」
次の瞬間。
腰をぐっと引かれた。
「っ!」
距離が一気に消える。
胸元が近い。
腕も近い。
一歩踏み込むたび、ドレス越しに腿の動きまで分かる。
(うわあああ近い!! ダンスってこんなに身体情報を共有する競技だった!?)
「それでは支えられない」
「支えなくても自力で立てます!」
「立つだけならな」
低い声が頭上から落ちてくる。
「踊るなら俺に合わせろ」
腰に回った手が、私の身体を次の一歩へ導いた。
「右」
「はい」
「次は左」
「はい」
「考えるのが遅い」
「今めちゃくちゃ考えてます!」
「だから遅れる」
ひどい。
でも正しい。
次の回転でまた足がもつれかける。
ディートリヒの腕が腰を支えた。
「俺に体重を預けろ」
「どこまで!?」
「全部」
「全部!?」
(体重を全部イケメンに預けるって、精神的には裸より恥ずかしくない!?)
「倒れたらどうするんですか」
「俺がいる」
即答。
「落とさない」
「…………」
(そういう断言やめて。効くから)
仕方なく、私は恐る恐る力を抜いた。
腰を支える腕に体重を預ける。
肩の力も抜く。
足運びを自分で全部管理するのをやめて、彼の手と身体の動きについていく。
「そうだ」
ディートリヒが一歩。
私も一歩。
回る。
引かれる。
進む。
驚くほど自然に身体が動いた。
「あれ?」
「そのまま」
難しくて何度も失敗した連続ステップ。
一歩。
二歩。
三歩。
最後の回転まで、ぴたり。
「できた!」
思わず笑った。
「すごい! 今の一回も間違えませんでした!」
「だから言っただろう」
「殿下に全部任せれば何も考えなくていい!」
興奮したまま、私は彼の腕を掴んだ。
「自分でやるより全然楽です!」
言った。
言ってしまった。
ディートリヒが止まった。
(……あ)
この数週間で培った本能が警報を鳴らす。
(今、餌を投げた気がする)
練習室の端では、付き添いの侍女と舞踏教師までこっちを見ていた。
「グランツ殿下が御自らここまで指導なさるなんて……」
「昨日の青いドレスも殿下がお選びになったそうよ」
「ベルティエ嬢を御自分で仕立てておられるみたい」
(仕立ててません!! 私は既製品の人間です!!)
やめて。
最近、「アルノー殿下が自ら指輪を直した令嬢」とか「シオン殿下の庇護下らしい」とか、私の知らない肩書きが増殖している。
そこへ今度は、
『ディートリヒ殿下が自ら完璧に仕立てる令嬢』
まで追加される気配がする。
(勘弁して! 私のプロフィール欄を王子で埋めるな! 趣味・勉強、特技・会計で生きていきたいの!!)
「もう一度だ」
ディートリヒが私の腰を引く。
「え、まだやるんですか?」
「今の感覚を覚えろ」
また身体が近づく。
今度はさっきより怖くない。
腰の手に任せればいいと分かってしまったから。
曲が始まる。
私は余計なことを考えず、彼へ体重を預けた。
一人では何度も失敗した動きが、嘘みたいに繋がっていく。
(……悔しいけど)
(楽だ)
何をするか迷わなくていい。
次にどこへ足を置くか、どう回るか。
全部この人が決めてくれる。
私はついていくだけ。
曲の終わり。
最後の一歩で、ディートリヒが私を深く引き寄せた。
胸元が触れそうな距離。
片手は腰。
もう片方は私の手を握ったまま。
「ほら」
耳元で、低い声。
「そうだ。何も考えなくていい」
吐息が耳に触れる。
ぞくっと背筋が震えた。
(言い方!! なんでただのダンス指導なのに急に洗脳者みたいになるの!?)
一つ、深い吐息が落ちた。
腰の腕が、ほんの少しだけ強くなる。
「これからも、ずっと俺が決めてやる」




