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婚約破棄されたので勉強に専念したいモブ令嬢ですが、何故か攻略対象のヤンデレ王子たちが私にだけ執着溺愛してきて全然集中できません  作者: NIKE


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第十六話 それは私じゃなくて痕跡です

「……返してほしくなった?」


 アルノーは、私の古い手袋を頬へ当てたまま聞いた。


「その前に説明してください!!」


 工房の扉を押し開けて戻る。


 白金色の長い髪を肩へ流したアルノーは、まったく悪びれない。


「何を?」


「なぜ私の使い古した手袋を頬に当ててるんですか!?」


「柔らかいから」


「新品でも柔らかいでしょうが!」


「これは違う」


 アルノーは手袋を光へ透かした。


 指先は少し擦れ、掌には細い皺が残っている。


「ここ」


 人差し指の先を示す。


「本をめくる時、よく使う」


「……え?」


「ここは筆を持つところ。親指の内側は少し薄い。小指側には机へ置いた跡がある」


 次々と言い当てられて、私は言葉を失った。


(何その鑑識)


「新品は綺麗だけど、何もない」


 アルノーは静かに言う。


「これは、君が使った形になってる」


「…………」


「君の手がどう動くか、何をよく触るか、どこへ力を入れるか。全部残ってる」


 ぞわ、とした。


 怖い。


 たぶん普通に怖い。


 なのに。


 アルノーの目は、宝石を見る時と同じだった。


 欲に濁っているわけでも、からかっているわけでもない。


 本気で、美しいものの話をしている。


「……それ、私じゃなくて痕跡ですよね?」


「うん」


「即答!?」


「君本人は持って帰れないから」


「持って帰ろうとしないでください!!」


 危ない。


 この王子、監禁はしないけど発想が怖い。


 シオンとは別方向に怖い。


「じゃあ返しますか?」


 差し出される。


 私は迷った。


 捨てる予定だったものだ。


 返してもらっても使わない。


 でも渡しておいたら、たぶんこの人は嬉しい。


「……本当に、資料にするだけ?」


「作品にもするかも」


「増えた!」


「手の彫刻を作りたい」


「私の!?」


「君の癖が残った手」


(やっぱり私じゃなくて痕跡じゃん!!)


 でも、妙にアルノーらしい。


 顔より手。


 人間そのものより、そこに残った形。


 私は額を押さえた。


「……私の名前は出さないでくださいね」


「いいの?」


「捨てるよりは……まあ」


 言い終わる前に。


 アルノーが笑った。


 今までで一番分かりやすく。


「ありがとう、エリナ」


(うわ)


 その笑顔は反則だった。


 顔がいい人間が素直に喜ぶと破壊力がおかしい。


(違う! ときめいてない! これは美術品が急に笑ったことへの驚き!)


 私は逃げるように工房を出た。


 翌日、教室で白い手袋を見た令嬢に目を丸くされた。


「それ、アルノー殿下のお作りになったものでは?」


「え。分かるんですか?」


「殿下は個人的な依頼なんて滅多に受けませんもの」


 机に突っ伏した私の横で、噂がまた一段大きくなった。


 それから三日後。


「できた」


 授業終わりに呼び止められた。


 アルノーの手には、小さな紺色の箱。


 心臓が跳ねる。


「祖母の指輪……!」


 工房へ行き、箱を開ける。


「……わあ」


 思わず笑みがこぼれた。


 古い銀の台座は磨きすぎず、祖母が使っていた頃の柔らかな色味を残している。


 外れかけていた淡い青の石も、元の場所へきちんと収まっていた。


 昔、祖母の手で光っていた指輪。


 それが、ちゃんと戻ってきた。


「すごい……本当にそのままです」


「変えない方がいいと思った」


「はい」


 新品みたいにされていたら、きっと少し寂しかった。


 傷も古さも含めて、祖母の指輪だから。


「ありがとうございます、殿下」


 今度は本心から笑った。


「すごく嬉しいです」


 アルノーが私を見る。


 じっと。


「何ですか?」


「その顔、好き」


「はい!?」


「今の顔」


「限定しないでください!」


 心臓に悪い。


 私は指輪を取ろうと手を伸ばした。


 けれど先に、アルノーが箱からそれを摘み上げた。


「手」


「……また?」


「戻す」


「自分でできますけど」


「知ってる」


 この人、毎回これだ。


 できることと、やってほしいことが別らしい。


 私は警戒しながら左手を差し出した。


「薬指ですよ」


「覚えてる」


 細い指が、私の薬指を支える。


 ひやりとした銀が、指先へ触れた。


 アルノーは急がない。


 関節を越えるように、ゆっくり指輪を滑らせていく。


(待って。指輪を嵌めてもらうだけなのに、なんでこんな儀式っぽいの!?)


 指輪が根元へ収まる。


 ぴったり。


「……よかった」


 私は嬉しくて指を光にかざした。


「ちゃんと戻った……」


「うん」


 アルノーはまだ、私の手を離さない。


「殿下?」


 その視線が、指輪へ落ちる。


 正確には。


 指輪を嵌めた、私の薬指へ。


 前世の記憶が一瞬で蘇った。


 白金の長髪。


 伏せた睫毛。


 薬指。


 指輪。


(いや待って)


 アルノーが私の手を持ち上げる。


(この構図、知ってる)


 彼の唇が、指輪へ近づいた。


「エリナ」


 低い声。


「今度は――」


 指先に、吐息が触れる。


「ここへ口づけしてもいい?」

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