38:はじめましての親友
エリック様と和解した私は、そのすぐ後に始まる社交シーズンのため、慌ただしく王都へ向かった。
元々は離婚を前提に準備を進めていたせいで、身の回りのことも心の準備も整わないままの出発だったが、それでも何とかシーズンを乗り切ることができた。
きっと、コレット様のグループを抜けたおかげだろう。
これまで話す機会のなかった令嬢たちが声をかけてくれるようになり、気づけば自然と輪の中に入れていた。
ダンスやマナーは相変わらず得意ではないけれど、それでも以前よりずっと気が楽だった。
そのコレット様はというと、今もシルヴァン様との離婚を拒んでいるらしい。
ただ、社交界では彼女の味方をしてくれる人はおらず、このまま順当に事が進めば、冬にも離婚が成立するだろうとのことだ。
あれほど強気だった彼女の姿を思い出すと、なんとも言えない気持ちになった。
公爵家の人たちは……相変わらずだ。
王都で開かれた食事会でも、二人で並んで出席した私たちを見て、とても残念がっていた。
けれど、以前に比べると、彼らのため息も冷たい視線も辛くない。
それはきっと、隣に立つエリック様が私に寄り添ってくれているからだろう。
一つだけ変わったことと言えば、お義父さまだ。
お義父さまだけは、私たちの様子を見て、ほんのわずかに安堵したような笑みを見せていた。
怖い人だと思っていたけれど、もしかしたらそうでもないのかもしれない、とふと思う。
そうして数ヶ月間、目まぐるしい日々を過ごし、気づけば季節は秋の入り口に差しかかっていた。
今年も無事に社交シーズンを終えた私たちは、疲れを引きずったまま領地へ戻ってきた。
「ふぅ……。帰ってきたぁ」
馬車を降りた瞬間、ひんやりとした風が頬を撫でる。
夏の名残と、乾いた秋が混じり合った匂いがした。
庭の木々はまだ青いけれど、枝先には色づき始めた葉がちらほら揺れている。
「やっぱり、帰ってくると落ち着くな」
隣でエリック様がそう言って微笑んだ。
その横顔を見て、私も自然と笑みを返した。
「お帰りなさいませ!」
玄関前には、いつも通りの明るい笑顔でレイチェルが立っていた。
私は長旅で重くなった荷物を彼女に預ける。その瞬間、胸の奥に、ほんの少しだけ寂しさがよぎった。
(……もう、いい加減に慣れなくちゃ。レイチェルに対して不誠実だわ)
こんなにもかいがいしく世話を焼いてくれる人がいるのに、いつまでもルネのことを引きずっていてはダメだ。
そう思うと、小さくため息がこぼれた。
そのため息に気づいたのか、エリック様がふいに私の方へ視線を向けた。
「エチカ、どうした?ため息なんかついて」
「……いいえ、ちょっと疲れたなと思っただけです」
私は笑顔で誤魔化した。けれど、エリック様はそんな私を見て、眉をひそめる。
「作り笑い」
「……へ?」
「言いたいことがあるときはため込まずにちゃんと言う。そう約束したはずだろう?」
「そ、それはそうですけど……」
「エチカ」
「……」
「エチカ、ちゃんと言って?お願いだ」
エリック様は少し屈んで、私と目線を合わせた。彼の群青の瞳がまっすぐに私を捉える。
その真剣な眼差しに、私はもう逃げられないと悟り、静かに口を開いた。
「ルネ……は、今、どうしていますか……?」
声が震えた。
聞き方を、間違えたかもしれない。
《《今どうしているか》》なんて……まるで生きていることが前提のような言い方だ。
禁止薬物の使用、窃盗、そして禁術の行使。ルネのしたことは、魔塔という国家機関の信頼を揺るがしかねない大罪だ。動機がどうであれ、良くて国外追放、最悪は処刑。お義父さまが減刑を申し出てくれたらしいが、どこまで聞き入れてもらえたのかはわからない。
(どうしよう。もし、もしも……もう処刑されたなんて言われたら、私……!)
自分で聞いておきながら、真実を知るのが急に怖くなった。
親友として彼女の顛末を聞くべきだとわかっているのに、怖い。
「エチカ、ルネは……」
「ご、ごめんなさい!やっぱり今のは無しで……!」
私はぎゅっと目をつむり、エリック様が言葉を続けるより先に叫んでいた。
「ごめんなさい、やっぱり何でもないです!ごめんなさい!」
「エチカ……」
「ず、ずっと、気になってはいたんです。ルネがあの後、どうなったのか……。でも……、やっぱり聞くのは怖い……です……。ごめんなさい……」
「君は、ルネのことを恨んではいないのか?」
「恨むなんて……そんなはず、ありません。ルネは私の大事な親友ですから……」
「……そうか。それは良かった」
良かった、とはどういうことだろう。私はエリック様を見上げた。
すると、エリック様は優しく微笑み、レイチェルに視線を送った。
レイチェルは何かを察したように小さく頷き、そのまま奥へと下がっていく。
「エリック様……?」
「実は君に一つ、謝らないといけない事があるんだ」
「謝らないといけないこと?」
「君の意見を聞かずに、勝手なことをした。要望が通る保証もなかったから、今までずっと黙っていたんだけど……、ごめんな?」
「えっと……、それはどういう……?」
意味がわからず首をかしげた、その時だった。廊下の奥から足音が近づいてくる。
レイチェルが戻ってきたのだ。
そして、その後ろに、もう一人分の影が揺れる。
私は思わず息を呑んだ。
レイチェルが横に避けると、視界の端には見知った顔が現れた。
「……ル……ネ……?」
心臓が跳ねた。
足がすくんで、一歩も動けない。
ルネはお仕着せのスカートをつまみ、深くカーテシーをした。
その姿は、以前より少し痩せて見えるけれど、確かにルネだった。
「本日より奥様の身の回りのお世話をさせていただきます。ルネと申します」
丁寧に頭を下げたあと、彼女はほんの少しだけ顔を上げ、ちょこんと舌を出してみせた。
その瞬間、胸の奥が一気に熱くなる。
「ルネ……!」
気づけば私は、彼女に飛びついていた。
ルネは驚いたように目を瞬かせ、それからそっと私の背に腕を回した。
その温もりが、夢ではないと教えてくれた。
しばらく抱き合ってから、ようやく私は息を整えた。
けれど、胸のざわつきは消えない。
どうしてルネがここにいるのか、その理由を知らなければ、落ち着けなかった。
「エリック様、ルネはどうして……?」
私が問うと、エリック様は少しだけ視線を伏せ、それから静かに答えた。
「父上が減刑を願い出てくれたが、受け入れられなかった。ルネ・ド・ゴーシェは極刑がふさわしいとされた」
淡々と告げられた言葉に、私は息を呑んだ。
「陛下は、今回の件について父上の嘆願について聞き入れない代わりに、刑の執行については俺に一任すると言ってくれた。被害を受けたのはモンフォール公爵家であり、魔塔である。だから俺に、両者の立場から刑の執行を見届けるようにと命じたんだ。だから俺は処刑を非公開にし、刑を執行した」
「……え?刑を執行って……」
でも、今目の前にいるのは生きているルネ。私はエリック様とルネの顔を見比べ、そこでハタと気がついた。
「ま、まさか……」
「そう、そのまさか。刑を執行した振りをして、ルネを回収したんだ」
エリック様の声は静かだったが、その裏にどれほどの覚悟があったのかが伝わってくる。
「陛下も承知の上で、刑の執行を俺に任せてくださった。……だから、俺は今後、一生陛下には頭が上がらないだろうな。何をさせられるかわかったものじゃない」
冗談めかして肩をすくめたが、その目はどこか遠くを見ていた。
「先輩はあたしに、このまま秘密裏に国外に出るか、それとも一生自分の監視下で自由に外出することもできない生活を送るかを選べと言ってくれたの。そして、あたしは後者を選んだ。……もう一度、エチカに会いたかったから」
「ルネ……」
「もう魔法は使えないし、屋敷の外に出ることもできない。伯爵令嬢という身分もない……ただのルネだけど、そばにいてもいい?」
不安げに揺れる瞳。
その問いに、迷う理由なんてひとつもなかった。
「いいに決まってるよ!!」
言った瞬間、ルネはポロッと涙をこぼした。
そして何度も、何度も「ありがとう」と繰り返した。
私は彼女の手を握りながら、心がじんわりと温かくなるのを感じた。
失ったと思っていたものが、こうして戻ってきた。
たとえ形が変わっても、たとえ制約があっても大切な人が、生きて、ここにいる。
それだけで十分だった。




