第9話:朝食バイキングで大恥をかいた後、軍衣の胸ポケットから21世紀の奇跡が飛び出した
昨夜、深夜の不法侵入を試みた岩崎軍曹の鳩尾へ渾身の物理キックを叩き込んで強制就寝したおかげか、翌朝の私は比較的すっきりと目を覚ますことができた。
だが、掛け布団をめくろうとした瞬間、腕に伝わる重苦しい質量に、私は盛大に顔を引きつらせた。
バカなセクハラ軍曹は、案の定、私の体にガッツリと抱きついて寝ていた。
あろうことか口元からだらしなく涎を垂らしながら、そのゴツゴツした右手は私のショートパンツのお尻のあたりを無意識に優しく触っている。
(……本当に、救いようのないバカだな、この地縛霊)
私は呆れ果てて軍曹の頭を枕で引っ叩いて引き剥がし、洗面と歯磨きを手早く済ませた。そして、ハスラーの一人旅で楽しみにしていたビジネスホテル名物の「朝食バイキング」へと向かうことにした。
しかし、ここでも不条理な戦線が私を待ち受けていた。
私の横をすり抜けてついて来たバカな軍曹は、21世紀のホテルの豪華な料理を前に『おおッ、鮭の塩焼き! スクランブルエッグだと!? これも糧秣か!』と異常なまでに食い意地を張りまくったのだ。
「佐倉殿、あれも食べたいであります! いや、あっちの肉じゃがもカゴに入れるのだッ!」と、私にしか見えない声を耳元でカチコチに大騒ぎする。
周囲の宿泊客の目を気にしながら、言われるがままにトレイへ料理を乗せていった結果、私の目の前のテーブルには、まるでフードファイターか大食いタレントかというレベルで、おかずの皿が山のように積み上がる羽目になった。
周りのビジネスマンたちから「あの華奢な女の子、朝からどれだけ食うんだ……」という驚愕の視線を一身に浴び、私は恥ずかしくなって、大急ぎで口に料理を押し込み、そそくさと朝食会場を後にした。
部屋に帰り、お腹がいっぱいになって大満足の軍曹は、ベッドの横に浮きながらコンビニで買った『ピース』のタバコに火をつけた。紫煙をゆっくりと部屋の天井へ燻らせながら、軍曹はふう、と渋い男の顔に戻って呟いた。
『うーむ。やはり、佐倉殿は佳子ちゃんに似ているな。……昨夜触れた、おっぱいの感触もな』
「あっそう。セクハラ発言はスルーしますね」
私は鏡の前で、今日札幌に帰るための、いつもの現代のナチュラルメイクをお化粧をしていた。
おもむろに、軍曹がカーキ色の九八式軍衣の左胸のポケットに手を差し入れた。
取り出したのは、長年の硝煙と泥、そして80年という歳月の重みで、端っこがボロボロに擦り切れた一枚の古いモノクロ写真だった。
『……俺の、婚約者だ』
軍曹の強面から、いつもの卑しいニヤニヤ顔が完全に消え、酷く暗い、寂しげな表情に変わった。
『出征する直前、旭川の街で挙げた、たった一日の結婚生活だった。……お互い、深く好き合ってはいたが、時代が時代だからな。すぐに引き裂かれて、実質は独身のチョンガーのまま、俺は阿寒のレンガの底で死んだ。彼女にとっては、独身でいたのと変わりない寂しい思いをさせたさ……』
私はファンデーションの手を止め、軍曹の手元にある、その古いモノクロ写真を銃眼の光のようにじっと見つめた。
そして、私は息を呑み、文字通り目を見張った。
そこに写っていたのは。
古めかしい白無垢の着物を着て、はにかむように微笑んでいる、若き日の美しい一人の女性。
それは、私の実家の仏壇の横に飾られている、私が子供の頃にいつも優しく頭を撫でてくれた――若い頃の、私の『ひいおばあちゃん』その人だった。
「……え? 嘘……。佳子、ちゃん……?」
私がiPhoneの画面を落としそうになりながら硬直する中、阿寒川の冷たい記憶を孕んだビジネスホテルの部屋に、時空を超えた21世紀の奇跡のディテールが、あまりにも静かに、そして圧倒的な不条理さを持って、二人の間に流れ始めるのだった。
(第9話・了)




