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第6話:駅前のビジネスホテルで、八十年ぶりの現世の補給と最悪のセクハラを経験する

 私はピンクのハスラーのエンジンを始動させ、阿寒川の河川敷を後にして釧路市内へと向かう大楽毛(おたのしけ)の夜道を走らせていた。

 バックミラーに映る後方の闇を気にしながらも、私の視線はどうしてもすぐ左の助手席へと向かってしまう。そこには一応、保安基準に従ってシートベルトを律儀に締めた、足のない帝国陸軍軍曹――岩崎鉄蔵の亡霊が、小さくなってちょこんと座っていた。ハスラーのインパネの液晶の光が、彼のカーキ色の九八式軍衣を奇妙に照らしている。

 途中でトイレのために立ち寄ったロードサイドのコンビニで、私は自分の出費からペットボトルのお茶を二本、そして仕方なく『ピース』のタバコとライターを買い求めた。

『……おおッ! 苦味の中に確かな甘みがある。これが21世紀の日本茶か……! さらにこの「ぴーす」という紙巻タバコ、なんと濃厚で芳醇な香りのする良質な糧秣(りょうまつ)なのだ。素晴らしい補給でありますな、佐倉殿!』

 ハスラーの助手席の窓を少しだけ開け、紫煙を満足そうにくゆらせながら、ペットボトルのお茶を美味そうに煽る軍曹。さっきまでお尻を触って壁に叩きつけられていた男とは思えないほど、八十年の時を超えた現世の嗜好品に上機嫌になっていた。

 数十分後、ピンクのハスラーは釧路駅前のビジネスホテルに到着した。

 フロントの自動チェックイン機を前に少しだけ緊張したが、やはりフロントの従業員にも、周囲のビジネスマン風の宿泊客にも、私の横を歩く軍曹の姿は見えていないらしい。完全に私一人のワンオペレーションだった。

「……喫煙室のシングルでお願いします」

 私は受付を済ませ、エレベーター前の自販機で冷えた缶ビールを一本買い、幽霊に手渡してやった。

 鍵を開けて狭い一人の客室に入ると、私は一眼レフカメラとショルダーバッグをベッドに置き、振り返って浮かれている軍曹に釘を刺した。

「いいですか、鉄蔵さん。私はこれから一階の大浴場に行ってきます。あなたは大人しくその冷たい缶ビールでも飲んで、ベッドの端っこで大人しく寛(くつろ)いでいてくださいね。一銭銅貨しか持っていないあなたのせいで、これは全部私の余計な出費なんですからね」

『うむ、分かった。すまんであります、佐倉殿。ゆっくり湯に浸かってくるが良い』

 軍曹は初めて見る液晶テレビやユニットバスの扉をカチコチに感心しながら、缶ビールのプルタブを珍しそうに開けていた。

 数十分後。大浴場で炭鉱の泥と一日の疲れを綺麗に洗い流し、備え付けの浴衣に着替えた私は、すっきりとした気分で部屋へと戻ってきた。

 だが、部屋のカードキーを差し込んでドアを開けた瞬間、私の脳内の血管がブチッと音を立てて激しく烈火した。

「な……ッ!?」

 部屋の中に立ち込める、ほろ酔いのビールの匂い。

 そのベッドの上で、顔をほんのり赤くした岩崎軍曹は、あろうことか私の旅行用の荷物を勝手に引っかき回して開けていた。そして、そのゴツゴツとした両手には、私の私物である――ブラジャーが、これ以上ないほどにしっかりと握られていたのだ。

 軍曹は、現代の21世紀のランジェリーの構造に感銘を受けたのか、あるいは純粋なチョンガーとしてのエゴが暴走したのか、強面をデレデレと緩ませて、信じられないほどニヤニヤとした卑しい笑顔を浮かべていた。

 ――ドバチィィィィィンッッッ!!!!!

 本日二度目となる、私の右手の掌による完璧な物理ビンタが、軍曹のほろ酔いの顔面にクリーンヒットした。

 霊感パワーをフルに乗せた一撃は、再び凄まじい衝撃音を室内に響かせる。

『あふっ!? 再び足がないのに衝撃がッ!!』

 軍曹はブラジャーを手放し、シングルベッドの宮棚の角に頭をぶつけて悶絶した。

「この最低セクハラ地縛霊ィィィッ!! 缶ビール奢ってあげた恩を仇で返すなッ! もうこんな奴、ウンザリだ!!」

 私は自分の下着をひったくるように回収し、ビジネスホテルの狭い一室で、怒りで肩を激しく上下させた。

 ミリタリー知識ゼロの佐倉萌の夏休み道東一人旅は、釧路駅前のビジネスホテルの密室において、歴史の悲哀など1ミリも感じさせない、ただの不潔なセクハラ亡霊との最悪な泥沼内戦へと突入していくのだった。

(第6話・了)

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