第4話:熊部隊の鬼軍曹がセクハラをしてきたので、レンガの壁に叩きつけてやった
『ば、馬鹿な……! 足がないということは、俺は東京の、あの靖国神社へも歩いていけんではないかッ! 英霊として国に尽くした俺は、どうすればいいのだッ!』
自分の足首から下が完全に透けて浮いている現実に、岩崎軍曹は略帽をむしり取らんばかりの勢いでカチコチに絶望し始めた。だが、ミリタリー知識ゼロの私は、その痛々しい叫びに対しても、至極冷静に「あそこ」の定義を告げた。
「あの、鉄蔵さん。あそこ(靖国神社)って、成仏した英霊が祀られる場所ですよ」
『……っ!?』
岩崎軍曹は、文字通り絶句した。
「だから、足がない上にここに縛り付けられてるあなたは、典型的な未成仏の地縛霊なんです」
『お、俺は……成仏できずに、戦後もずっと、この冷たいレンガの暗闇の中に一人きりでいたのか……。第七師団の歩兵連隊――『熊部隊』の鬼軍曹と恐れられたこの俺が……ッ! なんという無念だ……!』
項垂れ、三十年式弾薬盒のベルトをガタガタと震わせながら、本気で涙を流し始める熊部隊の鬼軍曹。第七師団(※旭川に司令部を置いた、陸軍最強と謳われた北鎮部隊)の生き残りというガチなディテールが明かされたものの、阿寒川の河川敷の夜風はどんどん冷たくなっていく。ショーパン姿の私の太ももは、もう限界だった。
「あの、お気の毒ですけど、外が少し冷えるので私、ピンクのハスラーに戻ってエアコン入れますね。じゃ、おやすみなさい」
私が踵を返そうとした、その時だった。
『ちょ、ちょっと待てッ! 待ってくれ、佐倉ッ!』
「何ですか?」
『その……何だ。八十年ぶりに人と話したのだ。……もうしばらく、話し相手をしてはくれんか……っ』
さっきまでのカチコチな威厳はどこへやら、寂しがり屋の子供のようになりふり構わず引き止めてくる鬼軍曹。
「はぁ? そんなこと言われても、私、釧路の幣舞橋で夕日見る予定だったのがもう夜だし、お腹ペコペコで勝手丼食べに行きたいんですけど……」
私が呆れてため息をついた、次の瞬間だった。
岩崎軍曹は何をトチ狂ったのか、カーキ色の軍衣の右袖をおもむろに力強く伸ばし、私のGUのデニムショートパンツに包まれた――お尻に、ガシッと触れてきたのだ。
一瞬の静寂。
岩崎軍曹は、自分の手のひらの感触を確かめるように指を動かすと、強面をくしゃくしゃにして大はしゃぎで絶叫した。
『さ、触ったァァァァァァァァァッッッ!!! 弾力があるッ! 柔らかいッ! 俺は、俺は八十年ぶりに、本物の女体に触れたぞォォォォォォ大東亜万歳ィィィッッッ!!!』
「――っ」
私の脳内で、何かの導火線が音を立ててブチ切れた。
陸軍軍曹だか熊部隊だか知らないが、現代の21世紀において、やっていいことと悪いことがある。
「この、セクハラじじいィィィィィィィィィッッッ!!!!!」
――ドバチィィィィィンッッッ!!!!!
私は咄嗟に、右手のスナップを極限まで利かせ、渾身のビンタを岩崎軍曹の頬へ叩きつけてやった。
霊感が強すぎる私の右手は、霊体であるはずの軍曹の顔面に100%の物理エネルギーとしてクリーンヒットした。
ドガシャァァァァァッッッ!!!
『ぐはっ!?』
凄まじい衝撃音とともに、体重数テンキロはあるはずの岩崎軍曹の身体が、まるで大砲の直撃を浴びたかのように後方へとフッ飛び、トーチカの頑丈なイギリス積みのレンガの壁に、文字通り背中から激しく叩きつけられたのだ。レンガの隙間からパラパラと古い煤と砂埃が舞い落ちる。
「…………え?」
叩きつけられた衝撃で「あ、足がないのに壁に当たったであります……」と白目を剥いて失神しかけている鬼軍曹を見つめながら、今度は私のほうが、空いた口が塞がらなくなっていた。
首から下げた一眼レフカメラの重みと、手のひらに残るガチな手応え。
ミリタリー知識ゼロの霊感廃墟女子大生・佐倉萌の夏休み道東一人旅は、終戦の歴史の悲哀を通り越し、地縛霊を物理で制裁する最強のサバイバル戦線へと突入してしまうのだった。
(第4話・了)




