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ただいま

手術室の扉が閉まってから、


どれくらい時間が経ったのか分からなかった。




時計を見るたびに、


針がほとんど動いていないように感じた。




(……香織……)




待合室の椅子は硬くて冷たい。


でも、そんなことはどうでもよかった。




ただ、


香織が無事であることだけを祈っていた。




「香織さんのご家族の方」




突然、名前を呼ばれた。




心臓が跳ねた。




立ち上がると、看護師さんが軽く会釈して言った。




「手術が終わりました。担当医から説明がありますので、こちらへ」




足が少し震えた。




(……終わった……?無事……なのか……?)




案内されたのは、小さな説明室だった。




白いテーブルと椅子が二つ。


壁には何もない。




ただの部屋なのに、やけに息苦しかった。




扉が開き、佐伯先生が入ってきた。




マスク越しでも分かる、少し疲れた表情。




でも、その目は落ち着いていた。




「お待たせしました。香織先生の手術、無事に終わりました」




その一言で、膝から力が抜けそうになった。




「……よかった……」




声が震えた。




佐伯先生は椅子に座り、資料を広げながら続けた。




「腫瘍は予定通り切除できました。


 周囲の組織も含めて、しっかり取り切れています」


「リンパ節への転移も、現時点では大きなものは見られませんでした。


 ただ、病理検査の結果が出るまでは確定とは言えません」




俺は深く頷いた。




「……はい」




「香織先生は今、麻酔から覚め始めています。もう少ししたらお顔を見られますよ」




その言葉に、胸が温かくなった。




(……香織……本当に……よく頑張ったな……)




説明が終わり、


資料を閉じた佐伯先生が


ふと柔らかい声で言った。



「……香織先生、強い方ですね。手術前も、ずっと落ち着いていましたよ」



俺は小さく笑った。



「……あの人は、強いです。


 でも……本当はすごく怖がりなんです」



「だからこそ、支えてあげてください。治療はまだ続きますから」



「もちろんです」



その言葉に、


迷いは一つもなかった。




説明室を出ると、廊下の空気が少しだけ暖かく感じた。




(……香織。もうすぐ会える)




歩きながら、少しホッとする。




手術室の前で待っていた時間より、


今の方が涙が出そうだった。




(……生きてる。


 帰ってくる。


 ぼくと愛華のところに)




その事実が、何よりも嬉しかった。



☆☆☆



(……ここ……どこ……)




意識がゆっくり浮かび上がってくる。


頭がぼんやりして、


身体が重くて、


胸のあたりがじん、と痛む。




まぶたを開けようとすると、


光が滲んで、


視界がぼやけた。




(……手術……終わった……?)




自分の呼吸の音だけが、


やけに大きく聞こえる。




その時だった。




「……香織」




かすれた声が、


すぐそばで聞こえた。




その声を聞いた瞬間、


胸の奥がじわっと熱くなった。




(……尚文……)




ゆっくり目を開けると、


尚文がいた。




マスク越しでも分かる。


泣きそうな顔で、


でも必死に笑おうとしている。




「……尚文……?」




自分の声が、驚くほど弱くて掠れていた。




尚文は椅子から身を乗り出し、そっと私の手を握った。




その手は温かかった。




「香織……よかった……


 本当に……よかった……」




尚文の目が赤い。


きっとずっと泣きそうだったんだ。




(……ああ……生きてる……


 ちゃんと……生きてるんだ……)




胸がじんわり熱くなって、


涙がこぼれた。




「……終わったの……?」




「うん。無事に終わったよ。


 先生が言ってた。


 “しっかり取り切れました”って」




その言葉を聞いた瞬間、


身体の力が抜けた。




(……よかった……


 本当に……よかった……)




尚文は私の手を包み込み、額にそっと触れた。




「怖かったよな……


 でも……よく頑張った。


 香織は本当に強いよ」




その声が優しくて、


涙が止まらなかった。




「……怖かった……


 すごく……怖かった……」




「うん。


 でももう大丈夫。


 ぼくがいる。


 愛華も待ってる」




愛華の名前を聞いた瞬間、


胸がぎゅっと締め付けられた。




(……帰らなきゃ……


 あの子のところに……)




尚文は私の涙を指で拭い、静かに微笑んだ。




「おかえり、香織」




その言葉が、


胸の奥に深く染み込んだ。




私は弱く笑って、


尚文の手を握り返した。




「……ただいま……」




その瞬間、世界が少しだけ明るく見えた。

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