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小さな覚悟と強い背中

翌日、


私達はそれぞれの両親に連絡した。




電話口で、母は泣き崩れた。




「香織……どうして……


 どうしてあんたばっかり……」




父は静かに言った。




「すぐ行く。お前のそばにいたい」


★★


香織は電話を切ったあと、


しばらく黙っていた。




お袋は震える声で言った。




「香織ちゃん……大丈夫だからね……何があっても支えるから……」




オヤジは珍しく長い沈黙のあと、




「……尚文。お前が支えてやれ。家族なんだから」




と言った。





亮介さんのご両親へ香織が電話をかけると、


向こうはしばらく言葉を失っていた。




「……香織さん……


 あなたは本当に頑張ってきたのに……」




「愛華のことは……


 私たちも支えますから……


 どうか無理をしないで」




香織は電話を切ったあと、


静かに涙をこぼした。




ぼくはそっと背中を撫でた。





数日後。


ぼくたちは再び病院の診察室にいた。




香織は緊張で手を握りしめていた。ぼくはその手をそっと包んだ。




佐伯先生は、落ち着いた声で説明を始めた。




「香織先生のタイプは……


 早期の段階で見つかっている。


 治療の選択肢は複数ある」




香織は真剣に聞いていたが、


その横顔はどこか強張っていた。




「まずは手術を検討する。


 その後、病理結果によって


 抗がん剤や放射線治療を追加する可能性がある」




香織は小さく頷いた。




「……分かりました」




佐伯先生は優しく続けた。




「治療は大変だ。でも……早期なら十分に治療可能だよ。一緒に進めていこう」




香織の目が少し潤んだ。




ぼくはその手を強く握った。




「大丈夫だよ。


 俺がいる。


 愛華もいる。


 三人で乗り越える」




香織は小さく微笑んだ。




その笑顔は、少しだけ強く見えた。


————



治療方針の説明を受けた翌日。


ぼくたちは、ついに“あの日”を迎えた。




夕方、保育園から帰ってきた愛華は、


いつも通り元気に走り回っていた。




「ママー!見てー!今日ね、折り紙でお花作ったの!」




香織は笑顔で受け取ったけど、


その笑顔はどこか弱かった。




夜。


夕飯を食べ終え、


愛華が牛乳を飲んでいるタイミングで、


香織がそっと俺を見る。




(……今だな)




ぼくは小さく頷いた。




香織は深呼吸をして、愛華の隣に座った。




「愛華……ちょっとお話があるの」




「なぁに?」




愛華は無邪気に首を傾げる。




香織は震える声を押し殺しながら言った。




「ママね……少しだけ……病院に行かないといけなくなったの」




「びょういん?


 ケガしたの?」




「ううん、ケガじゃないよ。


 でも……ママのお胸にね、悪いところが見つかって……


 治すために、しばらく病院で治療するの」




愛華の目が丸くなる。




「ママ、いたいの?」




香織は一瞬だけ言葉に詰まり、それでも優しく微笑んだ。




「ちょっとだけね。でも……治すために頑張るよ」




愛華はしばらく黙っていたけど、


やがて香織の手をぎゅっと握った。




「……ママ、がんばって。


 あいか、いい子にしてるから。


 パパとまってるから」




香織の目から涙がこぼれた。




「……ありがとう……愛華……


 ママ、絶対に帰ってくるからね……」




「‥‥ママがいない間、


 おばあちゃん、おじいちゃんが来てくれるって。


 愛華、良かったね。」




「うん。わかったー!」




そう言って笑顔になる愛華。




ぼくは二人をそっと抱き寄せた。




「三人で乗り越えるんだよ」




愛華は小さく頷いた。



———



治療開始が近づいたある日。


香織が鏡の前で髪を触っていた。




「……尚文。切ろうと思う」




「……髪を?」




香織は静かに頷いた。




「もし、抗がん剤が始まったら……


 きっと抜けちゃうから。


 その前に……自分で決めたいの」




その言葉が胸に刺さった。




美容院に行くのかと思ったら、


香織は家の洗面所に椅子を置いた。




「……尚文、切ってくれる?」




「ぼくが……?」




「うん。


 あなたに切ってほしいの。


 最後の……私の髪になるかもだから」




ぼくは言葉を失った。




震える手でハサミを持ち、


香織の長い髪をそっと掬い上げる。




「……いくよ」




「うん」




ハサミが髪を切る音が、


やけに大きく響いた。




香織の髪が肩までの長さになった時、


香織は鏡を見て小さく微笑んだ。




「……軽くなった。


 なんか……前に進める気がする」




ぼくはその横顔を見て、胸が締め付けられた。




「香織……綺麗だよ」




香織は照れたように笑い、そのままぼくの胸に顔を埋めた。




入院当日の朝。


香織は小さなバッグを持って玄関に立っていた。




愛華は泣かないように必死に笑っていた。


愛華の後ろには、香織のご両親。




「ママ、がんばってね。


 あいか、まいにちおてがみ書くから」




「ありがとう……愛華。


 ママ、絶対に帰ってくるからね」




香織は愛華を抱きしめ、その小さな背中を何度も撫でた。




ぼくは車のドアを開け、


香織を乗せた。




病院に向かう道中、香織は窓の外を見ながら小さく言った。




「……怖いよ、尚文」




ぼくは香織の手を握った。




「怖くていい。


 俺が隣にいる。


 何があっても離れない」




香織は涙をこぼしながら、俺の手を握り返した。




病院に着いて、入院受付を済ませる。


しばらくすると、病棟の看護師さんが呼びに来た。


香織は深呼吸をして言った。




「……行ってくるね」




「うん。お見舞いに行くから。」




香織は小さく頷き、病棟へと歩いていった。




その背中は小さく見えたけど、


誰よりも強かった。

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