パパ
尚文が家に来て暮らし始めて、気づけばもう一年が経っていた。
最初はぎこちなかった三人の生活も、今ではすっかり日常になっている。
朝は尚文が愛華を起こして、
夜は三人でご飯を食べて、
休日は公園に行ったり、買い物に行ったり。
(……ずっと一緒に暮らしていたみたい……)
そんなことを思う日が増えた。
朝から少し肌寒くて、私はキッチンでスープを作っていた。
リビングからは、尚文と愛華の笑い声が聞こえる。
「ナオさん、見て見て!これ、できたよ!」
「お、すごいじゃん。上手くできたな」
どうやら、折り紙を作っているみたいだった。
そんな他愛もない会話。
でも、
その声が家の中に響いているだけで、胸が温かくなる。
スープをよそっていると、リビングから愛華の声が聞こえた。
「パパ、これ見て!」
……パパ?
一瞬、手が止まった。
(……今……なんて……?)
私はゆっくり顔を上げた。
リビングでは、愛華が折り紙を持って尚文に駆け寄っていた。
「パパ、これね、ハートなの!」
尚文は驚いたように目を開いて、
それから、
ゆっくりと笑った。
「……そっか。ありがとう、愛華」
その声は、どこか震えていた。
胸の奥がじんわり熱くなって、息が詰まりそうだった。
(……愛華……
自然に……
こんなふうに呼べるようになったんだ……)
誰に強制されたわけでもなく、
誰に言われたわけでもなく。
ただ、
毎日一緒に過ごして、
笑って、
抱っこしてもらって、
手を繋いで、
眠る前に絵本を読んでもらって。
その積み重ねの先に、
自然と出てきた言葉。
「パパ」
その一言が、家の空気を変えた。
私と目が合った瞬間、尚文は少し照れたように笑った。
でもその目は、どこか潤んでいた。
(……尚文……
嬉しかったんだ……)
私はそっと微笑んだ。
「……良かったね、尚文」
尚文は小さく頷いた。
「……ああ。こんな日が来るなんて、思わなかった」
その声を聞いた瞬間、胸がぎゅっと締め付けられた。
嬉しくて、
温かくて、
少しだけ切なくて。
(……亮介……
新しい家族が、ちゃんと育ってるよ……)
心の中で、そっと呟いた。
尚文が家に来て暮らし始めてから、
毎日が穏やかで、
笑い声が絶えなくて、
愛華はすっかり尚文に懐いて、
家の中はいつも明るかった。
……ただ。
(……尚文、愛華に独占されすぎじゃない?)
朝起きたら愛華が尚文に抱きついていて、
夜寝る前も愛華が尚文の腕を掴んで離さない。
休日はずっと二人で遊んでいて、
私はキッチンからその様子を眺めているだけ。
(別にいいけど……
少しくらい私に構ってくれてもいいのに)
尚文は優しい。
優しすぎるくらい優しい。
でもその優しさが、
全部愛華に向いているように見える日もあった。
もちろん、愛華が幸せそうなのは嬉しい。
でも——
私の事も、もっと見て欲しい。
そんな気持ちが胸の奥に、
小さな棘みたいに残っていた。
***
「……お泊まり保育?」
愛華が通う保育園からのお知らせ。
年長さんになる前の恒例行事で、一泊二日で園に泊まるというものだった。
愛華は大喜びで手紙を振り回していた。
「ママ!パパ!愛華ね、お泊まりするんだよ!
夜もお友だちと一緒なんだよ!」
尚文は笑って頭を撫でた。
「すごいじゃん。楽しみだな」
私は手紙を見つめながら、愛華の成長に胸が熱くなった。
でも、ふと思った。
(……ということは……
その日は……
尚文と二人きり……?)
家に尚文が住むようになって一年。
でも、
二人きりの夜は一度もなかった。
愛華が必ず間に入っていたから。
(……どうしよう……なんか……緊張する……)
夕食の準備をしながら、尚文の方をちらちら見てしまう。
尚文は愛華とお絵描きをしていて、いつも通りの優しい笑顔。
(……尚文と……二人きり……)
そんなことを考えるだけで、胸がくすぐったくなる。
愛華が寝た後、私はそっと尚文に言った。
「ねぇ、尚文。愛華のお泊まり保育……来週だって」
尚文は「へぇ」と軽く返しただけだったけど、
その横顔はどこか照れているように見えた。
(……もしかして、尚文も……少しは意識してくれてるのかな……)
そんな期待が、
胸の奥で静かに膨らんでいった。




