実家
香織の両親の家を出て、ぼくたちはそのまま車でぼくの実家へ向かっていた。
夕方の光がフロントガラスに差し込んで、車内は少しだけオレンジ色に染まっていた。
愛華ちゃんは後部座席で、窓の外を眺めながら鼻歌を歌っている。
そんな穏やかな空気の中で、
香織がふと、ぼくに尋ねた。
「ねぇ、ナオ。
……ナオのご両親には、
私たちのことって……少しは話しとるん?」
ぼくはハンドルを握ったまま、あっさり答えた。
「いや。全然話してないよ」
香織が一瞬固まった。
「……え?」
ぼくは続けた。
「基本的に連絡も、
たまに“生きてるか?”って電話が来るくらいで……
自分からはほとんど取ってない」
香織が目を丸くした。
「ちょ、ちょっと待って。え……じゃあ……今日行くのって……」
ぼくは笑って言った。
「うん。行くっても伝えてないよ。でも、大丈夫、大丈夫」
香織の顔が一気に赤くなる。
「大丈夫じゃないわ!!」
ぼくは思わず肩をすくめた。
「え、なんで?」
「なんでって……
そんなん……もっと前に言っとってよ~!!
心の準備ってもんがあるやろ~!!」
香織の声が少し震えている。
怒ってるというより、“動揺してる”感じだった。
ぼくは苦笑しながら言った。
「ごめんごめん。でも、ぼくの両親は大丈夫だよ。そんなに心配しなくていいって」
香織はぷいっと横を向いた。
「……そういう問題じゃないんよ……」
その横顔が、
なんだか可愛くて、
ぼくはつい笑ってしまった。
「香織、怒ってる?」
「怒っとる!!」
愛華ちゃんが後ろから顔を出す。
「ママ、どうしたの?」
香織は慌てて笑顔を作る。
「なんでもないよ〜」
でも、ぼくには分かる。
香織は本気で怒ってるわけじゃない。
ただ、
“知らされてなかったこと”に
不安になってるだけだ。
ぼくは少し真面目な声で言った。
「香織。
……ごめん。
でも、ちゃんと話すよ。
ぼくの気持ちも、覚悟も。
だから……一緒に来てほしい」
香織はしばらく黙っていたけど、やがて小さく息を吐いた。
「……分かった。
行くよ。
行くけど……
ほんとに……ちゃんと前もって言ってよね」
ぼくは頷いた。
「うん。これからは事前にちゃんと言うよ」
その瞬間、香織の表情が少しだけ柔らかくなった。
車はゆっくりと、
ぼくの実家へ向かって走り続けた。
玄関の前に立つと、胸の奥がざわつく。
(……大丈夫。うちの両親は優しいから……
たぶん……大丈夫)
そう自分に言い聞かせながら、インターホンを押した。
「はーい」
母の声がして、扉が開く。
母はぼくを見て微笑んだあと、
香織と愛華ちゃんを見て——
完全に固まった。
「えっ……?あ、あの……こちらの方は……?」
香織が丁寧に頭を下げる。
「初めまして。香織と申します」
愛華ちゃんも続く。
「こんにちは!愛華です!」
母は口元に手を当てたまま、しばらく動けなかった。
(……あ、これ……大丈夫じゃないやつだ)
ぼくは静かに言った。
「母さん。今日は……紹介したい人がいて」
母はぼくの顔を見て、ゆっくりと頷いた。
「……上がって。お父さんも呼んでくるから」
父が新聞を置いて立ち上がる。
「おお……尚文。
……えっと……こちらの方々は……?」
香織が丁寧に頭を下げる。
「初めまして。香織と申します」
愛華ちゃんも続く。
「はじめまして!」
父は驚いたように目を細めた。
「……尚文、お前……どういう……?」
その先を言いかけて、父は言葉を飲み込んだ。
母はお茶を置きながら、ぼくの顔をじっと見つめる。
「あんた、日頃電話もして来んのに、いきなり来て。
今日は……どういう話なの?」
さっきまでの柔らかい空気が、一気に緊張に変わった。
ぼくは背筋を伸ばし、ゆっくりと口を開いた。
「……父さん、母さん。今日は……香織さんと愛華ちゃんのことを
ちゃんと話したくて来た」
二人が静かに頷く。
ぼくは言葉を選びながら続けた。
「香織さんは……
オレの中学の同級生で、
今は近くの病院でお医者さんをしてる。
2年位前に、亮介さんという旦那さんを亡くして、
今は愛華ちゃんと二人で暮らしてる」
母が小さく息を呑む。
ぼくは続けた。
「オレは……
香織さんと愛華ちゃんを支えたいと思ってる。
でも……籍を入れるつもりはない」
父が眉を上げる。
「籍を……入れない?」
ぼくは頷いた。
「亮介さん‥‥香織さんの旦那さんであり、
愛華ちゃんのお父さんの存在を……
消したくないんだ。
香織さんにとっても、愛華ちゃんにとっても、
亮介さんは大切な人だから」
母がそっと手を口元に当てた。
ぼくは続ける。
「例え、籍が入ってなくても、
ぼくは二人を守るつもりでいる。
亮介さんのことも含めて。
三人で生きていく覚悟はある」
「今まで黙っててごめん。
でも、オレはそう決めたから。」
言い終えた瞬間、居間に静かな空気が落ちた。
父は腕を組み、しばらくぼくを見つめていた。
その沈黙が、
責めるものではなく、
“息子の覚悟を測っている沈黙”だと分かった。
やがて、父はゆっくりと息を吐いた。
「……そうか。
お前がそこまで言うなら……」
母も、胸の前で手を組んだまま、
ぼくと香織と愛華ちゃんを交互に見ていた。
そして——
母がぽつりと言った。
「……尚文。
あんた……
いつの間にこんな綺麗な人と知り合ったん?」
ぼくは思わずむせた。
「え、いや……その……」
母はさらに続ける。
「しかも……
こんな可愛い子まで連れてきて……
あんた……
隠し子でもおったんかと思ったわ」
香織が「えっ!?」と変な声を出す。
ぼくは慌てて手を振った。
「ち、違う違う違う!!
そんな事ある訳ないっちゃ!!」
父がふっと吹き出した。
「はは……
お前、もっと早く言えよ。
お父さんも最初、そう思ったわ。
親に心臓止まる思いさせんでくれ。」
母は笑いながら涙を拭った。
「ほんとに……
びっくりしたんよ……
でもね……」
母は香織の手をそっと握った。
「こんなに綺麗な人が来てくれて……
それに……
こんな可愛い子まで“家族”って言ってくれて……
母さん、嬉しいよ」
父も照れくさそうに笑う。
「尚文。
お前……
ええ家族を連れてきたな」
香織は母の手を握り、涙を流していた。
愛華ちゃんは母の膝に抱きつく。
「おばあちゃん、ナオさんね、愛華のパパなんだよ!」
——時間が止まったように感じた。
ぼくの胸の奥に、何か熱いものが一気に広がった。
(……今……“パパ”って……言った?)
母は驚いたあと、ゆっくりと微笑んだ。
「……そうなんねぇ。
愛華ちゃんにとって……
尚文は、もう“パパ”なんやね」
父も静かに頷いた。
「なら……もう家族やな」
その言葉を聞いた瞬間、肩の力がふっと抜けた。
(……ああ。
この家にも、
ちゃんと“家族”が増えたんだ)
ぼくは、胸の奥が温かくなるのを感じていた。




