ぼくの思い
仕事を終えて、ふっと息をついた。
机の上を片づけ、携帯を手に取る。
画面に“香織”の名前が光っていた。
「愛華が会いたいって騒いでて、少しでもいいから寄れる?」
思わず笑ってしまった。
(……目に浮かぶな……)
愛華ちゃんが小さな体でぴょんぴょん跳ねながら
「ナオさん!ナオさん!」って言ってる姿が、簡単に想像できた。
その瞬間、隣の席の後輩がすかさず声をかけてきた。
「先輩、最近なんか雰囲気変わりましたよね。なんすか?いいことあったんすか?」
ぼくは携帯を閉じながら、軽く笑った。
「お前も守るべき人ができれば分かるよ」
後輩はぽかんとした顔をしていたが、ぼくはもう気にしていなかった。
(……行こう)
アイツと愛華ちゃんの待つ家へ。
車に乗り込み、エンジンをかける。
そのままアイツに電話をかけた。
コール音が鳴る間、胸の奥がじんわりと温かくなる。
(……会いたいな)
そう思った。
☆☆☆
愛華を迎えに行くと、今日も元気いっぱいに走ってきた。
「ママ!きょうね、ウタちゃんがね……!」
車に乗るまでの数分で、保育園での出来事を全部話し終える勢いだった。
そして、話がひと段落した瞬間――
「ねぇ、ナオさん、いつ来る?」
やっぱりそれか、と笑ってしまった。
「どうかなぁ。でも、会えるといいね」
家に着いても、愛華は玄関で靴を脱ぎながら言った。
「もうすぐ来る?ねぇ、ママ、来るよね?」
(……ほんとに、この子は……)
困ったように笑いながら、私はスマホを取り出した。
“ナオ”
メッセージ画面を開く。
「愛華が会いたいって騒いでて、少しでもいいから寄れる?」
送信ボタンを押したあと、
胸の奥が少しだけ熱くなった。
(……ほんとうは、会いたいのは私もだけど……)
そう思いながら、スマホをそっと伏せた。
メッセージを送ってからしばらくして、テーブルの上のスマホが震えた。
(……電話?)
画面には“ナオ”の名前。
名前を見るだけで、自然と表情がゆるむ。
「……もしもし」
『香織?今、大丈夫?』
その声を聞いた瞬間、胸の奥が静かに満たされていく。
「ごめんね。まだ仕事だったでしょ?愛華がどうしても……」
言い訳じゃない。
ただ、少し照れくさいだけ。
電話の向こうで、ナオが笑った。
『いや、全然。愛華ちゃんがぼくの名前呼んでるの、なんか想像できてさ。可愛いよね』
その言い方が優しくて、思わず笑ってしまう。
「ほんとに……あの子は……」
はしゃぎすぎないように気をつけてるのに、
声の端に嬉しさが滲むのは止められない。
『今、そっち向かってるから』
その一言で、胸の奥がふわっと明るくなる。
「……うん。気をつけて来てね」
落ち着いた声で言ったつもりなのに、
自分でも分かるくらい、少しだけ弾んでいた。
電話を切ったあと、スマホをそっと胸に寄せる。
胸の奥に、静かにあたたかいものが広がっていく。
(……よかった……)
それだけを、
そっと心の中でつぶやいた。
————
玄関のチャイムが鳴った瞬間、愛華は弾かれたように立ち上がった。
「ナオさんだ!!」
その声の大きさに、思わず笑ってしまう。
「ちょ、ちょっと待って……スリッパ、ちゃんとはいて……!」
言ってるそばから、愛華は玄関へ全力疾走。
(……ほんとに、嬉しそう……)
私も後を追って玄関へ向かうと、
ドアを開けた瞬間――
「ナオさーーーん!!」
愛華が勢いよく飛びついた。
ナオは驚きながらも、しっかり受け止めて笑っていた。
「おお、愛華ちゃん。そんなに喜んでくれるの、嬉しいな」
その声が優しくて、胸の奥がじんわり温かくなる。
私は少し照れながら、
玄関の端でそっと微笑んだ。
「……ごめんね。ほんとに。愛華、ずっと待ってて……」
ナオは愛華を抱えたまま、私の方を見て、柔らかく笑った。
「いいよ。来たかったし」
その一言が、私にも嬉しかった。
★★★
愛華ちゃんを抱き上げながら、
ふとアイツの横顔を見る。
照れたように微笑んで、でもどこか安心したような表情。
(……守りたいな……)
その気持ちは、
昨日よりも、今の方がずっと強い。
アイツと愛華ちゃん。
この家の空気。
この温かさ。
全部を守りたい。
ぼくは愛華ちゃんをそっと降ろし、アイツの方へ一歩近づいた。
「……今日も来れてよかった。二人に会いたかったよ」
それだけの言葉なのに、香織は少しだけ目を伏せて、
嬉しそうに笑ってくれた。
再び3人で食卓を囲む時間は、
今日で2回目なのに、驚くほど自然で、温かかった。
愛華ちゃんは今日の出来事を楽しそうに話し、香織はその横で穏やかに笑っている。
(……穏やかな光景だな……)
食後、片付けを手伝いながら、
胸の奥にずっと引っかかっていたことを
そろそろ言わなければと思った。
タイミングを見計らい、アイツがふと手を止めた瞬間に声をかけた。
「香織……ちょっと話したいことがあるんだ」
香織がこちらを向く。
その表情は柔らかいのに、どこか緊張しているようにも見えた。
「……なに?どうしたの?改まって。」
ぼくは一度だけ息を吸い、静かに言葉を置いた。
「彼のところへ行きたい。
墓前に……ちゃんと報告したいんだ。
それと……彼のご両親にも」
香織の表情が、一瞬で固まった。
その変化が胸に刺さる。
(……驚かせたかな……)
でも、逃げるつもりはなかった。
「香織と愛華ちゃんを大切にしたいって……
ちゃんと伝えたいんだ」
アイツは何も言わず、ただ、ゆっくり瞬きをした。
その沈黙が、ぼくの胸を少しだけ締めつけた。




