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決意の選択

夜風が頬に触れた瞬間、アイツの温もりがふっと離れていくのを感じた。



胸の奥が、まだ熱い。



(……香織……)



さっきの言葉が、何度も頭の中で反芻される。



「どこにもいかないで……ずっとそばにいてほしい……」



あの震えた声。


涙で濡れた頬。


抱きしめ返してくれた腕の強さ。


全部が、胸に焼きついて離れない。



旦那さんを亡くしてから、


ずっと一人で堪えて、


ずっと一人で悩んで、


ずっと一人で苦しんできたんだろうな。



ぼくは歩きながら、ゆっくり息を吐いた。



(……ぼくは、アイツを‥‥


アイツの家族を‥‥守りたい……)



気づいたら、自然にそう思っていた。



アイツと愛華ちゃん。


二人の笑顔。


二人の涙。


二人の生活。



その全部を、自分の手で守りたい。



そう思った瞬間、胸の奥にひとつの決意が生まれた。



(……彼に、ちゃんと伝えに行こう)



アイツの夫。


彼が眠る場所へ。



「香織を大切にします」


「愛華ちゃんを守ります」


「あなたの家族を、俺が支えます」



その言葉を、まっすぐ伝えたい。



そして――



(ご両親にも、ちゃんと話そう)



香織の夫のご両親。


香織を娘のように可愛がっていた人たち。



その人たちに、自分の気持ちを隠さず伝えたい。



そう言える男でいたい。



ぼくは夜空を見上げた。



星がひとつ、静かに光っていた。



胸の奥に、静かで強い火が灯っていた。



————



翌朝、会社に向かう足取りはいつもより重かった。


でも、迷いはなかった。



(……今日、決める)



アイツの涙。


震えた声。


抱きしめてくれた温もり。



その全部が、ぼくの背中を押していた。



支店に着くと、ぼくは迷わず支店長室のドアをノックした。



「失礼します。少しお時間よろしいでしょうか」



支店長は書類から顔を上げ、少し驚いたように眉を上げた。



「おう、早いな。どうした?珍しいな」



ぼくは深く頭を下げた。



「……転勤の件ですが、お受けすることはできません」



支店長の手が止まった。



「……理由を聞いてもいいか?」



ぼくは一度だけ息を吸い、まっすぐ支店長の目を見た。



「守りたい人がいます。


 その人のそばを離れるわけにはいきません」



支店長はしばらく黙っていた。


ぼく表情を、真剣に、じっくりと見つめていた。



「……そうか。お前がそこまで言うのは珍しいな」



ぼくは続けた。



「もし転勤が必須であれば……会社を辞める覚悟もあります」



その言葉に、支店長の目がわずかに見開かれた。



「辞める……?お前がか?」



「はい。それほど大切な人なんです」



支店長は椅子にもたれ、


深く息を吐いた。



「……分かった。お前の気持ちは伝わった。無理に転勤させるつもりはない。


 オレが上に必ず掛け合う。辞めるなんて言わずに、この支店で続けろ」



ぼくは深く頭を下げた。



「ありがとうございます」



支店長は少し笑った。



「……随分いい顔してるな。守りたいものができた男の顔だ」



ぼくは胸の奥で、静かに拳を握った。



(……香織。


 愛華ちゃん。


 俺は、もう離れない)



その決意は、


昨日よりもずっと強く、


揺るぎないものになっていた。



☆☆☆



翌朝、目が覚めた瞬間、


まぶたが重くて、少し痛かった。



(……昨日、泣きすぎた……)



鏡を見るのが怖かったけれど、


洗面所に立つと案の定、目が腫れていた。



「……仕事なのに……」



思わず苦笑いが漏れた。



でも、胸の奥は不思議と温かかった。


昨日のナオの腕の温もりが、まだ残っている。



愛華が寝室から顔を出した。



「ママ、おはよー」



「おはよう。準備できた?」



「うん!ねぇ、今日もナオさん来る?」



その無邪気な声に、胸がきゅっとなった。



「……どうかな。でも、会えるといいね」



愛華は嬉しそうに笑った。



保育園に送り届けると、


愛華は振り返って手を振った。



「ママ、今日もナオさん来るよね!」



「……うん。きっとね」



(朝から、何回同じ事を聞いてくるのやら。)



そう答えながら、


自分でも驚くほど自然に笑えていた。



車に戻り、シートに座った瞬間、スマホの通知が目に入った。



“ナオ”



胸が跳ねた。



ドキドキしながら画面を開く。



「転勤は無くなったよ。


 ずっと2人のそばにいるから。」



その一文を読んだ瞬間、視界がじわっと滲んだ。



涙がまたこぼれた。



「……もう……ほんとに……


昨日あんなに泣いたのに……」



自分で笑いながら、涙を拭った。



でも、止まらなかった。



胸の奥が、


あたたかくて、苦しくて、嬉しくて。



(……尚文……


 本当に……ありがとう……)



心からそう思った。

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