伝える感謝
玄関のドアが静かに閉まる音が響く。
カチリ。
その小さな音が、胸の奥にじんわり響いた。
(……帰っちゃった……)
さっきまですぐそばにあった温もりが、
ゆっくりと空気に溶けていく。
尚文の腕の感触も、
頬に触れた手の温度も、
耳元で聞こえた声も――
全部まだ残っているのに。
部屋は急に静かになった。
私は玄関の前に立ったまま、しばらく動けなかった。
(……夢みたいだった……)
胸の奥が熱くなる。
「……いてほしい……」
自分の声が、
まだ耳の奥に残っている。
あんな言葉、
自分が言うとは思わなかった。
言えるとも思っていなかった。
でも――
尚文の背中に頭を預けた瞬間、
心の奥の何かがほどけて、
勝手に言葉が溢れた。
(……本当に……言っちゃった……)
頬が熱くなる。
恥ずかしい。
でも、後悔はなかった。
むしろ――
胸の奥が、ずっと温かい。
私はゆっくりリビングに戻った。
棚の上の小さな遺影が、静かに微笑んでいる。
その前には、
夫が生前愛用していた腕時計とペン。そして彼の結婚指輪。
尚文がさっきまでそこに立っていた姿が、
まだ目に焼きついている。
「……あなた……」
私は遺影の前に立ち、
そっと手を合わせた。
「……私……やっと……前に進めそう」
涙がこぼれた。
でも、今まで遺影の前で流してきた涙とは違う。
悲しみだけじゃなくて、
温かさが混ざった涙。
「……尚文……
優しい人だったでしょう……?」
遺影の中の夫は、
変わらず穏やかに笑っていた。
私は胸に手を当てた。
(……いてほしい……)
その言葉が、
胸の奥で再び静かに響く。
尚文の声も、
抱きしめてくれた腕も、
全部思い出して、
胸がぎゅっとなる。
「……さっき別れたばっかりなのに、もう会いたい……」
素直にそう思えた。
私は涙を拭き、
夫の遺影に小さく笑った。
「……あなた……背中を押してくれて、ありがとう……」
静かな夜のリビングで、私はそっと目を閉じた。
胸の奥に残った温もりが、ゆっくりと広がっていく




