家族
病院からの帰り道。
夜風が少し冷たかった。
(……転勤、か)
支店長の言葉が頭の中で何度も反芻される。
いつもなら、ただ「次の仕事だ」と割り切れた。
でも今日は――
胸の奥が妙にざわついていた。
理由は、もう分かっていた。
昨日の、あの家の空気。
愛華ちゃんの笑顔。
アイツの優しい声。
三人で囲んだテーブルの温度。
(……離れたくない)
その言葉が、ふっと胸の奥に浮かんだ。
自分でも驚くほど自然に。
(……アイツと愛華ちゃんがいる、この街に、またいたい)
仕事でも義務でもなく、ただ“いたい”と思った。
その気持ちを認めた瞬間、
胸が少しだけ痛くなった。
(……転勤になったら、もう……)
ぼくは夜空を見上げた。
言葉にならない想いが、静かに胸の奥で膨らんでいく。
————
会議室には病院の関係者がずらりと並び、ぼくは最後のスライドを閉じた。
「以上で、今回の改善プロジェクトは終了となります。皆さま、長い間本当にお世話になりました」
拍手が起こる。
ぼくは深く頭を下げた。
(……これで、本当に終わりか)
会議が終わり、人がぞろぞろと退室していく。
でも――
そこに、
アイツの姿はなかった。
(……来てないんだ)
胸の奥が、静かに沈んだ。
この一週間、アイツとも愛華ちゃんとも会っていない。
LINEも来ない。
ぼくも送れなかった。
(……また、すれ違ってる)
昔からそうだった。
大事な時ほど、
ぼくは言葉にできず、
気持ちを伝えられず、
勝手に思い込んで、
すれ違ってばかりだった。
でも――
今回は違う。
ぼくは拳を握った。
(……もう逃げない。ちゃんと伝える。今度こそ、言葉にする)
アイツに。そして、愛華ちゃんに。
胸の奥で、静かに決意が固まった。
☆☆☆
終了報告会の日。
私は非番だったけど、
病院には行かなかった。
行けなかった。
(……行ったら、泣いてしまう)
胸が苦しくて、息が浅くなる。
(……なんでこんなに苦しいんやろ)
答えは分かっていた。
(……ナオのことが、好きだから)
でも、その“好き”を認めるのが怖かった。
(……彼を裏切るみたいやん)
亡くなった夫の笑顔が浮かぶ。
愛華がパパに甘えていた姿が浮かぶ。
胸が痛い。
苦しい。
どうしていいか分からない。
そんな時――
保育園から帰ってきて、
明日の準備を一人で一生懸命にしていた愛華が、
バックから一枚の紙を取り出した。
「ママ、きょうね、え描いたの!」
「絵描いたの?凄いやん!どれどれ……」
紙を広げた瞬間、息が止まった。
そこには――
ママ、愛華、ナオ。
三人が手をつないで笑っている絵。
「……これ、なんの絵なの?」
そう聞くと、愛華は当たり前のように言った。
「このあいだの、みんなでケーキたべた、えだよ。ナオさん愛華のパパみたいだったもん」
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
(……パパ……)
愛華は続ける。
「ママね、ナオさんといる時、すっごく楽しそうだったよ」
その言葉が、
心の奥にまっすぐ刺さった。
私は絵を胸に抱きしめた。
(……私、ほんとは……あの時間が、幸せやったんや)
涙がこぼれた。
(……好きになっても、いいんかな)
その時、玄関のチャイムが鳴った。
心臓が跳ねる。
(……まさか)
私は震える手でインターホンを覗いた。
画面に映ったのは――
ナオだった。




