襲う不安
翌日。
病院の廊下を歩いていた私は、ふと前方から聞こえてくる声に足を止めた。
「――今回のコンサル、本当に助かりましたよ。おかげで現場もだいぶ改善されました」
病院の担当者の声。
その隣に立っていたのは――
ナオだった。
(……あ)
思わず柱の影に身を隠す。
(……私、なんで隠れてるんだろう。)
今、ナオに会うと何だかダメな気がした。
ナオは、昨日と同じ穏やかな表情で頷いていた。
「いえ。こちらこそ、いい経験になりました」
担当者が続ける。
「それで……この間、支店長さんから聞いたんですが、今回のプロジェクトが終わったら、
あなた、転勤になるかもしれないって?」
(…………え?)
私の胸が一瞬で冷たくなる。
「……ああ、その話ですか。まだ正式じゃないですけど……たぶん、そうなると思います」
ナオが答える。
すると、担当者が笑ってナオの肩を叩きながら。
「優秀だからねぇ。どこ行ってもやっていけるよ」
ナオは苦笑しながら答えた。
「ありがとうございます。まあ……どこに行っても、やることは変わらないので」
その声はいつも通り穏やかで、
でもどこか寂しさが滲んでいた。
私は柱の影で、心臓が痛いほど脈打つのを感じていた。
(……転勤……?ナオが……いなくなる……?)
昨日、あんなに温かい時間を過ごしたばかりなのに。
愛華があんなに懐いて、私の胸の奥の鍵がやっと少し開いたのに。
(……また……離れるん……?)
ナオは担当者と軽く会釈し、廊下の向こうへ歩いていく。
その背中が、昨日よりずっと遠く見えた。
私は動けなかった。
☆☆☆
話は、今朝に遡る。
「――今回のプロジェクト、本当に助かったよ」
支店長に呼ばれ、会議室でそう言われた。
ぼくは軽く頭を下げる。
「ありがとうございます」
支店長は資料を閉じ、少し表情を引き締めた。
「でな。次の話なんだが……今回の病院の件が終わったら、お前、転勤になるかもしれん」
ぼくは一瞬だけ息を止めた。
(……やっぱり、そう来たか)
覚悟していた話だった。
「正式決定じゃない。ただ、上は“次の拠点を任せたい”と言ってる」
「……そうですか」
ぼくは淡々と答えた。
社会人として、組織人として、こういう話は珍しくない。
どこに行っても仕事はある。
どこに行ってもやることは変わらない。
そう思っていた。
「お前なら大丈夫だ。どこに行っても通用する」
支店長の言葉に、ぼくは小さく笑った。
「ありがとうございます」
ただ――
胸の奥に、
“ざわつき”が残った。
☆☆☆
家に帰っても、
胸の奥がずっとざわざわしていた。
(……転勤……?ナオが……いなくなる……?)
夕飯を作っていても、
洗濯物を畳んでいても、
頭の中から離れない。
そんな時、愛華がパジャマ姿でトコトコ歩いてきた。
「ママ〜」
「ん?どうした?」
「きょう……ナオさん、こないの?」
胸がぎゅっと痛くなる。
「……今日は、来んよ」
「じゃあ、あしたは?」
「……あしたも、分からん」
言った瞬間、胸の奥がズキッとした。
愛華は少し寂しそうに眉を下げる。
「ナオさん……またくるよね?」
私は笑おうとしたけど、うまく笑えなかった。
「……うん。きっと……来てくれるよ」
声が震えていた。
愛華はそのまま抱きついてきて、
私はその小さな背中を抱きしめた。
(……なんでこんなに苦しいんやろ)




