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吐露

私は愛華の髪を撫でながら、


涙をこらえた。



外来はもう終わっていて、廊下は静かだった。



ソファに座り、愛華を抱いたまま、ナオと並んで薬が出るのを待つ。



LEDの白い明るい光が、どこか柔らかく感じられた。



愛華は私の胸に顔を埋め、小さく寝息を立てている。



ナオは隣で、静かにその様子を見守っていた。



しばらく沈黙が続いたあと、私はぽつりと口を開いた。



「……あのね……私、ナオに……ずっと言ってなかったことがあるの」



ナオは、


急かさず、


ただこちらを向いた。



「……夫のこと。愛華のこと……」



ナオはゆっくり頷いた。



「香織が話したいなら、聞くよ。全部。どんなことでも」



その言葉に、胸の奥がふっとほどけた。



私は、


ずっと胸にしまっていたものを、


少しずつ、


少しずつ、


言葉にしていった。



夫と出会ったこと。


病気のこと。


最後の日のこと。


愛華が生まれた日のこと。


そして――


納骨後に夢で夫に会ったこと。



ナオは一度も遮らず、ただ静かに聞いてくれた。



その静けさが、


あまりにも優しくて、


私は気づけば涙を流していた。



ナオはそっと言った。



「……香織。ひとりで……よく頑張ったな」



その一言で、胸の奥の“最後の蓋”が外れた。



私は声を殺して泣いた。


愛華を抱きしめながら、


ナオの隣で。



ナオは、何も言わず、ただそばにいてくれた。


その何も言わない優しさが、私の中の14年という月日をゆっくり解かしていった。



★★★



愛華を布団に寝かせ、額に冷えピタを貼り、


小さな寝息を確認してから、私はそっと部屋を出た。



リビングの電気をつけると、遺影の中の彼が、いつもの優しい笑顔でこちらを見ていた。



私はその前に座り、深く息を吐いた。



「……ねえ、あなた」



自然に声が出た。



「今日ね……ナオが……助けてくれたの」



写真の中の彼は、変わらない笑顔のまま。



私は、胸の奥に溜めていたものを


ゆっくりほどくように話し始めた。



「ナオってね……私、中学一年の時に初めて話したんよ」



あの頃の空気が蘇る。



「特別仲良かったわけじゃないけど……なんかね、話すと落ち着く人やった」



「3年生を送る会のナレーション……


 誰もやりたがらんくて……


 私、どうしてもナオに頼みたくて……声かけたんよ」



あの日の緊張、


あの日の勇気。



「“ナオしかおらんのよ”って言ったら、引き受けてくれた」



胸が少し熱くなる。



「それから、視聴覚教室でね……二人で原稿直して……」



蛍光灯の白い光。


夕方の影。


二人だけの静けさを思い出す。



「私が文章を直して、ナオが読んで……


 その声を聞きながら、“ここはこうした方がいい”って何度も書き換えて……」



あの時間の温度が胸に戻る。



「“本番で緊張したらウチの方見てイイけんね”って言ったの。」



自分で言っておきながら、胸が少し痛くなる。



「でも、本番前……別の係でバタバタしてて……


 間に合わんかもしれんって思って……でも、どうしても伝えたくて走って行ったんよ」



息を切らして、


涙目で、


“昨日の言葉が嘘になるやん”って言ったあの日。



「そしたらナオがね……“来てくれただけで十分”って言ってくれた」



胸がじんと熱くなる。



「高校は別々になったけど……バスターミナルで偶然会ったんよ」



あの日の空気が蘇る。



「なんか……あの時のナオ、ちょっと大人になっとった」



胸が少し熱くなる。



「ナオと再会してから、また会えるかもしれんって……ずっと期待しとったんよ」



でも会えなかった。


何度帰省しても、あのターミナルにナオはいなかった。



「そんなある日ね……学校で全国模試の冊子が配られて……なんとなく開いたんよ」



ページをめくった時の、あの胸のざわつきが蘇る。



「“ひょっとして”って思って……自分の名前を探すんじゃなくて……ナオの名前を探しとった」



私は少し笑った。



「そしたらね……載っとったんよ。ナオの名前が」



胸がぎゅっと締めつけられる。



「高校名も、いつか聞いたままの学校で……間違いなく、ナオやった」



ページの文字が滲んだあの日。



「……届いたんだって思った」



私の“頑張ってるよ”が。


私の“会いたいよ”が。


私の“ここにいるよ”が。



「名前なら……ナオに届くかもしれんって思って……必死に勉強したんよ」



胸の奥がじんわり熱くなる。



「そしたらね……ナオの“声”も返ってきた」



あの日の震える指先を思い出す。



「……嬉しかった。苦しかったけど、嬉しかった」



「……それからね、あなたに言ってなかったことがあるんよ」



「大学一年か二年くらいの時かな……私、買い物からの帰りに電車に乗っとって……


 ぼんやり立っとったらね」



あの日の光景が鮮明に蘇る。



「向かいのホームに……ナオがおったんよ」



「最初は分からんかった。似てるだけやと思った。


 違ったら怖いし……期待したくなかったし……だから、背を向けたんよ」



あの時の自分の震える背中が、今でも思い出せる。



「でもね……ナオが私の名前を呼んだんよ。“香織!!”って」



胸がぎゅっと締めつけられる。



「降りようとしたけど……ドアが閉まって……ナオが走ってきて……


 でも間に合わんくて……」



私は小さく笑った。



「……あの時のナオ、ほんとに必死な顔しとった」



「そういえばね……あなたも一度だけ、ナオに会ってるんよ」



写真の中の彼に微笑む。



「あなたが元気だった頃、病院にコンサルの人が来てて……廊下ですれ違ったって言ってたよね」



『爽やかな人だったよ』


と笑っていた彼の声が蘇る。



「その“爽やかな人”が……ナオやったんよ」



私はそこまで話して、ふと気付いた。


ナオの話をしている自分が――


笑顔だと言う事に。



そのことに気づいた瞬間、胸の奥がふっと温かくなった。



「……私ね、今日ナオに全部話して……なんかね……少しだけ楽になったの」



遺影の彼に向かって、静かに言った。



「あなたが言ってくれた通り……私、少しだけ前に進んでみるね」



部屋の空気が、どこか柔らかく感じられた。


遺影の彼が、優しく笑っているように見えた。

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