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春風が吹く校庭で

ぼくは、誰かに好かれたことなんて一度もない。


告白されたこともない。

好意を匂わせられたこともない。

誰かに特別扱いされたこともない。


むしろ、恋愛の話題になるといつも蚊帳の外だった。


「北村は、そういうの無さそう」

「恋愛とか興味なさそう」

「なんか、そういう対象じゃないよね」


冗談っぽく言われた言葉が、胸の奥にずっと残っていた。


(ぼくは“そういう存在”じゃない)


それが、ぼくの中の当たり前になっていた。


廊下でアイツが幼馴染の男子と笑っているのを見ると、胸がチクっと痛んだ。


(……あぁ、やっぱり

 好きな人、おるんやろうなぁ…)


アイツが幼馴染の男子の名前を呼んでいるのを聞いただけで、ぼくの心は勝手に沈んだ。


(オレに向けられた笑顔じゃない

 オレに向けられた声じゃない)


そう思うと、話しかける勇気なんて出るはずがなかった。


ぼくは、アイツを避けているつ(・)も(・)り(・)はなかった。


ただ――

目が合いそうになると、

胸が痛くて、

期待してしまいそうで、

怖くて逸らしてしまった。


(期待したら、また傷つくだけやん。)


ぼくは自分にそう言い聞かせた。


でも、避ければ避けるほど苦しくなった。


ある日の放課後、同じクラスのアイツの友達が話していたのを偶然聞いた。


「香織さ、県外の全寮制の高校受けるんだって。」

「お医者さんになりたいらしいよ。」

「すごいよねー。」


その言葉を聞いた瞬間、ぼくの心臓は一度止まった。


(……え?

 県外?

 全寮制?)


頭が真っ白になった。


(なんで……

 なんで何も言ってくれんかったん?)


いや、言ってもらえる立(・)場(・)じゃない。


でも――

胸の奥に重りを乗せられたように、心が沈んだ。


(……そっかアイツはもう、

 ぼくの届かんところに行くんや……)


その現実が、ゆっくりと胸に沈んでいった。


(アイツに好きな人がおる上に、県外に行くんやったら……

オレが気にする必要なんて無いやろ……)


そう思おうとした。


でも、胸の奥が痛くて痛くて、どうしようもなかった。


(……なんでこんなに苦しいんやろ。)


例え、アイツに自分の気持ちを伝えても、答えは分かってる。

でも、何でこんなに苦しいのだろう。


アイツの事を想うと、ぼくが邪魔をして良いハズが無い。


ぼくはそう思った。



☆☆☆



合格通知の紙は、春の光を受けて白く眩しかった。


校舎の窓から差し込む午後の光が、廊下の床に長い影を落としている。


(……受かったんや!ほんとに、ウチ……行くんだ!)


胸の奥が不安と期待で熱くなる。でもその熱は、それだけじゃなかった。


紙を握る手が、少し震えていた。


(ナオに……言わなきゃ。)


避けられている理由は分からない。

でも、このまま黙って県外に行くなんてできなかった。


私は走り出した。


春の風が廊下を抜けていく。

教室からはブラスバンド部の音が漏れている。

階段の踊り場には夕方の光が溜まっていた。


でも、ナオの姿はどこにもない。


(……どこおると?さっきまで委員会あったけん、まだ帰って無いハズよね?今日だけは、話したいのに……)


胸のざわつきが、足音を速くした。


そして――

体育館裏のベンチで、ナオを見つけた。


夕方の光がナオの横顔を照らしていた。その光が、やけに遠く感じた。


「ナオ……!」


声が震えた。息が白く揺れた気がした。


ナオがゆっくり振り向く。

その表情は、どこか覚悟したように静かだった。


「うち……受かったんよ。県外の全寮制の高校。お医者さんになりたくて……

 だから、行くことにした。」


言葉を吐き出すたび、胸の奥が痛んだ。


ナオは、ほんの一瞬だけ目を伏せた。


「……そっか。すごいやん。頑張れよ。」


その声は優しくて近いのに、言葉には距離があった。


春の風がふたりの間を通り抜けていく。

その言葉は、通り抜けていく春の風より冷たく感じた。


(なんで……なんでそんな冷たい言い方するん?)


思いが溢れそうになる。視界が涙でにじむ。私は勇気を振り絞った。


「ねぇ……なんで最近、避けるん?」


ナオは一瞬だけ驚いた顔をして、夕方の光に照らされた横顔が少しだけ揺れた。


「別に・・・避けたりしてないよ。」


その“はぐらかし”が、胸に深く刺さった。


(嘘やん……ずっと目合わせてくれんかったやん?私がどれだけ君を見てたと思う?)


言いたいことが喉まで来ていた。


(うちは……ナオのこと……)


「私、ナオが・・・」


そう言いかけた瞬間。


「3年3組の小林香織さん、至急職員室まで来てください」


校内放送が、夕方の静けさを切り裂いた。



私の心臓が落ちた。


(……なんで今(・)なん?)


ナオは気まずそうに視線を逸らした。


「……行ったほうがいいよ。」


その声は、さっきと同じように春の風より冷たく聞こえた。


「……うん」


本当は、“行きたくない”と言いたかった。


本当は、“まだ話したい”と言いたかった。


本当は、“好き”と言いたかった。


でも言えなかった。


夕陽に照らされたナオの横顔を最後に、私は職員室へ走った。


影が長く伸びて、その影が揺れた。


(……なんで?なんで伝えられんかったん?)


胸の奥が、静かに、深く沈んだ。



☆☆☆



アイツが走ってきた時、胸が跳ねた。


春の風がふたりの間を通り抜けて、アイツの髪を揺らした。


(……なんで‥‥なんでオレなんかのとこ来るん?)


でも、アイツの口から出た言葉は予想外だった。


「うち……受かったんよ。県外の全寮制の高校。お医者さんになりたくて……

 だから、行くことにした。」


(……あぁ

 本当に行くんや)


夕陽がぼくの影を長く伸ばした。

その影が揺れて、

胸の奥も揺れた。


「……そっか。すごいやん。頑張れよ」


そう言うしかなかった。


本当は、“行かないでほしい”なんて言えるはずがない。


本当は、“寂しい”なんて言える立場じゃない。


本当は、“好きだ”なんて言えるわけがない。


(ぼくなんかが言っていい言葉じゃない)


だから、素っ気なくするしかなかった。


「なんで最近、避けるん?」


その言葉が胸に刺さった。


夕陽がアイツの瞳に反射して、その光が痛いほど綺麗だった。


(避けてるんじゃない

 避けるしかなかったんだ)


でも、言えるわけがない。


「別に・・・避けたりしてないよ。」


そう言った瞬間、アイツの表情が少しだけ曇った。


(……ごめん

 ほんとは全部言いたいのに)


でも言えなかった。


「私、ナオが…」


アイツがそう言いかけた時、放送が響いた。


「3年3組の小林香織さん、至急職員室まで来てください」


夕陽が一気に冷たく感じた。


(……助かった

 でも……最悪や)


ぼくは胸の奥でそう思った。


助かったのは、これ以上自分の気持ちを隠(・)し(・)き(・)れ(・)な(・)か(・)っ(・)た(・)から。


最悪なのは、アイツが何(・)か(・)言(・)い(・)か(・)け(・)て(・)い(・)た(・)から。


「行ったほうがいいよ」


その声は、自分でも驚くほど冷たかった。


アイツは小さくうなずいて走って行った。


夕陽の中で、その背中が小さく揺れていた。


(……ごめん

 ほんとは、

 行ってほしくないのに)


ぼくの影は、夕陽の中で長く伸びていた。



———県外に行くと聞かされたあの日から、季節は何も言わずに進んでいった。


放課後の空気も、教室のざわめきも、廊下の光も、全部いつも通りだった。


ただひとつ違ったのは、

ぼくの胸の奥だけが、ずっとざわついたままだったことだった。

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