出会い
冬の終わり、支店の立ち上げがようやく軌道に乗り始めた頃だった。
朝から会議が続き、昼食をとる暇もなく、
気づけば夕方になっていた。
(……今日もバタバタだな)
デスクに戻ると、支店長から新しい案件の資料が置かれていた。
「次、これ頼む。病院関係だ。大きなプロジェクトになると思う。時間もかかるが頼んだ。」
病院。
医療法人の新規契約。
設備投資の相談。
スタッフ研修の提案。
資料には、そんな文字が淡々と並んでいた。
ぼくは特に感情もなく、ページをめくっていった。
数字。
予算。
スケジュール。
担当者名。
ただの仕事。
ただの案件。
ただのルーティン。
そう思いながら、資料を読み進めていた。
病院の外観写真が載っているページを開いた瞬間、
ほんの一瞬だけ、
胸の奥がかすかに揺れた。
(……あれ)
理由は分からない。
何かを思い出したような、
でも思い出せないような、
そんな微かな感覚。
ページをめくりながら、ふと頭の片隅に浮かんだ。
(……そういえば、アイツ……医者になってるのかな)
その程度の、軽い独り言みたいな思考だった。
深追いする気にもならず、すぐに意識は資料へ戻っていった。
(……ま、いっか)
ぼくは資料を閉じ、次のタスクに取りかかった。
外はもう暗くなっていた。
翌日。
朝から会議が続き、昼食をとる暇もなく、
気づけば夕方になっていた。
(……今日もバタバタだな)
午後からの病院案件のため、
ぼくは車で現地へ向かった。
病院の正面玄関に入ると、消毒液の匂いと、どこか乾いた空調の音が耳に残った。
受付で担当者を呼んでもらい、
ロビーの椅子に腰を下ろす。
(……寒いな)
そんな独り言が頭に浮かんだだけだった。
担当者に呼ばれ、ぼくはロビーから会議室へ向かうために立ち上がった。
「では、こちらへどうぞ」
淡々とした声に従い、白い廊下を歩き始める。
遠くで鳴るナースコール。
床に反射する蛍光灯の光。
どれも仕事の一部としてしか感じなかった。
曲がり角を抜けたところで、白衣姿の男性がこちらへ歩いてきた。
担当者が軽く会釈しながら言った。
「先生、今度コンサルでウチの病院に入るアークス・コンサルティングの、北村尚文さんです」
男性は足を止め、「あぁ、この間言ってたやつの」と小さく頷いた。
「どうも。内科の松原亮介です。よろしくお願いします」
柔らかい声だった。
人当たりの良さが滲む、落ち着いた雰囲気の人。
ぼくも軽く頭を下げた。
「初めまして。北村尚文です。松原先生、長いお付き合いになると思いますので、よろしくお願いします」
それだけの、本当に短い挨拶だった。
彼はすぐにPHSの呼び出し音に反応し、「失礼します」と言って足早に去っていった。
ぼくは担当者に続いて歩きながら、特に何も考えずに前を向いた。
☆☆☆
夕飯を片づけ終えて、二人で温かいお茶を飲んでいた。
お腹は少しずつ膨らみ始めていて、座る姿勢にも気を遣うようになった。
亮介は湯呑みを置きながら、ふと思い出したように言った。
「そういえば今日さ、病院にコンサルの人が来ててさ」
「へぇ、何の話?」
「この間、院長が言ってたじゃん?設備の更新とか、研修の話とか。何か、長期計画で進めるって話。覚えてない?まぁ、俺達はあまり関係ないからね。んで、今日そのコンサルの人と廊下でちょうどすれ違ってさ」
彼は軽く笑った。
「何か、凄く感じのいい人だったよ。丁寧に挨拶してくれてさ。ああいう人なら安心だなって思った」
「ふふ、良かったね」
「他人事みたいに言うじゃん!?香織もそのうち会うかもだから、ちゃんと挨拶しろよ~」
亮介はそう言って微笑んだ。
彼は明日の外来の話をし始め、私は相槌を打ちながら、ゆっくりとお腹を撫でた。
(……この子、元気に育つといいな)
ただただ、愛しい時間が流れていった。




