寄り添う気持ち
その日から、彼はいつも私のそばにいた。
OSCEの練習で手が震えた時、
「深呼吸しよ」と笑ってくれた。
CBTの勉強で心が折れそうな時、
「ここ一緒にやろう?」と隣に座ってくれた。
帰り道、疲れ切った顔を見て、
「今日はもう帰ろう。頑張りすぎだよ」と言ってくれた。
その優しさは、忙しさの中で唯一の“呼吸”だった。
そして、
その“呼吸”が積み重なるたびに、ナオの影は静かに薄くなっていった。
あの駅の光景は、もう鮮明には思い出せなかった。
(……前に進まなきゃ)
そう思った時、
ナオの名前は、胸の奥の深いところにそっと沈んでいった。
冬の夕方。
大学の廊下は、外の冷たい空気が入り込んで、いつもより少しだけ静かだった。
OSCEの練習が終わった帰り道。
白衣のポケットには、今日もぐしゃぐしゃになったメモが詰まっている。
(……疲れた)
肩が重い。
足も重い。
心も重い。
そんな時だった。
「お疲れ。ほら、手、冷たいだろ」
同級生の彼が、自分のポケットからカイロを取り出して、そっと私の手に押し当てた。
一瞬、心臓が跳ねた。
(……あったかい)
カイロの温かさじゃない。
その“気遣い”が、胸の奥にじんわり広がっていく。
「今日、すごく頑張ってたな。問診、昨日より全然よかったと思うよ」
その言葉に、思わず俯いた。
(……そんなこと、誰も言ってくれなかった)
忙しさの中で、褒められることなんてほとんどなかった。
できないところばかり指摘されて、自分がどんどん小さくなっていく気がしていた。
「なぁ、帰り駅まで一緒に歩こ。今日寒いし」
自然すぎる誘いだった。
断る理由なんてなかった。
二人で歩く帰り道。
街灯の光が彼の横顔を少しだけ明るく照らす。
「お前さ、ほんとに医者向いてると思うよ」
その言葉が、私の胸の奥の深いところに落ちた。
(……自分も大変な時に、なんでそんなこと言えるの?)
思わず聞き返したくなった。
でも、声にはならなかった。
「だって、患者役の人、みんなお前の説明聞いたら安心してたじゃん。俺、横で見てて分かったよ」
胸が、熱くなった。
(……この人、ちゃんと見てくれてる)
忙しさの中で、誰にも見えていないと思っていた自分を、ちゃんと見てくれていた。
その瞬間だった。
ナオの顔が、ふっと霞んだ。
駅のホームの光景が、遠くの出来事みたいに感じた。
(……あれ?)
胸の奥が少しざわついた。でも、そのざわつきはすぐに消えた。
代わりに、隣を歩く彼の横顔が、静かに胸の中に入り込んできた。
(……この人といると、呼吸ができる)
そう思った時、
ナオの影は、
静かに、そして深くに消えていった。
気づいたら、心が少しだけ傾いていた。
それが、恋に変わる瞬間だった。




