↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
13/90

新生活

3月の終わり。

まだ少し肌寒い朝の空気の中、ぼくは大きなスーツケースを引きながら駅に向かっていた。


関西の大学。

新しい街。

新しい生活。


胸の奥は期待よりも、どこかぽっかりと穴が空いたような感覚の方が強かった。


(……行くんだな、ぼく)


ぼくは一度だけ振り返った。

見慣れた街並み。

何度も歩いた道。

アイツとすれ違ったかもしれない場所。


全部が、今日から“過去”になる。


新幹線に乗り込んで、窓に映った自分の顔を見た。


少し大人になった気もするし、

何も変わっていない気もする。


(……香織)


名前を呼ぶと、胸の奥が締め付けられる。


二年間会えなかった。

名前しか頼るものがなかった。

それでも、ぼくの中でアイツはずっと消えなかった。


(……忘れられないんだな)


ぼくは小さく息を吐いた。


新幹線を降りた瞬間、空気が違った。


少し暖かくて、

とても、ざわざわしていて、

大都会の匂いがした。


(……ここで、ぼくは生きていくんだ)


胸の奥が少しだけ軽くなった。



大学近くのワンルーム。

まだ何もない部屋に荷物を置くと、急に静けさが押し寄せてきた。


(……一人だ)


その静けさは、

自由でもあり、

孤独でもあった。


ぼくは、まだ荷物が届いていないに部屋の床に腰を下ろして、天井を見上げた。


(……アイツ、今どこで何してるんだろ)


考えても答えは出ない。

でも、考えずにはいられなかった。


入学式の日。

広いキャンパス。

知らない人ばかり。

新しい友達、新しい講義、新しい日常。


ぼくは人混みの中で、ふと立ち止まった。


(……ここから、ぼくの人生が変わるのかな)


期待と不安が混ざった感情が、胸の奥で静かに揺れた。


新しい生活が始まっても、

新しい友達ができても、

毎日が忙しくても、


胸の奥の“あの場所”だけは、ずっと空いたままだった。


(……香織)


心の中で名前を呼ぶたびに、バスターミナルの夕方の光が胸に蘇る。


ぼくは、まだ終わっていない。



☆☆☆



「じゃあ今日はここまで。次回までにこの範囲、全部読んでおくように」


教授の声が響くと、教室中から小さなため息が漏れた。


分厚い教科書。

黒板いっぱいの専門用語。

ノートはすでに何ページも埋まっている。


(……これ、本当に全部覚えるん?)


心の中で小さくつぶやきながら、私は肩を回した。


高校の頃とは比べものにならない忙しさ。

毎日が“追われるような日々”だった。


午前は講義。

午後は実習。

夜はレポートと予習。


寮に戻る頃には、もう日付が変わりそうな日も多い。


(……寝たい)


そう思っても、教科書を開かないと次の日が地獄になる。


机の上には、付箋だらけの教科書と、飲みかけのコーヒー。


(……高校の頃とは全然違うな)


ふと、胸の奥がきゅっとした。


(……あの頃、毎回冊子を開いてたな)


ナオの名前を探していた半年間。

ページをめくる手が震えた日々。


あのバスターミナルで偶然再会して2年。あれから全(・)く(・)ナオと会う事は無かった。


でも、その記憶は前よりも少しだけ遠く感じた。


忙しさのせいかもしれない。

新しい生活のせいかもしれない。


(……今、何してるんやろ?)


そう思う瞬間はまだある。

でも、その頻度は少しずつ減っていた。


「今日、みんなでご飯行かん?」

「実習の愚痴言おうぜ」


誘われることが増えた。

最初は断ってばかりだったけど、最近はたまに行くようになった。


気づけば、笑っている自分がいた。


(……なんか、変わったな)


そう思った。


夜。

寮の部屋で教科書を閉じた瞬間、ふと胸の奥がざわつく。


(……ナオ)


名前を呼ぶと、少しだけ胸が痛む。


でもその痛みは、高校の頃よりもずっと静かで、ずっと遠くなっていた。


忘れたわけじゃない。

でも、

“思い出すまでの時間”が長くなっていた。


(……これでいいんかな)


自分でも分からないまま、私はまた教科書を開いた。


ナオの影は確かに薄くなっていた。


それでも、完全に消えることはなかった。


胸の奥のどこかに、まだ小さく残っている。


(……いつか、また)


理由なんてない。

ただ、胸の奥がそう言っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。