第5話 四天王ヴェラ
魔王軍を突破したあとも、ヒロは北へ進み続けた。
荒野には敵の姿がなかった。十万の軍勢が待ち構えていた街道を抜けたことで、魔王領の奥深くまで入り込めたらしい。
だが、魔王城まではまだ遠い。
夕暮れが近づいた頃、道の先にひとりの女が立っていた。
長い黒髪が風に揺れている。人間と変わらない姿をしていたが、瞳の色は赤く、額からは短い角が伸びていた。身体にまとった黒い戦装束には、幾つもの傷が刻まれている。
女は細身の剣を抜いた。
「ここから先へは行かせない」
「そうか」
ヒロは足を止めた。
「私は魔王軍四天王の一人、ヴェラ。貴様が街道を突破した異世界の勇者だな」
「勇者かどうかは知らねぇ」
「ならば、ここで確かめる」
ヴェラが踏み込んだ。
その動きは、これまでの魔王軍兵士とは違っていた。踏み込みに無駄がなく、剣先はヒロの喉を正確に狙っている。
ヒロは聖剣で受けた。
金属音が荒野に響いた。
ヴェラは一撃で退かず、角度を変えて二撃目を放つ。ヒロがそれを流すと、今度は足元を狙ってきた。
ヒロは後ろへ跳んだ。
その直後、地面が裂けた。ヴェラの剣が地面へ食い込み、乾いた土が舞い上がる。
「逃げるだけか?」
ヴェラの問いに、ヒロは答えなかった。
土煙の向こうから剣が伸びてくる。ヒロは刀身を受け流し、ヴェラの懐へ入った。肘で彼女の腕を打ち、手首を返させる。剣が地面に落ちた。
ヴェラは間髪入れずに蹴りを放った。
ヒロはそれを腹で受け、数歩後ろへ押し戻される。息が詰まった。
ヴェラは落ちた剣を拾い直し、再び構えた。
「今のを受けて、まだ立つか」
「ああ」
「貴様は何者だ?」
「ヒロ」
名前だけを答え、ヒロは聖剣を構えた。
次の攻防は、さきほどより速かった。
ヴェラは正面から斬り込み、途中で剣の軌道を変えた。ヒロは紙一重でかわし、聖剣の柄で彼女の脇腹を打つ。ヴェラの身体が傾いた。
ヒロはその隙を逃さなかった。
聖剣の刃が、ヴェラの剣を弾き飛ばす。続けて一歩踏み込み、白い刃を彼女の喉元へ突きつけた。
ヴェラの顔に、初めて驚きが浮かんだ。
「殺せ」
「別に」
ヒロは剣を下ろした。
「なぜ殺さない?」
ヒロは、血を流しているヴェラを見た。頬には浅い傷があり、唇の端から赤いものが滲んでいる。
**「女の涙と血は、俺のコーデには合わねぇ」**
ヴェラは理解できないという顔をした。
ヒロは聖剣を鞘へ収め、彼女の横を通り過ぎる。
「待て」
「何だ」
「私は敵だぞ」
「そうか」
「ならば、なぜ――」
ヒロは振り返らなかった。
荒野に残されたヴェラは、しばらくその背中を見つめていた。
自分を倒した男は、勝ち誇ることも、名を語ることもなく、魔王城へ向かって歩いていく。
その背中が小さくなっても、ヴェラは剣を拾うことができなかった。




