第10話 英雄の帰還
魔王が倒れたあと、魔王軍は各地で撤退を始めた。
魔王の命令によって動いていた軍勢は、その存在を失ったことで統率を保てなくなった。占領されていた街も、封鎖されていた街道も、少しずつ人間の手へ戻っていく。
ヒロが王都へ戻ったのは、それから数日後だった。
城門の前には、大勢の人々が集まっていた。兵士たちが列をつくり、鐘が鳴らされ、王都中から歓声が上がっている。
「勇者様だ!」
「魔王を倒した英雄だ!」
ヒロは集まった人々を見た。
その隣にはヴェラがいる。彼女は魔族であるため、王都の兵士たちは警戒していたが、ヒロが連れてきたことで武器を向ける者はいなかった。
王宮の前で、王がヒロを出迎えた。
「よくぞ戻った。そなたのおかげで、この国は救われた」
「そうか」
王はヒロの前へ箱を運ばせた。中には金貨と宝石が詰められている。
「これは褒賞だ。さらに爵位と領地を与えよう。望むなら、王国の騎士団をそなたの名のもとに置いてもよい」
ヒロは箱の中を一度見た。
「いらねぇ」
王は驚いたが、すぐに別の箱を指し示した。
「では、別の褒賞を考えよう。王都に屋敷を用意することもできる。そなたのための地位を――」
「いらねぇ」
ヒロは短く繰り返した。
姫が、少し寂しそうに彼を見た。
「この世界に残っていただけませんか?」
王も口を閉じる。
「そなたが残ってくれれば、王国は変わる。救われた民も、あなたを必要としているはずです」
ヒロは姫を見た。
必要とされていることは分かっていた。王も、民も、彼が残ることを望んでいる。
だが、ここはヒロの世界ではない。
「帰る」
姫は視線を落とした。
「あなたの世界は、そんなに素晴らしいところなのですか?」
ヒロは少し考えた。
「まあな」
「何があるのですか?」
ヒロは王都の空を見上げた。
召喚される前に見ていた渋谷の景色を思い出す。人の波、大型ビジョン、店先から流れる音楽。魔王領の荒野とは、何もかも違う。
「渋谷」
姫には、その言葉の意味が分からなかった。
ヴェラだけが、ヒロの横顔を見ていた。
「帰るのね」
「ああ」
「そう」
ヴェラはそれ以上、引き止めなかった。
王宮の魔術師たちは、召喚のために使った魔法陣を調べた。異世界から呼び寄せた者を、元の世界へ戻す方法は記録に残っていなかった。
しかし、召喚術と帰還術は表裏一体だと、ヒロが魔王城から持ち帰った古い魔導書に記されていた。
魔法陣が床に描かれる。
王、姫、騎士たちがその周囲に立つ。ヴェラは少し離れた場所にいた。
ヒロは聖剣を王へ渡した。
「これは置いていく」
王は両手で剣を受け取った。
「よいのか?」
「ああ」
聖剣は、この世界のものだ。
ヒロは魔法陣の中央へ進んだ。
ヴェラと目が合う。
「じゃあな」
「ええ」
それだけだった。
魔法陣が光る。
ヒロの姿が白い光の中へ消えていく。
王都の人々は、最後まで彼の背中を見送っていた。
英雄は、名誉も財宝も受け取らず、魔王を倒した世界をあとにした。




