2.勇者と魔王
それから彼がどうやって生きていたのかを私は知らない。
歴史書には、彼の記述はほんの少ししかないから。
王城を攻めた時のことしか書いてないの。
仕方ない。もう六百年も前のことなんだから。
でもね。彼がどんなに我慢強くて、優しくて、誠実なのか。
幼い頃に敵国で姫君とどんな約束を交わしたのか。
泣き腫らした顔を笑い合ったことも、すぐに年上ぶって私を小馬鹿にすることも、馬車に乗り込む前に真っ赤な顔で笑っていたことも。
すべてが過去にあったこと。
私たちにとっては大切な想い出。
けれども歴史の大きな流れの中では、ほんの些細な出来事に過ぎない。
少しだけ悔しいけど、私が思い出したんだからそれでいいわ。
歴史に残るってことで言えば、私たちの次の人生は合格点だったみたい。
四百年前の大きな出来事として、歴史書に書かれているもの。
大袈裟でなく、人類にとっても大事だったのよ。私たちを題材にした物語なんて、古今東西、星の数ほどあるんじゃないかしら。
次の人生で、私は再び女の子として生まれた。
私としては普通の人でもよかったんだけど。
どういうわけか、私は勇者として生まれてしまったの。
大陸には、何百年か千年かくらいの間隔で魔王が生まれる。それまでにも何回かあったらしい。
魔王が生まれると、魔のモノたちが活性化する。魔族とか、魔獣とかが人や動物を容赦なく襲うの。
私が生まれた頃にも、世界のどこかで魔王が生まれて、大陸は混沌の渦に叩き込まれていた。
私が生まれた国では、辺境の村がいくつも滅んだ。
私が十五歳になる頃には、大陸の人口はそれまでの三分の二くらいまで減っていたそうだ。
魔王の力に対抗できるのは、勇者の力のみ。
勇者の選定は神託によって行われる。
神殿の神官様が、どこどこの地方に勇者がいるって神託を受けるんだって。
そしたらそこに勇者の剣を持って行って、みんなに抜けるかどうか試してもらう。
私の住む村にも神官様たちがいっぱい来たけど、私には抜けなかった。
剣を抜いたのは私の二つ年上の兄。
兄ちゃんは、みんなの目の前であっさり剣を抜いたのよ。
もうみんなお祭り騒ぎ。盛大な壮行会をして。
魔王を倒してくれ、まかせろ、なんてやり取りをして兄ちゃんは意気揚々と魔王討伐の旅に出て。
そして、旅の途中で死んでしまった。
兄ちゃんは、魔族に殺されたらしい。
私はその知らせを、兄ちゃんが旅立ったあともなぜか村に滞在していた神官様から聞いた。
兄ちゃんの死を悲しむ間もなく、彼は私に言った。
「本当の勇者はあなたなのです」
だってさ。
私は目玉が飛び出るくらい驚いた。
だいたい本当の勇者ってなんなのよ?
兄ちゃんが勇者だったんじゃないの?
私の疑問に、神官様は丁寧に答えてくれた。
勇者が未熟だった場合、剣は抜けずに柄の石が赤くなるんだって。
私はそんなの気が付かなかったけど、神官様たちはさすがに気付いた。
だから剣が選んだ仮の勇者が旅立ったあとも、私の動向を見張っていたんですって。
いや、やけに親しげに話しかけてくるなぁとは感じてたんだよね。
そうか。この人は、兄ちゃんに何かあったとき、私がすぐに旅立てるように待機していたんだね。
でもさ、じゃあ兄ちゃんはなんなのよ。
仮の勇者なんてものに仕立てて、おだて上げて。やることは私の身代わりみたいなものじゃない。
誰がそんな酷いことを決めたのよ。
剣? 勇者の剣が決めたの?
なんで古い骨董品みたいな剣なんかが、兄ちゃんの人生を振り回すのよ。
あまりにも兄ちゃんを馬鹿にしすぎてるでしょ。
私がそう抗議しても、神官様は何も言わなかった。静かな目で私を見返すだけだった。
…………そうだよね。
わかってるんだよ、私にも。
兄ちゃんは私の代わりに戦って、未熟者の負担を減らしてくれていたんだ。
私がここで「勇者なんてクソ喰らえ!」なんて逃げ出したら、兄ちゃんのしたことの意味がなくなるんだって、わかってた。
だから私は、泣きながら勇者の剣を抜いた。
柄にはめてある石の色が、赤から青に変わったのを見て、神官様は満足げに頷いた。
これが勇者の剣の本来の姿だ、って。
本当の勇者だった私は、両親との別れもそこそこに旅立った。
魔王の力が強まっている、魔族も魔物も待ってはくれない、急げ急げ。そう言われて。
感傷にふける暇もなかった。
兄ちゃんが亡くなって足止めをされていた魔王討伐の一行と合流して、私たちは先を急いだ。
事情を説明されていた兄ちゃんの仲間たちは、私に冷たかった。
そりゃそうだ。
彼らにしてみれば、兄ちゃんを身代わりにして私は自宅でぬくぬくしてた卑怯者なんだから。
私もそう思うよ。
最初から私が本物だって判ってたなら、私も兄ちゃんと一緒に旅立つべきだったんだ。
あぁ。でもそうすると、兄ちゃんが気の毒すぎるか。
兄ちゃんは自分を本物の勇者だと思って、頑張っていたんだから。
私が本物、兄ちゃんは代理。それを知っていても、私の兄ちゃんは手を抜く人じゃない。むしろ、私のために無理をするだろう。
そんなの私の望むところじゃない。
だから、これで良かったんだろう。
兄ちゃんは勇者のまま死ねたんだ。
兄ちゃんの仲間たちも、概ね私と同じ結論に辿り着いたようだった。
私を責める言葉は口にしなくなった。
態度は変わらなかったけど、仕方がないよね。気持ちはわかるもん。むしろ兄ちゃんを大切に思ってくれてありがとう、だよ。
それでも彼らの態度は私の精神を削った。
平たく言えば、ストレスフルな旅だったんだ。我慢したけどね。
私は彼らに何も言えない分、溜まりに溜まったイライラを魔物や魔族に叩き付けた。
剣技も何も知らない私だったけど、勇者の剣は私を的確に動かしてくれた。
剣を握って敵と対峙すれば、最適解が頭に浮かぶ。私は逆らわずにそれに沿って動くだけ。
魔法だってバンバン使えた。
兄ちゃんの仲間には魔法使いの女の人もいた。でも、たぶん私の方が攻撃魔法は強かったんじゃないかな。そんなこと、言った瞬間に殴られそうだったけど。
そんな軽口も言い合えない仲だったよ、みんなとは。
ストレスはどんどん溜まる。
イライラを魔物にぶつけまくる。
こんな思いをしなきゃならないのも、全部コイツラが悪いんだ。
魔王こそが元凶だよね。
魔王の根城に着いた頃には、私はすっかり魔王を恨んでいた。
だって、魔王が全部悪い。
兄ちゃんが死んだのも。
私がこんなことしてるのも。
あと、魔物たちが暴れてるのも、か。
悪辣の魔王が全部悪い!
暗い石造りの、意外と立派な城。
そこの大広間で魔王と私は邂逅した。
後悔したよ。
なんで、私は魔王を憎んでしまったのだろうって。
目が合った瞬間、気が付いたんだ。
彼が、魔王だった。
前世の私が、迎えに来てくれるのを待ちわびていた人。
春に雲みたいに見える山を見せてくれるって、約束した人。
私の国を滅ぼした人。
でも、誰よりも愛おしいと感じる。
彼が、魔王だった。
彼は愛おしい。
だけど、同時に彼を憎んでいる。
私は旅の間、魔王を殺す想像を何度もした。私は妄想の中で何度も何度も彼を惨殺した。
それが彼だったなんて……。
私の頬を一筋の涙が滑り落ちた。
魔王は私と目が合うと、一瞬、動きを止めた。顔をくしゃくしゃに歪めて、彼はため息をついたようだった。
あの表情は知ってる。
泣くのを堪える顔だ。
私が後悔したように、彼にも思うところがあるのだろう。
彼の後悔はなんだろう。
人をたくさん殺したことだろうか。
それとも、魔王として生まれてしまったことだろうか。
皮肉すぎる運命だよね。
やっと会えたのに、殺し合わなきゃならないなんて。
やらなきゃ、ダメなのかな。
私の心に迷いが生じた。
勇者としてあり得ないそれは、私としては自然なものだった。
だけど、彼が。
彼は、少しだけ淋しげな微笑みを浮かべて、小さく首を横に振った。
私も首を振ると、彼は頷いた。
言葉も交わさずに、彼の意思が伝わった。
彼は自分を殺してくれと言っている。
きっとそれは、彼の後悔に起因しているのだろう。あと、私の立場を思ってくれている。
たぶんね。
この局面で、勇者が魔王の手を取るなんてありえない。
悪辣の魔王。
たくさんの生き物を殺し、人を、兄ちゃんを殺した。
でも、彼なんだよ。
私はボロボロ涙をこぼしながら頷き、駆け出した。目を逸らさずに、彼だけを見つめて。
彼は一歩も動かずにいた。
私が剣を突き出しても。
剣が彼の胸を貫いても、彼は動かなかった。
お互いの息が触れ合うくらいに、勇者の剣は魔王を深く貫いていた。
間近で顔を合わせると、彼は優しく微笑んだ。
囁きは、私にだけ届いた。
「ごめん……辛いこと、させてごめんね……。約束、次に、持ち越そう。……今度は、同じ時、同じ国……同じ、種族に、生まれた……い……」
苦しい息の下でそう言って、彼は煙が風に吹き散らされるように姿を消した。
私の足元に、大きな魔石がゴトリと落下した。
私はしゃがみ込んで、彼だった魔石に手を伸ばした。
魔族や魔物と同じ死に方だ。
魔王。
なんで、彼は魔王なんかに生まれ変わったんだろう。
一説によれば、前世で魂を憎悪に染めた者が魔王になるのだという。
彼は、憎んだのだろうか。
誰を? 国を?
もしかして、私の最期に間に合わなかった自分を……?
もしもそうなら、それは私のせいだ。
私は彼を待たなかったんだから。
黒い魔石を握ろうとした瞬間、私はドンッと押されたような衝撃を受けて床に転がった。
なんだろう。背中が熱い。
息が苦しい。
咳込んだら大量の血がこみ上げてきた。
あぁ、私、背中から刺されたんだ。
理解したときにはもう、まともに息ができなかった。
血を吐きながらのたうつ私。魔法使いが叫んだ。
「何やってんのよ、あんた! こんな刺し方したら、魔王との死闘で相討ちになったって言い訳できないじゃないのよ!」
「すまん。コイツがあっさり魔王を倒したのを見てたら、悔しくて、悔しくて……我慢できなかった。……魔物一匹にも苦労して、みんなで頑張って戦って、アイツはそれでも笑ってた。これから強くなればいい、みんなで魔王を倒せばいいんだ……って。だけどコイツは、一人で……たった一人で……。なんなんだよ、アイツも、俺たちも……捨て駒なんかじゃ、ねえんだぞ……」
彼女に答えたのは重騎士だった。
私は仲間から死を望まれていたらしい。
彼らはこんなにも、兄ちゃんに心酔していたんだね。ここまでとは思わなかったよ。
でもちょうどよかった。
おかげで、自分を憎む気持ちがどっかにふっ飛ばされていっちゃったからさ。
ここで私が私を憎んでしまったら、今度は私が魔王になるかもしれないじゃない?
そんなのは、もう勘弁だよね。
次は、次こそは、私たちは幸せになるんだから。
同じ時、同じ国、同じ種族に生まれ変わってね。
彼の最後の言葉のおかげて、私は彼らのことも憎まずに心臓の鼓動を止めることができた。
楽しんでもらえたら嬉しいです!




