第18膳 北野の名を忘れるな
翌日、体をしっかり休めた俺は祖父の……じいさんの部屋に行くことにした。
(流石にマズいよな……)
正直、昨晩のことは弁解できない。
あの後、ふたりでファミレスで夕食をとって帰ったのだが、明里さんを家の近くまで送る頃には午後十時を過ぎていたからだ。
マトモな親なら、こんな時間まで娘を拘束するような相手には文句の一つも言いたくなるものだろう。
相手が婚約者であっても……いや、婚約者ならばなおのことだ。
仮に俺が父親だとしても絶対抗議する!
他にも同年代の友人や恋人としてならまだしも家と家との繋がりとしては好ましく思われないような事もしているかもしれない。
たとえば人前でメイド服を着せ、その状態で寒空の下に放置してしまった事とか。
――うん、問題になる前に北野家にきちんと詫びを入れたほうが良いな、これは。
そういったことを相談するべく、じいさんの部屋の扉をノック。
返事を待って、豪華な応接間セットの並ぶ部屋のなかに足を踏み入れ――。
「なあ、じいさん」
「お、慶喜か、ちょうどいい」
そう言いながら、横に併設された書斎兼ラボから出てきたじいさんが渡してきたのは一本の試験管。
その中には透明な液体が少しだけ入っている。
「新しいヤツ作ってみたんじゃ。さぁ、まずは一杯!」
促されるがままに――。
警戒しながらすこしづつ口を近づけてみる。
千寿グループ会長、千寿 太良。
見た目はこの通り白衣の似合う研究好きの好々爺。
だが、その本質は調味料の研究のためなら何をするか分かったものじゃない狂科学者なのだ。
液体が唇に触れた瞬間、口のなかに広がるのは純度の高い旨味。
シイタケか……他の食用キノコの旨味に似ている気がするがあれの旨味成分のグアニル酸よりずっと、何百倍も濃い。
目を閉じ噛み締めているとあまりの強さに脳が拒絶反応を起こしそうだ。
これってまさか……。
「コレ、イボテン酸か」
「正解じゃ――流石じゃの」
イボテン酸、ある種のキノコに含まれる成分。
シイタケなどとは比べ物にならない旨味を持つが……素人が安易に手を出していい代物ではない。
なぜなら――。
「どこの世界に孫にベニテングダケの毒素を飲ませる奴がいるんだよ」
「だが旨かったじゃろう?」
……まあ確かに。
ってそういう問題じゃない!
その症状は嘔吐、腹痛、そして幻覚――。
バイキングたちが興奮剤代わりに使った事もあるという恐ろしいシロモノなのだ。
「他のヤバイ成分と切り離してから、減毒化できないか研究しとったんじゃがな……」
結局、それから十分以上の間、俺はキノコの旨味成分、そして毒素について講義を受ける羽目になったのだった。
今度早馬に教えておいてやるか。
俺と違ってアイツは野生のキノコも躊躇なく食べそうな人種だ。
たとえば今だって美鈴に引っかかって平穏とは無縁の毎日を送るハメになっているのだから。
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「というわけで何かクレームが届いていたら教えてほしい」
「ふむ、北野家から……? 特になにも聞いてはおらんぞ」
逆に呆れた。
北野家がどんな家かはよくわからない。
でも明里さんを留学させ、私立であるヒナ高の学費も支払っているということから貧しい家ではないとわかる。
それに昨日、彼女を家の近くに送った時にも見えた。
俗っぽい表現をするのであればミステリー小説に出てきそうな荘厳な洋館。
それが明里さんの住む北野家だった。
恐らくきちんとした家なのだろうが、一体どんな放任主義なのか。
逆に興味が湧いてきた――。
「なあ、じいさん」
「ん?」
「そろそろ話してほしい――北野家について、そしてうちとの関係について」
恥ずかしいことだが実は今まで俺はこの縁談がいかにして決まったのか。
そもそも両家の力関係がどうなっているのかすら……実はまったく知らない。
(ぶっちゃけ早馬のこと、言えるようなガラじゃないよな……)
もし、俺が付き合い方を一歩間違えれば俺と明里さんだけではない。
双方の家全体に影響の出る話になりかねないのだ。
「そうじゃな……」
少し考えた末にじいさんは口を開く。
「北野家はな……旧華族に端を発する由緒ある家じゃよ」
「旧華族……」
「二度の大戦で小さくなって、今ではそこそこの地主の家に落ち着いてしもうたがの?」
なるほど……。
時が止まったようなデザインの洋館も何となくしっくりくるような気がした。
「それで、北野家と千寿家にはどんな縁が?」
「かつての北野家はそれはもう大きな家じゃったんじゃよ」
「ああ」
「当時、一介の科学者だったワシの父に資金を出し、会社を作る手助けをしてくれたのも何を隠そう……」
その先は聞かずとも分かる。
つまり、大恩ある家――。
少なくとも財政はともかく家柄は向こうのほうがずっと上だ。
「うむ、うちだけではないぞ。 経済、政治そして報道にも恩恵を受けた者が沢山おる」
更にまるで我が事のように笑みを浮かべて続けるじいさん。
「いつも百貨店の食堂で、皆でソーライを食べながら叫んだそうじゃ、北野の名を忘れるな! と」
(ソーライ……?)
ああ、ウスターソースをかけただけのソースライスのことか。
政財界の人間の多くが若い頃、腹を満たし貧しい日々を乗り切ったという今の日本を作り上げたことで有名な食べ物。
!?
逆に言うと、北野家とはそれほどまでに大きな家ということなのか。
全身の震えが止まらない。
(おいおいおい、聞くんじゃなかった――!)
あ、ああ、もう少し付き合い方を考えよう。
そんな家のお嬢様、いや……お姫様にあんな格好をさせ、膝枕させた挙句、抱きあったとか。
もはや不敬などというレベルの話では済まない!
「そんな偉大な家に入り、誉れあるお勤めを果たす。慶喜、お前はワシにとっても、千寿にとっても誇りじゃ」
「誉れある、お勤め……?」
「明里さんと血を交え、子供を産み育て……次の北野を築くという大任じゃよ?」
その言葉を聞いた瞬間。
――ボン!!
大きな音を聞いたような感覚、顔がとても、とても熱くなって……。
胸の鼓動が早くなって……。
あ、あれ?
思わず、全身の力が抜けてソファに座り込んでしまう。
「ふふふ、お前は明里さんを本心から好いておるんじゃろ?」
「――」
「顔合わせの日から、明らかにお前さんの顔が変わったからな」
いや、明里さんなら分かるけど……俺の顔つきもそんなに変わったのか?
鏡で見ていても全然そんな様子なんか見当たらなかったのに。
今度、美鈴か早馬にでも聞いてみるか。
「大体、以前のお前なら文化祭でもリーダーなんざせんかったハズじゃろ?」
確かに――。
以前の俺は楽しく語らう皆を見ながらお茶を飲んでいるほうが幸せと感じる、そんなタイプだった。
少なくとも、自分から舞台の中央に出て、踊り狂うようなタイプじゃなかった。
最近、恋愛の熱に浮かれすぎて……どうかしてたのかな。
それとも、大好きな明里さんの前で格好いいところを見せたかったのか――。
「なあ、じいさん。俺、やっぱりもう少し色々と考え直そうと思う」
「いや、別にいいんじゃないかの?」
「え――」
じいさんの返事にこちらのほうが逆に不安になってしまう。
今回の縁談の裏にあった、あまりにスケールの大きな過去の話。
それとじいさんが今見せている軽い口調がまったく釣り合わない。
「さっきも言ったように先方は何も言ってはおらん。そして、明里さんは……笑顔なんじゃろ?」
「ああ」
そうだ、それは間違いない。
以前はまったく笑わなかった明里さんが――最近はいつも笑うようになった。
俺と一緒に居る時だけじゃない。
クラスで美鈴や、他の女子たちと話をしている時も……。
彼女がよほど作り笑いが得意な子なら別だけどそれはない、ハズだ。
「節度は大事だがお前たちはこれから一生を共に添い遂げてゆく夫婦となる」
恥ずかしさを堪え、じっと目の前の老人の眼を見つめる。
その視線は、優しくも厳しい――いつになく真剣なものだ。
「悔いを残さぬよう若いうちしかできぬ思い出を今作ることじゃな?」




