第19膳 この国を作った食べ物
「さて、と。ところで今日はこれから古い友人と会うことになっておっての?」
そう言いながら応接間のソファからゆっくり立ち上がるじいさん。
白衣を脱ぎ、身支度を整え始める彼にあわせ、俺もドアノブに手をかけ部屋を後にしようとした矢先――。
「ああ、最後に一つだけ忠告してもええか?」
「忠告?」
「明里さんと付き合う上で一番大切なことじゃよ」
何だろう?
俺は意識を集中させて……心の中でメモを取り始める。
これから聞くことはたとえ一文字たりとも逃してはならない。
「彼女が救いを求める手を差し出してきたらな……」
「ああ」
「お前さんは絶対にそれを掴め、そしてその手を離すな!」
え、救いを求める手、って……。
また随分不穏な――。
「この国に北野の名を守ろうとする者はごまんとおる」
「うん、それは聞いた」
「が、あの子の目を見て話そうとする者はおらんのだよ、ほとんど……な」
……ああ、なるほど。
友人を、あるいは同志を悪く言いたくはないのだろう。
奥歯に物が挟まったような言い方をしてはいるが……。
じいさんが何を言っているのかは何となく察しがついた。
『北野の名を忘れるな』
話を聞く限り、そう叫ぶ者は多いという。
だが、一族に恩義を感じつつ、そこに住まう"個人"がそこに入っていない。
この手の大きな家の取り巻き連中にはよくある話だ。
結果、そういった者たちが良かれと思ってやった事が回りまわって、恩義ある本人を傷つけるケースもあるのかもしれない。
「分かったよ、肝に銘じておく……俺は何があっても明里さんを近くで見守ってる」
「うん、良いパートナーに恵まれたな、明里さんも……」
ほっと安堵するじいさんのため息が聞こえた。
「――慶喜は本当にワシの誇りじゃよ」
――――――――――――――――――――――――――――――
(まさか、あんなに大きな家のお姫様だったなんてな)
……明里さんの置かれた状況について色々思うところはある。
俺と会うまでほとんど笑わなかった彼女のことだ。
きっとすごくストレスの多い環境に置かれているのだろう。
でも、今は彼女に一日中付きっきりでくっついているというわけにもいかない。
結婚どころか同棲もしていないのだ。
細かいメンタルケアは向こうのご家族に任せるしかない。
そして、少なくとも北野家から俺に対するクレームが出ていないということも分かった。
ひとまずそれでよしとしよう。
――ほっとしたら一気にお腹が空いてきた。
そういえば今日はまだ何も食べていない。
時計の針は午後三時を回っていた、この時期はもうそろそろ陽が沈み始める頃合。
まったく、どれだけ俺は寝てしまっていたのか。
日曜は基本的に使用人さんも休みを取っているので食事は自分で調達しなくてはならない。
自炊もできるが……今からやっていたら料理が終わる頃には餓死してしまいそうだ。
(よし! いつものところ、行くか)
ああ、近所の……馴染みのカフェに行こう。
和風の佇まいの建物、そして内装が特徴的なその店のウリは何十種類もある定食メニュー。
生姜焼き定食、ハンバーグ定食……鯖味噌定食などというものもある!
千寿家の日曜の胃袋を支える尊い店だ。
そして、今日頼むメニューはもう決めてある。
カキフライ……カキフライ定食しかない!
正直、牡蠣はあまり好きではない。
フライならまだしも焼き牡蠣や、ましてナマとか――。
にも拘わらずコイツを選んだのにはもちろん理由がある。
これが一番『ウスターソースをおいしく食べられる』メニューだからだ。
先ほど、ひいじいさん達の昼食の話を聞いてからずっと……口の中がウスターソースを求めるようになってしまった。
本当はソーライスに興味があったのだが再現するつもりはない。
旨いのは分かっている――でも、それはたまに道楽で食べるからだ。
昼食のたびに、これだけを食べ続けた人々の苦労を土足で踏みにじるつもりはない。
程なくして届いたカキフライ定食、皿の上に並ぶ黄金色の俵にウスターソースをどぼどぼと投入する。
ついでにレモンも絞ってしまおう、躊躇なく。
カキフライは通常、中身が外に流れ出るのを防ぐ為に衣が分厚く作られている。
他の……たとえばアジフライなどと違い、こういうことをやっても食感に影響はほとんどないのだ。
レモンとウスターの薫りに包まれたカキフライを一つ取り上げて――!
しゃおっ!……ほふほふ。
衣の中からとろっと出てきたプリプリ柔らかい塊が口の中を焼く!
慌ててウスター漬けのキャベツを掻きこんで、ヤケドする前にどうにか口内温度を下げる。
「うん――」
最初の出会いはドタバタしたものになってしまったが、味は最高だ。
ウスターソースとレモン果汁――甘味、塩味、酸味が三味一体の流れとなって衣を通り抜け、フライの中までたっぷり浸透。
そして、中で彼らを待ち受けるのは海のミルクとも呼ばれる滋味あふれる旨味の塊……ついでにワタのほろ苦さもセットだ。
ああ、これはズルい。
レモンとウスターソース、それにオイスターソースをまとめて衣の中に閉じ込めて食べたら旨いに決まっている!
衣以外、余計な歯触りがないのもその印象に拍車をかけてしまっている。
よし、熱いうちに……フライの中身がとろりと柔らかい間にどんどん食べ進もう!
二つ目、三つ目とどんどん手を付けてゆく。
横に添えてあるタルタルソースも試してみた。
こちらはウスターを吸った後の衣によく絡まり、口に入れた瞬間のボリューム感を増してくれる。
(あれ? っていうか以前食べた時より美味しく感じないか?)
ああ、本当に……この店の調理の方法が良いのだろう。
それとも、素材がいいのかもしれない。
以前カキを食べた時は臭みしかしなかった。
(案外、俺が大人になったからかもな)
いやいや、それはないだろう……うん。
文化祭での自分のはしゃぎっぷりを思い起こし、慌てて否定してみる。
まくまくと食べ進み、気づいた時には――。
すっかり目の前のカキフライ小隊も、ご飯も味噌汁も全滅。
キャベツがわずかに残っているだけだった。
だが、まだ食べたりない!
腹が猛烈に空いているというわけではないのだが、まだ体がウスターソースを欲しているのだ。
空になった茶碗と、『ライスおかわりお申し付けください!』という壁の張り紙を交互に見つめる。
「うん……」
背に腹は代えられない。
ソーライス……やってみよう!
店員さんを呼び止め、ライスのおかわりを注文。
程なくして二杯目が届く。
(さて、来たぞ……やるか!)
ああ、でも流石にこんな食べ方を外でやるのは勇気が要る。
辺りをきょろきょろと見回し――。
大丈夫、誰も見ていない。
(――よし! 今だ!)
残りのキャベツにウスターソースを追い掛け……する最中の悲惨な事故を装ってライスにちょろり。
白いご飯にカラメル色の帯がうっすら浮かぶ。
心の中で聖域に土足で踏み入ることをひいじいさんに詫びながら――。
口に入れた瞬間、感じるのはフルーツエキスの甘味とスパイスの香味。
塩味は――コメの甘味にかき消されてしまっている。
なるほど……塩味を感じられるような具材を混ぜればもっと美味しいかもしれない。
例えばハムエッグを載せて黄身を潰して食べてみるとか最高じゃなかろうか。
いや、今は美味しい食べ方を研究するような場面ではなかったな。
こういうのは今度、早馬たちと十分に談義しよう。そっちのが盛り上がるだろうし。
この国の隆盛に携わった方々に祈りを捧げる意味も込め、原典に忠実なソーライスをひとくち、またひとくち。
福神漬けと併せたら逃げ場のない甘味に食卓が支配されてしまうかもしれない。
だが、彼らは毎日のようにこれを食べ、疲れた頭を休めながら成功への道筋を思い描いていたのだろうか――。
『北野の名を忘れるな』
そうだな……俺も忘れないよ。
明里さんと一緒に生きて、夫婦になることを目指している毎日の思い出を。
更新が遅れて大変申し訳ありません。
週休一日シーズンが終わり、やっと週休二日になると思っていたらますます受注量が増えて……。
本当早く皆さんが自由に外食できる日が戻ってきてくれたらと祈るばかりです。
そんな更新が遅れがちの本作ですが面白い、続きが気になると思って頂けましたら
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