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第七十一話

今日もソファで朝を迎える。

鍋に水とご飯を入れる。

単刀直入に言うと、みかちゃんが風邪を引いた。


「馨、ありがと」


最近、みかちゃんのマスク姿しか見ていなくて、完全に欲求不満を拗らせている。マスク越しで良いからキスさせて欲しい。


「みかちゃんの身体、すごい熱くなってる……」


上気した頬すら愛おしい。


「んん"っ、馨の手は冷たくて気持ち良いね」


って、頬を撫でたその手を両手で大事そうに掴む。好き!!!


「僕がみかちゃんの保冷剤になってあげようか?」


そんなキモイことを僕が言った瞬間、


「ごほっごほっ、げほっ……んっ、おえ……ああ……」


みかちゃんがマスクをしながら吐いた。あまり食べられてなかったから、胃液を口の周りにベタベタとくっ付けて。僕はすぐさまそのマスクを捨てて、ウェットティッシュでみかちゃんの口周りを丁寧に拭いてから、新しいマスクを付けてあげた。


「ごめん。みかちゃん、無理させちゃったね」


僕がいると休まらないだろうから、僕はみかちゃんの頭を名残惜しい気持ちで撫でて、ベッドから立ち上がった。みかちゃんが僕の手を掴む。


「馨、このまま死んだらどうしよう。最期にこんな苦痛を味わうのは嫌だよ……」


「大丈夫、大丈夫。きっと良くなるよ」


根拠の無い薄っぺらい言葉。それを隠すためにみかちゃんの背中を撫でた。僕だって、みかちゃんとキスできないのは死活問題である。



風邪を引いて、改めて馨の優しさを感じた。受験勉強の追い込みの時期なのに、馨は「今更、焦って詰め込んだところで、どーせ入試では書けないよ」って笑って、勉強よりも俺を優先してくれた。家事も看病も持ち前のスパダリ力でそつなくこなして、勉強に勤しむ姿はまさに聖人君子だ、と内心ベタ褒めさえしている。


「馨、キスしてもいい?マスク越しで」


「え」


あ、微妙な反応。


「ごめん、冗談だよ。でも、キスしたいってのは本当。はやく治さないとだね」


「……冗談抜きで。僕はキスしたいんだけど、いい?」


と突如、俺の両肩掴んでガッツいてこられたから、高熱がさらに悪化した。


「い、良いよ(?)」


馨は顔がマスクで覆われていてもなお、俺の唇の位置を完璧に把握していて、馨の柔らかな唇の感触がマスク越しでも伝わってくる。何度も唇を押し当ててから、


「やっぱ、マスク邪魔だね」


と朗らかに笑う馨に、俺はピュアな感じにキュンときてしまった。そして、純粋に「生きたい」と思った瞬間、頭痛が緩和された。


「あ、白血球がウイルス食べた」


「ふふっ、分かるもんなの?それ」


なんて馨には笑われたが、分かるもんなんだ。パックマンが脳みそのシワ迷路の中でウイルスを追いかけ回している。頭がクラクラして、呼吸するにもダルいけど。


「馨、風邪が治ったらさ、いっぱいチューしてくれる?俺、それ目標に、頑張るからさあ……」


と頭のクラクラが酒のクラクラみたいで酔っ払った俺は馨にそうせがんでいた。ああ、今すぐにでもチューしたい。


「あはは、まじで可愛いなあ♡」


熱くなった頬に馨の冷たい指先が触れる。


「んーーー」


「するよ、いっぱい。キス以外も」


馨はマスクを下ろして、俺の頬へとチュッとしてくれた。疲れてるはずなのに、何もしたくないのに、セックスしたいと思ってしまうのは、本能ですか?それとも、俺がただ馬鹿なだけですか?


おおよそ一週間が経過して、俺はだいぶ元気を取り戻しつつあった。だけど、食欲がなかったせいか、身体が痩せ細ってしまった。鏡の前に立つ自分は貧相な身体をしていた。馬鹿なことに、もう死ぬってのに、俺は筋トレをしている。いつまでも馨に「えろい」って思わせたい、その一心で。


「四十八、四十九、五十!……はあ、はあ、はあ」


汗まみれで仰向けになって床に寝転んだ。筋肉痛になって思うのは、痛いしつらいしキツいし、俺何やってんだろ、という弱音ばかりだ。


「みかちゃん、あんまり動かないで。病み上がりなんだから……」


「馨、どう?少しはえろくなった??」


パジャマを下からめくって腹筋を見せて、髪をかきあげながら馨を妖艶に誘った。あ、やば。まだ熱あるのかな?俺何やってんだろ。


「ああもう、今すぐにでも抱き潰したい。良い?良いよね?……はあ、みかちゃんがえろいのが悪いんだよ?」


馨の自制心のタガを外してしまった瞬間だった。風邪の期間中、優しいとかスパダリとか思ってたのが全てひっくり返って、


「……っ、変態!!」


としか言えなくなっていた。気が付けば泣いていた。


「その変態に抱かれて、良がってんのも変態じゃない?」


そう言われては喘ぎ声しか出せなかった。俺の汗を舐めて、「塩っぱいね」と微笑む変態に惚れ込んでしまってる俺の方が、変態なのかもしれないと図星を突かれてしまったのだから。


「馨、あっ、ダメ……馨!もっと、もっと……」


優しく抱いて。何でこの言葉が言えないのだろう。馨なら、俺の望み通りに優しくしてくれるはずなのに。いつも真逆なこと言っちゃう天邪鬼。


「みかちゃん、唇貸して」


馨は絶頂を迎えた直後の俺に窒息レベルのキスを浴びせてくる。だけど変わらずに思うのは、キスだけはいつもいつも繊細で優しいんだ。


「んっ、どうして?」


「え、いっぱいチューするって約束したじゃん!……忘れちゃった?」


共通認識事項だよね?って彼は笑って、俺の反応が鈍いせいで、一人で勝手に孤独を感じて、寂しそうな顔して、あーあ、ごめんって。


「ふふっ、忘れてなんかないよ。ありがとう、馨」


君が覚えていてくれたことに俺は感銘を受けていたんだ。俺のこと、まだ大切にしてくれてるんだって、何故かそう思えちゃったから。


「何で、泣くの?」


「ん?あはっ、何でだろうね!」


キョトンとした馨の顔が可愛くて、その顔を俺のせいで崩してしまいたくなかった。御託並べて、ごま塩ふって、ごり押した言葉は呂律が回っていなかった。


「みかちゃん、ごめんなさい」


「何で?馨のせいじゃ……」


「僕のせいで泣いてるんだって、分かっちゃうから」


彼にそう言われて、何も言い返せない俺は、きっと彼氏失格だ。



泣いても慰めて貰えないのが、つらい。と僕が思えるようになるとは思わなかった。生憎、僕は馬鹿だから。上手な慰められ方も知らなかったようだ。


「あれ?馨くん受験は?」


「どーでもいい」


と無我夢中で赤を塗り重ねた美術室。頬を擦られる。


「絵の具、何でここに付くかなあ?」


「汗、拭いたんです」


「こんな真冬にかい?」


「ああもう、ほっといてよ」


ってそっぽ向いたのに


「あ、セックスしたとか?」


とまだふざけた会話を続けさせてくる。


「はあ、」


「俺も誘ってくれればいいのに」


「やらないくせに」


「見る専なんだ。で、何これ」


僕の排泄物を蔑むような目で睨む。


「ああ"っ!!!」


怒りに身を任せて、キャンバスを切り裂いた。


「あははっ、酷い絵だね!」


「だから、切り裂いたんですよ」


「へえ、恋人を……」


「これはみかちゃんじゃないです、みかちゃんはもっと綺麗です」


「そうだろうけど……ねえ、気付いたこと言っていい?」


「やめてください」


「これ、君の───、混ぜた?」


「ああああ、すみませんよく聞こえません」


「君、授業サボって、それは流石に……」


「ははっ、本気のドン引きじゃん」


虚しすぎて乾いた笑いが湧いてきた。


「まあ、恋人にぶっかけたい気持ちは分からなくもないけどさあ」


「言語化しないでください、キモすぎるんで」


「表現の自由、なんて嘘だよ。殺人は俺の生きづらさの表現です、って言っても、きっと認めてくんないもん」


「そうですね、だから僕達は絵を描くんですよ。それがモラルに反していようとも」


「俺は、君みたいな汚らしい絵は描けないんだあ」


「僕も、お粥さんみたいな小綺麗な絵は描けません」


「別に、皮肉ってないけどぉ?どうして皮肉るかなぁ?」


別に、僕も皮肉ってないけど。汚らしい、小綺麗って言葉が嫌味っぽいのが元凶だ。それに、皮肉ることを皮肉ってんじゃん。


「こんなん誰だって」


「できないよ、君にしかできない」


お粥さんは、僕の頭を撫でてくれた。


「お粥さん、汚い絵を描いてください。貴方の汚い絵が、僕は見たいです」


鉛筆が削れる音。キャンバスに線を描いていく。正解の線を浮彫にしていくように、何重にも。お粥さんは抽象画のが得意な人だ。脳の何処から綺麗という概念の表現方法が出てくるのかが不思議でならないが、ただ今は僕をモチーフに描いてもらっている。というか、汚い絵を描いてってお願いしたら、


「じゃあ、モデルになって」


と頼まれたのだ。何とも失礼な話である。僕をそんなにも汚したいのか?まあ、描きやすいんだろう。


「貴方の人物画、初めて見ました」


「極力、誰にも見せたくないんだ」


「何で?」


「……君にも見せたくない絵はあるだろう?」


そう聞かれたが、あまりピンと来なかった。


「貴方のせいで、恥を晒すのが得意になりました」


どんな絵でも思い返せば、とりあえずお粥さんに見せていた。途中経過を覗き見されることもあった。この人の前では、何故か素直でいられた。言動はその真逆だけど。


「あははっ、俺のせいか!でも、それでも君のは理想的だ。理想と乖離した絵は、燃やしたほうがいい」


「お粥さん、自分へのハードル高すぎません?」


「そんなことないよ。馨くんを描こうとしても、馨くんは描けないんだ。フィクションのキャラクターしか、俺は描けないんだ」


「え、そういうものじゃないんですか?僕はみかちゃんをデフォルメ化してもみかちゃんだって、そうしてますよ?」


「それは良いんだけど、うーん、嫌なんだ。俺が触れ合っている馨くんが描けないと」


「じゃあ、恋人も描かないんですか?」


「今は、ね。スランプみたいだ」


って、綺麗な線を引く貴方は、そうじゃないんだろうけど、嫌味を言っているようだった。


「何時間かかりますかー?」


「ざっと六時間くらいかな?」


「はあ、みかちゃんに会いたい……」


行儀悪く机の上に寝転がった。単語帳の一つでも持ってくれば良かった。六時間は暇だ。


「俺が描いてたみーちゃんでも見る?」


「み、見ていいんですか!??」


机から飛び起きた。早速、スマホの写真フォルダに保存してある絵を見せてもらった。そこには、スーツ姿が初々しいクールなみかちゃんから、破顔した表情豊かなみかちゃんまでもが描き残してあった。


「懐かしいなあ」


「あっ、この感じ。たまんな〜い♡♡」


性癖にグサリと刺さって、ギャルみたいな声出た。


「君の性癖どストライク?」


「はい、失血死するレベルで。やばい。やっぱ、お粥さんと僕の性的嗜好、似てますよね?」


「似てるかもね。嬉しいの?」


「僕は同担拒否しない主義だから、純粋に共感できる人がいるのは嬉し……やっぱ、なしで」


「え?」


「だって、お粥さんにもみかちゃんはこの顔を見せたってことになるじゃん。どーせ、僕だけが知ってるみかちゃんなんていないんだ。みかちゃんにとって、僕は特別じゃないし、ただのヘラってる従兄弟だし、恋人だけど恋人らしいこと何もできてないし……」


「あぁ、馨くんの病んでるところ、好きだわぁ♡」


「は?ヘラっててキモくないですか?」


「ううん、それが良いんだよ。描きたい」


「……じゃあ、これも見てください」


僕はベルトを外して、ズボンを下ろした露出狂。


「俺で、良かったね。俺じゃなきゃ、抱かれてる」


言葉を選んだ末が、これで笑った。ドヤ顔すな。


「ふふっ、漫画の読みすぎですよ?それに、お粥さんだから見せたんです」


「触っていい?」


「どうぞ」


「……ボコボコしてる。痛くないの?」


「全然」


「でもスベスベ肌だ。気持ちいいね」


この人でも、誰かを抱いたり誰かに抱かれたりするんだよなあ、ってこういう瞬間に思う。


「実況しないでもらえますか?恥ずかしいので」


「何、頬赤くしてんの?」


「絵の具です!!」


貴方にちょっぴり惹かれた、なんて知れたら、ここぞとばかりに、みかちゃんにチクるだろうから、嫌だ。


「馨くん、もうすぐ卒業だね」


「そうですね」


「死なないでね」


「別に、死にはしないですけど」


「それじゃあ、春休みに二人でどっかに」


「嫌です。みかちゃんとどっか一緒に行くんで」


「それは分かるよ?でもさ、卒業祝いに俺からも旅行をプレゼントしても罰当たんないでしょ?」


「罰当たりますよ。完璧に浮気じゃないですか」


「みーちゃんに頼まれてるって言ったら?」


「……は?さすがに、嘘ですよね?」


「嘘じゃないよ。この前、現ナマ渡されたんだあ。馬鹿だよね、みーちゃん」


と本気のトーンで言ってきた。ピンと来た。


「そうですか。それじゃあ、日程いつにします?」


「え、乗り気?」


誘っておいて、断られるのを期待してんの。何?


「そんな、乗り気なわけないです。でも、たぶん、その時には、貴方と一緒にいたくなると思うんで」


「……知ってんの?」


「みかちゃんの賞味期限切れですか?そんなの信じてないですよ。でも、万が一の保険です。大熊さんには悪いことしますね」


「良いよ別に。アイツ前に浮気したし」


「え、僕のこと襲わないでくださいよ?」


「何でみんな俺が襲う前提なの?俺、ノンセクなんだよ??」


「でも、セックスできるんですよね?」


「まあ、気分が乗れば。基本的には嫌だ。オナニーで十分でしょ」


「へえ、お粥さんでもオナるんだあ」


「何となく目が覚めるじゃん。でもさ、そういう薬があればそれ飲みたい」


「たぶん、抗うつ剤ですね」


「性欲ないのも鬱なのかなあ。恋愛感情はあるんだけど」


「彼氏とはするんですか?」


「たまに。だけど、何にそんな興奮してんのか訳わかんなくて笑けてくんの」


「気持ちよくないんですか?」


「キスとか身体触られるのとか苦手だからね。脳内で快楽物質は出てるだろうけど、『うわあ』ってなる」


と嫌悪した顔を見せられる。


「好きなんですよね?彼氏のこと」


「好きだよ、可愛いし。でもそうゆうのは無理」


「だけど、性癖はありますよね?」


「顔可愛い子。の泣き顔とか?」


「あははっ、軽率に引くわあ」


「だけどそれを見て、性欲に繋がるのが意味わからないんだよね。『可愛い』ってなるだけじゃん」


「僕は『可愛い』『セックスしたい』になるんですよ」


「あははっ、軽率に引くわあ」


「この感覚、分かんないんですもんね」


「分かんないよ。だから安心して?」


「安心できません。僕が泣いたらどうするんですか?」


「それは、楽しみだね……」


そうやって、ほくそ笑むから


「ほらあ」


信用ならないんだ。


「だから襲わないって!セックスには何されても結びつかないの。何で分かんないの?」


逆ギレされてしまった。


「僕は結びついちゃうからですよ。さっきだって……いや、何でもないです」


「何?気になるじゃん。教えて」


「……太もも触られた時。ほんの少しだけですけど、『イケるなあ』って思っただけです」


ああ、恥ずかしくて死にたい。


「はああ!??お前こそ襲うなよ?!!」


「襲いませんよ!!僕にはみかちゃんという運命の相手がいるんですぅ!!!」


「あははっ、そりゃあそうだ!みーちゃんには勝てないね!!」


って、馬鹿笑いしてるけど。勝つとか負けるとか無いでしょ、人間の良さに。


「で、いつにしますか?」


「じゃあ、三月十五日。修了式じゃん?そっから、ゆーきゅーしょーかして、二十五日まで一緒にいよっかあ♡」


「良いんですか?」


「勿論!その間にクマにはあ、オオウミガラスを探しに行ってもらうんだあ」


「それ絶滅したペンギンですよね?英表で読みました」


「あ、元ネタそこなんだあ。俺、みーちゃんから聞いた」


「でしょうね」


「うん」


「僕が英文を読み聞かせしたんです」


「あはっ、君と同棲するとそんなこと聞かされんだ」


「音楽プレーヤーから常に英文が流れてます」


「やば。俺、一単語もわかんないよ?」


「大丈夫です。部屋中に英単語とその意味を書いて貼ってあるんで」


「嫌だあ、勉強部屋じゃん」


「みかちゃんは微笑んで受け入れてくれましたよ?」


「みーちゃん絶対に内心嫌がってるよそれ」


「たまにクイズを出してくれるんです。可愛いでしょ?」


「可愛いいい♡♡」


会話が途切れて、絵は途中までで、続きはまた今度になった。でも、途中経過でも僕は鏡を見るように、僕が描かれていることが分かった。

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