第六十三話
「やっぱり、子供産むね。これだけは諦めきれない」
檸檬が散々泣きじゃくった後みたいに、目と鼻の先を赤く染めながら、帰ってきて早々に報告してきた。だから結局、俺は不安を煽るようなことを言って、ただ応援できてないだけなんだと感じた。これからは兄として応援しないといけないのに。「それじゃあ、甥っ子か姪っ子かどっちか楽しみにしてて」と帰り際に檸檬に言われたけど、俺がその子を見る頃にはもうこの世には俺はいないだろう。
「楽しみにしとく」
って返答しておいた。ベランダでマルボロを吸うといつも、一匹の猫が寄ってくる。この灰色の猫は馨の誕生日からずっと、俺が煙草を吸う度に来ている。きっとこの煙草の匂いが好きなんだろう。勝手に「マルちゃん」と名付けている。
「紅葉、綺麗になってきたね」
馨もベランダに出てきて、画材を室外機の上に置いた。猫がそれにびっくりして、逃げていってしまった。「あの猫、僕のこと嫌いなんだ」って馨は寂しそうに笑う。
「馨も吸ってみれば?寄ってきてくれるかもよ?」
「ううん、あの猫は上下関係が分かってるから、僕がみかちゃんの傍に来れば自分は離れていくんだよ」
「俺が馨のだって、猫ちゃんも分かってんだね」
「……その言い方は恥ずいじゃん」
って照れながら、鉛筆で下描きをしていく馨。その少しの線でも馨が何を描いているか、何となく分かった。
「また俺を描いてくれんの?」
「うん、みかちゃんは何度描いても楽しいから。でも何枚描いても完成しない」
夕焼けに照らされた緑の葉が紅葉する。馨にとっての絵はひとつのテーマを伝えるための表現方法で、馨は一枚の絵で俺の好きなところひとつを際立たせて伝えてくれる。それがこそばゆくもあり、とても嬉しいものであって、今まで何枚も俺を描かれ続けてきたのだが、それ全部を集めたとしても俺は完成しない。裏返せば、それぐらい俺の好きなところがあるって言う告白だ。作風もビビットでポップな漫画絵から西洋絵画のようなリアルで柔らかい絵まで、試行錯誤して描かれていく。その成長すらも愛おしい。
「馨、ご飯できたよ」
「うん」という返事はあるが、絵から手が離せない様子だ。知ってた。一度描き出すと区切りが良いところまで描きたいタイプなんだ。その凄まじい集中力の込もった目でこちらをじっと観察させられると、俺の全てが見透かされているようで少し怖くなる。
「そう言えばさ、さっきの続きなんだけど。僕が馨くんって、どういう意味?」
ボロネーゼを行儀良くスプーンとフォークで食べながら、何気ない質問のように聞いてきた。
「ああ、それね。俺さ、赤ちゃんの頃の馨を抱っこしたことあったんだ、って思い出して」
「え?本当に?」
「うん。幼い頃に馨琉さんの家に遊びに行くことが何度かあってね、そこに馨のお母さんが馨を抱っこして来てたんだよ」
「不倫現場じゃん!」
って馨が楽しそうに言った。
「あははっ、でも二人とも凄いラブラブだったから、俺はもう結婚してると思ってたんだよね」
「幼い頃のみかちゃん、不倫って言葉も知らなそう」
「あーでも、セックスは知ってたよ。『この子は俺が見てるから、下の子も作っちゃえば?』って馨と遊びながら二人に言ったりして」
生意気な子供だった。
「あはっ、不倫促してて可愛い。で、僕には何を教えてたの?」
と興味ありげに聞いてきたから、馨の口端に付いたミートソースを親指で掬って、舐めてみた。すると、馨がその腕を掴んできて、「脚色しないでください」と照れながら言ってきた。君のが可愛い。
「ごめんごめん!でも、よだれ拭いたらこうやって俺の指を掴んで離さなかったよね」
と懐かしみながら俺が言うと、
「それは赤ちゃん特有の掌握反射で……」
とパッと腕から手を離して、戸惑いながら過去の自分の言い訳してんのも可愛いなあ。
「『蜜柑』が言えなくて『みぃたん』って俺に抱き付いてきてたのに〜っ♡」
「ああああ、僕の知らないこと言うの禁止〜っ!!」
「じゃあ、もう馨くんの話はしなくて良い?」
「狡いじゃん、そうゆうのぉ」
と拗ねた顔をする馨も可愛い。でも馨も大体、見当はついてるんだろうなぁ。
「分かった分かった。その他にも、院内保育に預けられた馨に会いに行ったりもしたんだ」
「みかちゃん怪我してんのに?」
「うーん、ちょっと、精神科に回されたこともあってね……」
「ふふっ、抜け出したの?」
「その当時、自分は不死身だと思ってたから何でもできたんだよ」
病院の窓を割って、飛び降りたりとか、ベッドの下に隠れて、看護師さんが開けた瞬間にそこから脱走するとか……。それで入院が長引いて、まあ。楽しかった。
「すご」
「でも脱走事件を何回か起こしてからは、毎日ずっと『今日けーくんいる?』って看護師さんに聞いては院内保育にいる馨を見せてもらってた」
「それって遠目から見ても楽しいものなの?」
「楽しかったね。馨のお母さんからは怖がられたけど」
「あははっ、だから今でも嫌われて……」
「嫌われてるね。馨を殺されでもするんじゃないかって思ってたんじゃないかな?」
「ふふっ、可愛がり方が独特なんだよ」
「たまに『みぃたん』って呼んでくれたり、馨琉さんが触らせてくれたりして、ふふっ、可愛かったなあ」
「全然記憶にない」
「一歳とかだもん、忘れちゃうよ。それで二年後くらいかな?馨琉さんのお葬式で再会したんだけど、その時には、馨はちゃんと『馨』って呼ばれてて、俺はけーくんの弟だとばかり思ってた」
「同一人物なのに」
「同一人物なのにね」
馨から兄がいると聞かされた時は、やっぱりと思ったけど、思ってた名前とは違くてずっと不思議に思っていた。たぶん馨のお母さんが馨琉さんが亡くなった悲しみから、馨琉さんの面影を感じる馨を同じ名前の読み仮名にしたんじゃないかって思う。
「みぃたん」
「ふふっ、こんなにも大人になったんだね」
「僕のこと可愛がってくれてた?」
今のような残暑がまだある秋。蒸し暑い室内で扇風機に向かって俺は「我々は宇宙人だ」などと言って、馨琉さんと遊んでいた。当時、家に帰りたくなくて、ランドセルを背負ったまま、馨琉さんの家を訪ねることはよくあった。せっかくの休みなのに馨さんは嫌な顔せずに俺を迎え入れてくれた。
「蜜柑、宿題は終わったの?」
「終わってなーい、めんどくさいんだもん」
って俺が寝っ転がりながらに言うと、
「嫌なことを先にやれば、後で思いっきり楽しめるよ」
と教えてくれた。だから、俺は馨琉さんに国語の音読の宿題を聞かせて、音読カードにサインをもらった。いつもは自分で適当に書いてるけど、馨琉さんが書くのは何だか格好良かった。後は漢字ドリルでひたすら同じ漢字を書き続けて、最後に計算ドリルと手を付けたところでチャイムが鳴った。計算ドリルをやりたくなくて馨琉さんの後を玄関までついて行った。馨琉さんが玄関を開けると、
「あっ、看護師さん!」
見覚えのある看護師さんが赤ちゃんを抱っこして来ていた。俺が会って早々その事に気付くと、馨琉さんも馨のお母さんも少し変な間があった後で微笑んでいた。その赤ちゃんはまだハイハイができる程度で言葉もうーうーと喃語を喋っていた。俺は檸檬の世話を少ししてたこともあって、自分の中では赤ちゃんの扱いに慣れているとその時は思っていた。馨琉さんと看護師さんが話している近くで俺は馨に計算ドリルを見せていた。馨に教えるように。
「けーくん、はちろく?……四十八だよ!」
って言葉もうまく喋れない子供に何してんだか分かんないけど、誰かに教えることで誰かと一緒にやっている気分になれて楽しかった。馨はあまり泣かない子だった。でも笑顔もあまり見せる子でもなかった。宿題を終えた後で、馨琉さんの言う通りに俺は馨と思いっきり楽しんだ。遊んでやってるって思って積み木で建造物を作っては馨に壊され、奪われ、また奪い返してを繰り返している内に本気で遊んでいた。
「いぇーい、俺の勝ち!」
って子供相手にちっちゃな積み木のお城作って喜ぶと、馨はしれっとそっぽを向いて、一人で違う遊びを始めてしまった。
「けーくん、ごめんね」
と後ろから抱きつくとさらに状況は悪化して、馨が泣き出してしまった。
「蜜柑、何したの?」
と話を中断させて保護者二人に問い詰められると、俺は怖くなって、俺が積み木で負かしたせいなんじゃないかって思って、
「ただ、抱っこしようとしたら、泣いちゃった……それだけだよ!俺悪くないもん!」
悪くないと主張するとさらに悪いことをしている子になっていくような気がして、弁明すればするほど不安になっていった。だから、泣くコイツが弱っちぃんだと思って、変にコイツを強くしてあげないとと思って、泣き止んだ馨に俺は自らミルクをあげたいと申し出た。そして、
「この子は俺が見てるから、下の子も作っちゃえば?」
って慣れた手つきでミルクをあげながら、二人にそんなことを薦めた。もちろん、最初は鼻で笑われたけど、馨もとろんと眠そうな目をして、俺に身を任せていたので、二人は寝室へと入っていった。馨はミルクを飲み終わると眠たそうに身体をうねらせていた。
「けーくん、君も不死身なの?」
って俺はその灰色の瞳を見ながら、仰向けに寝転んでいる馨に問いかけた。馨を俺の顔をペタペタと触って、鼻を掴もうとしていた。
「あははっ、くすぐったいよ」
と反撃で俺は馨のぷにぷにの頬っぺたを触ったり、脇をくすぐったりした。すると今と変わらぬ可愛らしい笑顔を見せてくれて、
「みぃたん」
と俺が何度も教えていた俺の名前を不器用にも言ってくれた。そして、抱き締めてを言うように、両腕を広げて、心を開いてくれたように俺の方へと手を伸ばした馨がとても可愛くて、その瞬間、何かが心の中にストンと落ちた。
セミの鳴き声がまだ煩い夕方。馨は幸せそうに寝ていたけれど、俺は馨の首を絞めた。死なないと分かってたから、グッと力を込めて、喉を押し込んだ。たぶん理由は、ただ暇だったから。馨は始めこそ驚き抵抗を見せて、腕を掴もうとしたり足で蹴ってきたりしたが、しばらくするとそれもなくなった。それが段々と怖くなって手を首から離すと、馨はぐでっとしていて、視点も定まっていなかった。
「けーくん、ねえ、けーくん。俺だけなんて、嫌だよ」
俺は馨が死んだってことよりも、俺だけが呪われて、不死身の身体なのが嫌だった。だから、ただの実験のつもりだった。檸檬でも良かったけれど、実の妹を手にかけるのは何だか母親に怒られそうで嫌だったから、丁度良い実験台その二を見つけたつもりだった。でも何分待てど馨は起き上がってくれなくて、俺は自分のした過ちを悔いてではなく、裏切られた気持ちでいっぱいで泣いていた。気付くと馨を何回も殴っていた。馨琉さん達がそれに気付いて、俺を引き剥がすと、馨のお母さんが俺に向かって、小学生には身に余る罵声をいくつも浴びせてきた。俺はほとんど何を言っているかが理解できなかったが怒りや悲しみをこっちにぶつけてきてるんだろうってことは分かった。……その途中で、赤ちゃんの酷い泣き声がした。母親の腕の中でギャン泣きしている馨に一同が唖然とした。さっきまで首がガクガクで、大きな痣までできているのに、生きていた。
その瞬間、俺は馨が大好きになった。
馨のお母さんは泣きじゃくる馨を大事そうに抱き締めて、こちらを威嚇するように睨みつけた。馨琉さんもいつもの優しさを失って、「何でこんなことした!?」と鬼の形相で俺を問い詰める。でも俺はそんなのはどうでも良くて、ただ馨への好きという気持ちでいっぱいになっていた。
「大好き。けーくん、大好きだよ」
とただ不気味にも笑いながら泣いていた。つらいのは俺だけじゃない、という事実が俺を救ってくれた。
この件以降、自殺未遂を繰り返した過去も相まって、下された病名は統合失調症。そして、入院。馨琉さんは俺に対して温厚に微笑んでくれたけど、馨のお母さんは冷たい目で睨んできた。俺は精神患者らしく壁に話しかけて、暇さえあれば抜け出した。お医者さんから貰う言葉よりも馨を見ていた方がその時は精神安定ができたから。
「あの子ね、俺と一緒で呪われてるの。でもね、一緒に幸せになれたら良いな、って俺すごい思うんだ」
付き添いの看護師さんはただ仕事上のスマイルで俺の話を話半分で受け流していた。だから俺は好き勝手に本心が言えた。過去の自分に、今は一緒に幸せになってるよって伝えたい。
「大好きだったよ。それに、今も大好き」
馨は俺の罪も過ちも表面的にしか知らない。純粋無垢な子供で、俺の恋人で……救世主だった。懺悔としては未熟だけど、こんな汚れた大人でごめんね。
馨は晩ご飯を食べ終わるとまた絵の制作に取り掛かる。それを横目に俺は、月花少女隊のライブDVDを見返して、モネちゃんのこのアイドルの姿を見られるのも、あと数回なのかと思えば、胸が苦しくなった。
「みかちゃん」
と俺の隣りに来て俺の腕を抱いて擦りついて座る馨はとても寂しそうで甘えてきているようだった。
「絵は良いの?」
「みかちゃんが現実にいるから逃避したくない」
「何それ」
って俺は笑ったが、現実逃避が好きな俺も馨がいる現実から目を逸らしたくない。そうして、いつものように絆されて、ベッドへ行っては食べられて、馨のもう過去の傷跡を撫で、赤ちゃんを孕ませられるような快楽に悶える。
「みかちゃん、愛してる」
と馨が言う度に俺は安心感を覚えて、こんなクズで不格好で情けない俺でも、まだ見捨てずにいてくれるんだと思わずにはいられない。それが馨のエゴで快楽を得るために利用されていたとしても、俺は馨のそばに置いて貰えるように全身全霊で尽くすだろう。
「馨、俺の首絞めて良いよ?」
と自分の首を指さして、斬首刑みたく首をさしだした。そんな気分だった。馨はそれを聞いて一瞬、固まった。が、興奮を隠そうとニヤけているだろう口元を手で覆っている。性癖、だよね。
「本当に、良いんですか……」
喜びを一通り享受してから、覚悟を決めたような据わった目をして、俺の目をちゃんと見て聞いてくる。俺の覚悟を確かめるように。
「うん、痛がりたいの」
マゾヒストの変態だろうが何でもいい。狂ったまんまで取り繕って微笑んだ。煙草も酒も、身体の毒で、馨とのセックスだって、それ相応に毒になる。だけど全部全部、俺にはそれらが麻薬と同じだから、俺にはもう、自分で自分を罰することはできないと思った。つい、思い出した罪を償うように、馨の手を使って、馨の手で、過去の自分がしたことと絞殺をされたいと願ってしまった。恐る恐ると、震える手が俺の首の形を捉える。
「みかちゃんが生きている証拠」
頸動脈が波打って、馨の指先へと感覚が伝う。その鼓動がドクンと言う度に馨は嬉しそうに頬を緩めて、涙を流しながら、俺の首を絞めていく。抱き締めるようにも少し似たその感覚はどんどんと苦しくなってきて、痛みへと変わる。呼吸ができない。頭ん中も身体ん中もぐちゃぐちゃになって、何も考えられないまま、目の前がホワイトアウトした。天国の鱗片を感じた。充足感を超えて、過剰に摂取した毒で死んでしまいそうになる。
「……馨」
心の中では何度も馨の名を呼んでいた。けれども、現実にはこの嗄れた一回しか呼べていなかった。自然と涙がこぼれる。自分のことで精一杯だったから、馨がどんな顔してたか全然分からない。だが、俺が意識を取り戻すまで抱き締めてくれて、背中を撫でてくれていた。
「やっと起きた?遅いから心配したよ」
って起きるのが遅いと冗談みたく言って笑って、でもその笑顔はハリボテにすぎなくて、その後で「死んじゃったのかと思った」って不安な顔しながら俺をぎゅっと抱き締めて甘えてきた。
「俺はまだ死なない、死ねない」
秋が深まってきて、肌寒い日が続くようになった。塾に行く途中、駅構内にガチャガチャがたくさん置かれているのを見かけた。まだ、時間があるから興味本位で、それらを眺めていると、顔見知りにあった。
「馬場くんも、こうゆうの好きなの?」
「馨くん……いや、俺はただ、ちょっと見てただけ」
今までしゃがんでたのに、僕が隣りにしゃがむと、スっと立ち上がった。嫌われてる?まあ、いいや。僕はしゃがんだまま、馬場くんが見ていたガチャガチャに目をやる。
「僕は好き、あっ!!」
「どうしたの?」
「みかちゃんが言ってたヤツだ……リュウグウノツカイ……」
深海生物マグネットコレクション……やば、手に入れたい。一回三百円か。銀色の身体に赤い背びれ、細長くゆらゆらとしている姿は、その名のように神秘的。出るまでやる!!っと意気込んで、財布の中身を確認すると、百円玉はピッタリ三枚しかなかった。後は五百円玉とか。財布をできる限り軽くした仇がこれか。
「リュウグウノツカイ、好き?」
「好き?んー、好きなのかな?僕の恋人が好きで、だから、好き?」
好き?が僕の中で一番しっくりくる好きの距離感だった。今だってこれを手に入れて、どうこうと言うより、みかちゃんにあげたいという気持ちでいっぱいだ。
「そっか……あのさ、八百比丘尼の伝説って知ってる?」
ガチャガチャにお金を入れていると、馬場くんが不思議な話題を振ってきた。
「何それ、初耳」
ガガガガ、ガガガガと少し大きめな音と手応えのあるダイアル。
「昔々、人魚の肉を食べて八百歳まで生きた女僧がいたんだってさ」
「え?人魚の肉??」
人魚の肉って何処で取れるの?デンマーク??ガチャっとダイアルが止まり、カプセルが出てきた。けれども、
「うん。だけど、このリュウグウノツカイの肉なんじゃないかって説もあるんだ」
という馬場くんの話に魅了されて、カプセルそっちのけで
「わわわ、今すぐにでも漁しよう!!」
って気持ちが昂って、彼の手を握っていた。
「行かない。塾行く」
秒で振られた。不老不死には興味無さげで。そんな冷たい彼の手を苦笑い交じりで離した。
「あはは、でも僕そうゆう話は大好きだから、聞かせてくれてありがとう。僕の恋人もね、元オカルト研究部で……」
「これ、いらないなら貰っていい?レアそうだけど」
僕が話してる途中でマイペースにもしゃがみ込んで、勝手にガチャガチャからカプセルを取って光に透かしてる。
「え?……んー、やっぱダメ。僕のだから」
馬場くんは僕に有益な情報をくれたし、塾でもたまに話してるし、もう一段階仲良くなった証として、いやでも、みかちゃんにこれはあげたいし、例え、リュウグウノツカイじゃなくても、みかちゃん深海生物マグネットは喜びそうだし。という思考を「ダメ」と言った後でもグルグルと繰り返していた。
「あはっ、冗談だよ。こういう冗談は嫌いかな?」
と口角上げて聞いてくる彼が何だかいつかの僕の真似してるみたいで面白かった。いつもは真面目なのに。
「ふふっ、馬場くん、意地悪くなったね〜っ!」
真面目に答えた僕が今になって恥ずかしい。
「君のが意地悪じゃないか、馨くん?」
と馬場は意味ありげに僕の名前を呼んで、それじゃ、と僕に背中を見せた。……何だあれ!!僕の知らない馬場くんだった。カプセルを手にしたままその場にしばらく立ち尽くしていた。「まじウケるんだけど〜っ!」とガチャガチャを見て笑っていた女子高生二人組の一人の鞄が背中にぶつかる。現実に引き戻された。
「すいません」
と僕は彼女の足元を見ながら平謝りをして、馬場くんの後を追うように足早にその場から立ち去った。
「ねえ、さっきの人めっちゃイケメンじゃなかった?」「え?雰囲気だって〜笑」
駅構内を道行く数多の人の声を聞きたくなくて、自分を守るようにイヤホンをした。好きなバンドの他人を嘲笑うかのような攻撃的な歌詞が、今の僕の気持ちを代弁してくれているようで気持ちよかった。みんなみんな、僕が好きな人以外、いなくなれ。ウザったい。
僕は馬場くんみたいに真っ当な夢も将来も、持ち合わせていない。勉強だってやりたくてやってるわけじゃないから、あの天才には敵わない。どうでも良いことで劣等感を味あわされてもどうでも良い。でも、そのどうでも良いことに僕の恋人との時間を削られているのだとしたら、心底気に食わない。だけど、少しでも真っ当な人間になれるように大学だけは出ておきたいから、あーあ、やること多くてめんどくさい。
塾での講義の半分はリュウグウノツカイのマグネットに見蕩れて、みかちゃんに何て言ってこれを渡そうかと考えていた。「二人で深海まで永遠を掴みに行こう」って、馬鹿みたいなことにみかちゃんは付き合ってくれるかな?冗談に付き合ってくれるかな?おい、砂糖 馨。学費は無駄にするもんじゃないぞ。今はあの白い文字に集中しろ。……隣りの席の馬場くんとは何だか気まずい、ああ、やっと終わり。
「あっ、砂糖先輩!お疲れ様です!」
「お疲れ、桃ちゃん。授業ついていけてる?」
と僕が適当に揶揄うと、
「えっ……と、その……」
と酷く固い表情をされた。それを面白がってさらに揶揄い、
「ふふっ、冗談!桃ちゃんなら余裕でついていけてるかぁ」
と追い討ちをかけると、さらにヤバそうに微笑み出したので、「ごめんごめん!今度教えてあげよっか?」って代償を負うことにした。
「いやいや、そんなことできませんよ」
「何で?遠慮しなくていいのにぃ」
「砂糖先輩、もうすぐ受験じゃないですか」
「ああ、そっか、そうだよね。ふふっ、忘れてた!」
と戯ける。
「忘れてたんですかぁ!?」
期待通りのリアクション。勉強する時はずっとそのことばかり考えてる。楽しみでもないのにカウントダウンして、自分に圧力をかけてないと勉強できなくなる。解放されたらみかちゃんと何処か、何処でも行きたい。
「嘘。でも、忘れたくなるよね。もう勉強したくない……」
「先輩のお友達はどうするんですか?」
「ええっと、ザキは最後まで一緒だけど、飴ちゃんは推薦で」
「そうじゃないです!!参考書は友達じゃないんですか!?」
悲しそうでちょっぴり怒ったようにそう言われた。
「あはは、桃ちゃんに叱られるとはなあ。弱音吐いてごめん」
情けないったらしょうがなかった。疲れてたとはいえ、こんな弱音言ってくる先輩とか迷惑な上にダサいじゃん。もっと格好良くいたかったのに。
「あ、いえ、そんな……」
「ううん、ありがとう。おかげでやる気出た。この子達とも、もっと仲良くなれるように頑張るよ!」
って鞄を愛おしそうに撫でてそう言ってみると、相変わらず、それは桃ちゃんのツボのようで、ずっと笑ってくれた。駅まで桃ちゃんと帰って、改札で別れた。
「ねえ、馨くん」
「うわっ、馬場くん!!いつからいたの??」
「塾からずっと」
「つけてきてたんだぁ……」
「言い方!!俺もこっちなんだからしょうがないでしょ……」
「ふふっ、そうだよね」
「あと友達、忘れてたよ」
と塾の机の中に入れて、そのまま置いていってしまった単語帳を持ってきてくれていた。わあ、僕の愛しの単語帳!置いていったりしてごめんね!寂しかったよね?これからはずっと一緒だからね!
「恥っず!!ありがと」
「さっきの子は?」
「え、同じ学校の後輩」
「へえ、リュウグウノツカイはあげないの?」
「それは、僕の恋人に……」
「君の単語帳を持ってきてあげた俺にはくれる?」
と意地悪く煽ってくる。
「……そんなに欲しいなら自分で回せば良いじゃん!」
「君から貰うのに意味があるのにな」
「嫌がらせ??」
「あははっ、そうだね!嫌がらせだ!」
とそのことを自分で反芻して自虐的に笑ってる。「あーあ、楽しかったからもう帰るよ」ってわざとらしく帰ろうとするし。
「明日は良いものやるからさ、今日はごめんね。翔真」
少しだけ引き留めて、負債の返済を約束した。何をあげれば良いのかも分からないくせに。
「ううん、本当は物なんていらないんだ。こちらこそ馬鹿の真似して悪かったね。じゃ!」
と急いでホームへと駆け下りて行った。あれじゃ、駆け込み乗車か?
「じゃあ明日、」
今日と同じ時間に……。
「ただいま」
と僕が浮かない顔して帰ってきたら、みかちゃんは僕を抱き締めた後で
「お疲れ様、何かあった?」
とちゃんと聞いてくるところ、好きなんだけど僕の母さんみたいでちょっぴりイラつく。
「別に、また成績が下がりそうなくらい?」
僕がヤケで笑うと、
「そんなに気にしなくても、馨は頭良いから大丈夫だよ」
と優しく僕の頭を撫でてくれる。
「そうゆうことじゃないんだよ」
って、何キレてんの?僕が言ってないんだから、みかちゃんが分かるわけないじゃん。クズ野郎。
「ごめん。でも、馨が頑張ってるの、俺は知ってるから……」
ああああ、何みかちゃん傷つけてんの??馬鹿じゃないの??もう一回、死ねよ。
「はは、ごめん、疲れてるみたいだから、もう寝るね」
僕は頑張ってないよ、って笑って、逃げるように薬を取り出して、何錠かを一気に飲み込んだ。早く、早く早く早く!!精神安定させなきゃ、みかちゃんを傷つけるだけだ。死んだように眠れ。制服のまま、ベッドの布団の縁に上半身を持たれかかって、下半身は床で座ったまま、そのままじっとしていた。眠くはない、けど動きたくなかった。
「馨!?」
みかちゃんが驚いたような声を出して、僕の元へと駆け寄ってきてくれる。
「みかちゃん、僕もう無理かも……」
勉強も人間関係も、絵も、何もうまくいかなくて、ごちゃごちゃに乱れてて、そのおかげで精神まで乱れてて、僕が何かする度にストレスの根源が増えていくような、生きているからつらいことがあるの範疇を超えてストレスしか感じない状態、今はそんな気がする。だけど、みかちゃんだけは僕の唯一の救いだ。




